第12話 微笑み神隠し(3)

 漆黒の海を切り裂いて船は進む。計器の示す対水速度ログスピードは二十五ノット超。流石に二十一世紀の船、思った以上に速力あしが速い。

 左舷からの潮流に押されぬよう細かく船首を振り、一路、八景島の東南東に浮かぶ第二海堡フォートアイランドへと船を向かわせる。レジャー島に様変わりした海堡の、灯台の明かりがじきに見えてきた。

 澄み渡った夜空からは半月はんげつが俺達を見下ろしている。どれほど世の中が様変わりしようとも、あの星空もこの海も、昔と何も変わらない。


「ナナ、これってさ、エンジンの音とかで相手にバレちゃうんじゃない?」


 板橋先輩が後ろから心配そうに言ってきた。俺は「でしょうね」とだけ答え、片手でかじを取りながら、おもむろに汽笛ホーンのスイッチを操作した。

 メガホン状のスピーカーから小型船特有の高音が空を渡る。島で待つ林檎嬢にも敵にも聞こえるであろう音量で。ツーツートントンツーツートントントントントンツートンツートントンツートンツーツートン……。


「えっ、何だっけ今の、操船信号?」

「まあ、秘密の合図みたいなものです」


 福津先輩に答えつつ、俺は船を次第に減速させ、滑り込むように海堡の桟橋さんばしへと寄せた。

 桟橋の逆側には板状の浮き舟台が並び、くら状の座席を備えた二そうの小さな船が雑に乗り上げてあった。なるほど、あれが水上バイクというものか……。

 機関エンジンを停止させ、操舵室の備品を手早く物色する。信号紅炎こうえんと書かれた小さな赤い筒を手に取ったところで、先輩達から声を掛けられた。


「ナナちゃん、ウチらに出来ることない?」

「ここまで来たら一緒に戦うよ」


 二人とも真剣な目で俺を見ていた。ここまで連れてきてくれただけで十分――と言ったところで、きっとこの人達は退かないだろう。

 俺は手にした筒を福津先輩に差し出した。板橋先輩は「車の発煙筒みたいなやつ?」と首をかしげている。


「これの使い方はわかりますか」

「うん……一応習ったと思う」

「では、お二人には陽動をお願いします」


 それから、俺は船に積んであった真っ赤な消火器を取り上げた。この時代のあちこちで目にする「ABC粉末消火器」というやつだ。

 円筒形の本体にホースとレバーが付いており、側面には「小型船舶用粉末消火器」と書いてある。薬剤の組成はNH4H2PO4とあった。


「リン酸アンモニウムか……。まあ、死にはせんだろう」


 使えそうな武器はこれだけだ。銃器が無いのは心もとないが、火防ひぶせの神たる秋葉原のアイドルには消火器くらいが丁度いい。

 係留ロープで簡単に船をクリートに繋ぎ、余らせたロープと消火器を抱えて桟橋に上がる。

 先輩達とペースを揃え、俺は島内へと走った。立ち並ぶコテージの一つに明かりが点いている。少しは隠す努力をしろよ、と敵の平和ボケに呆れながら、窓の反対側からそっとその建物に接近する。

 この中に、囚われの林檎嬢が……。

 戦いを前に心臓は高鳴るが、不思議と頭は冴えていた。


「窓の下に回り込み、一分後に信号炎を焚いてください。その後は決して出てこないよう」

「うん。わかった」


 俺と頷きあい、先輩達は身をかがめてコテージの反対側へ近付いていく。俺が扉のすぐそばまで身を寄せると、中からは男達の緊迫した話し声が漏れてきた。


「やべえよ、警察来てんじゃねえの?」

「つうか、草加さんがパクられたら俺らどうすんだよ」

「しらばっくれりゃいいだろ、何もしてねーって」

「現にコイツさらって来ちまったじゃん。ここに踏み込まれたらヤバイだろ」


 声の数はやはり三人。男達は明らかに慌てていた。草加のSHOWショーROOTルートの件を彼らももう知っているらしい。

 がん、と中で何かの物音がして、俺はハッと息を呑んだ。

 まさか彼女に暴力を。だが、ここで冷静さを失って飛び出したら終わりだ……。


「クソッ、どうせ捕まるんなら最後にコイツ回しちまうか?」

「さんせー。もう献上も何もねーだろ」

「だな。やっちまおうぜ」


 男達の声に混ざって、恐怖に震える林檎嬢の息遣い。

 俺の中で何かが切れそうになったとき、コテージの逆側からばしゅっと炎の噴き出す音が上がった。その音にギリギリのところで冷静さを取り戻し、俺は叫んだ。


「火事だっ!!」


 陽動と呼ぶには単純すぎるトラップ。だが、混乱しきった今の男達には効果覿面てきめんだったらしい。たちまち扉を開いて飛び出してきた一人目の頭部を狙い、俺は消火器のレバーを思い切り引いた。

 淡い紅色の煙がホースの先端から勢いよく噴出し、男がうめき声を上げてよろめく。俺はすかさず飛び膝蹴りを男の鳩尾みぞおちに叩き込んだ。うぐっと唸って倒れた男の両手を手早くロープで拘束し、濛々もうもうと立ち込める煙の中、室内に視線を向ける。

 残りの男二人は虚を突かれた様子で慌てふためいていたが、煙の中に俺の影を見るや、一人が何かの武器を振りかざして向かってきた。


「てめぇ、騙しやがったな!」

「おや。デマは嫌いだったか?」


 襲いかかってくる男目掛けて、カラになった消火器を思い切り投げつける。男が怯んだ隙を突いて肉薄し、俺は男の片腕をねじりあげて、その手から武器を奪い取った。それは黒光りする特殊警棒だった。前に俺も護身用の携帯を検討して、結局まだ実行に移していなかったものだ。

 警棒を奪われた男が我に返って殴りかかってくる。体格も腕力も相手が上。正面からぶつかれば勝てるはずがない、と思うが。


(お前達のような遊びの喧嘩とは違う)


 俺は拳をかわすと同時に敵の片足を踏みつけ、僅かに怯んだ隙をついて敵の喉元に警棒の突きを打ち込んだ。勿体ぶりなどせず瞬時に敵を無力化する、それが軍人の戦い方だ。

 もんどり打って倒れた男の向こうから、最後の一人がバタフライナイフを取り出して襲ってくる。


「ふざけんな、てめぇ、殺すぞ!」


 素人丸出しの順手持ちで、男がナイフを突き出してくるが――


「吠えるなよ。殺した経験ことなど無いくせに」


 その攻撃を瞬時に見切り、俺の振り抜いた警棒の一閃が、男の手からナイフを弾き飛ばしていた。


「っ――」


 ざくりとナイフが床に突き立つのと同時に、怒り狂った男の側頭部に返しの警棒の一撃を叩き込む。男はがはっと泡を吹き、よろめいて崩れ落ちた。

 二人目と三人目を揃ってロープで拘束し、俺はまだ意識の残る彼らをぎらりと睨みつけて言った。


「二度とエイトミリオンに手を出さないと誓え。次はこの程度では容赦しない」

「……は、はい」


 男達は完全に戦意を失った様子で、床に転がったまま何度も俺に頷いてきた。

 ふうっと深く息を吐き、俺はやっと壁際で震える林檎嬢に目を向けることができた。彼女は口を塞がれたまま身を強張こわばらせていたが、俺が警棒を手放して「待たせたね」と微笑みかけると、その表情がようやく柔らかく緩んだ。


「……わたし、今度はちゃんとわかったよ。『ヒ・バ・キ・タ・リ』って」


 俺が彼女の前にしゃがみ込んで口元のガムテープを剥がしてやると、彼女は涙声でそう言って笑ってきた。飛羽ひばきたり――先程の汽笛は、彼女しか知らない俺の名を打つことで、助けに来たことを彼女に知らせて安心させるためのものだった。


「バカだな、君は……。『約束の場所』などと打たず、素直に地名を打ってくれたらいいのに」

「あっ」


 彼女の身体を拘束する縄にナイフを入れながら俺が言うと、彼女は涙の滲む目をぱちくりとさせた。やれやれと肩をすくめたところで、どこかから甲高いサイレンの音が聞こえ、先輩達が心配そうにコテージを覗き込んできた。


「ナナ、なんか来てるけど……大丈夫なの?」

「たぶん海上保安庁だよ、アレ」


 先輩達の肩越しに、この島を目指して急速に近付いてくる船の明かりが見える。

 さすがに東京湾内で信号炎まで焚いて騒ぎを起こして、官憲に見つからないということはないか……。


「……立てるか、林檎さん」


 縄をさばき終え、俺は彼女に手を差し出した。彼女は微かに笑って、痛そうにしながらも腕を伸ばし、俺の手を取った。


「……今のあなたに自力で助けに来てほしかったの。あなたがこの場所を突き止めてくれないなら、それまでかなって」


 そんなことを言って、えへへと笑う彼女に、俺はついつい真面目に突っ込みを入れてしまう。


「それ、今作った話だろう」

「そ、そんなことないよ!」

「さっき『あっ』て言ったじゃないか」

「……むぅ」


 一緒にコテージを出て、官憲の船の眩しい明かりに照らされ、彼女は先輩達に聞こえないくらいの声で言ってきた。


「でも、あなたに助けに来てほしかったのはホントだよ」

「ああ。無事でよかった」


 俺は彼女の頭に手を回し、その髪をそっと撫でていた。生前一度もしたことのないそんな動作が、なぜか今は自然に出来た。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 その後、男達は未成年者略取などの罪で緊急逮捕され、警察に身柄を移されることになった。俺と先輩達は、海上保安庁や警察、それにエイトミリオン運営部から危険な独断専行をこっぴどく叱られたが、監禁以上の被害を防いだという結果が幸いし、どうにかグループをクビにされずに済んだ。

 現役アイドルの略取監禁という前代未聞の事件の報道は、草加の配信の件と合わせて一夜の内に世間を駆け巡り、テレビ、新聞、雑誌、ネット(とは結局何なのか)などあらゆるメディアを連日騒がせる一大ニュースとなった。元締めの草加が暴行と略取教唆きょうさの疑いで逮捕されたことで、他のギャルソンの連中も、意趣返しに被害者達の写真を流出させようとする気は失ってしまったらしかった。

 今後、警察は草加の余罪にも捜査のメスを入れていく方針だという。スプリングも既にギャルソン達の悪行を暴く特集記事の連載を始めており、事件の全容が世間に知らしめられる日は近い。


「今度からはちゃんと大人を頼りなさい。次やったら守りきれないからね」


 一通り事件の処理が落ち着いたある日、俺は秋葉原エイトミリオン劇場支配人の忍野おしの女史から改めてお灸を据えられていた。俺が反省を込めて「はい」と答えると、彼女はふっと息を吐いて、肥えた腕を組み直した。


「ってのが、支配人としての言葉。で、今から言うのは、衣装屋のおばちゃんの独り言だけど」


 事務室のブラインドから明るい光が差し込む中、彼女は言う。


「よくやってくれた。スカッとしたわ。開票が楽しみね」


 二〇一六年度選抜総選挙の開票イベントは、目前に迫っていた。


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