第13話 強き花々

『第十七位! 40,011票! 秋葉原エイトミリオン・チーム・リーヴス、板橋峯波みなみ!』


 開票イベントは佳境に入っていた。俺は大勢のメンバーと一緒に席に座り、壇上に上がる先輩にぱちぱちと拍手を送っていた。

 選抜の手前が定位置となってしまって久しいという板橋先輩。しかし、新潟市の大型スタジアム一杯に響き渡る歓声を浴びて、堂々とマイクの前に立つ彼女の顔は、清々しい輝きに満ちていた。


「アイドルとしては劣等生かもしれませんが、今後もわたしはわたしらしく頑張ります――」


 自虐を交えてスピーチする先輩だが、彼女が決して劣等生などでないことを俺達は知っている。今夜、ここまでに名前を呼ばれておらず、圏外が確定してしまっている福津静家しずか先輩も。

 選抜の表舞台で踊れずともグループを支え続ける、そんな強い先輩達の背中を見ているからこそ、俺達も自信を持って走り続けることができるのだ。

 いよいよイベントは総選挙選抜の発表に差し掛かった。十六位に続き、十五位の票数が司会者の朗々たる声で読み上げられる。


『第十五位! 40,648票! 秋葉原エイトミリオン・チーム・クアルト、鹿嶋朱雀!』


 俺の近くに座っていた朱雀先輩が、わっと喜びに顔を覆って席を立った。

 チームキャプテンの彼女にとっても初の一六位圏内。総選挙で高順位に入ることが全てではないとはいえ、上を目指して頑張ってきた者としては感慨もひとしおだろう。

 そして、朱雀先輩の名が呼ばれても、まだナナが呼ばれていないということは……。


(下剋上か、それとも圏外か? ……なんてな)


 先日の速報時点でのナナの票数は一万五千票近く。福津先輩達には申し訳ないが、これ以上の順位で名を呼ばれることはもう確定している。


(見てるか、マキナ……)


 辞めていくマキナとの約束。総選挙選抜入りを果たせることが決まり、俺は静かに膝の上で拳を握り締めていた。

 マキナは少し前に正式に卒業を発表していた。ギャルソンの悪事が世間に知れ渡り、エイトミリオン擁護の声が増えようとも、それでももう自分は綺麗な身ではないから……というのが彼女の決断の理由だった。全てに納得などいくはずもないが、残された俺達にできるのは、彼女の分まで走り続けることだけである。


『第十四位! 43,318票! 秋葉原エイトミリオン・チーム・クアルト――』


 俺はハッと顔を上げた。この位置で名を呼ばれるチーム・クアルトのメンバーは、もうナナしか居ない。


『――大和ナナ!』

「はいっ!」


 拍手と歓声に迎えられ、俺は一歩一歩を踏みしめて壇上へと上がった。高鳴る胸を押さえてスタジアム全周を見渡し、緊張を吹き飛ばすように深呼吸する。

 この場でナナを祝福してくれるメンバー達の中に、林檎嬢の姿はない。彼女は今度こそマキナと一緒にテレビの前で見守ってくれているのだ。ここから三百km以上離れた東京の、セキュリティの強化されたマンションで。

 先日の事件の後、林檎嬢は今年の総選挙への立候補を取り下げていた。同情票が見込めるのにと言う人もいたが、そんな形でランクインを果たすことを彼女は望まなかった。


「えー、大和ナナであります。応援して下さった皆様、私の復帰を待っていて下さった皆様、本当にありがとうございます」


 マイクの前で俺は語り始めた。このスタジアムの収容人数は三万人。これほどの人の前で喋るのは、もちろん生前も含めて初めてのことだ。


「この場を借りて、皆様にご報告があります」


 俺が言うと、満員の客席のあちこちからざわざわと声が上がった。一呼吸置いて、俺は続ける。


「わたくし大和ナナ、本日付けでチーム・クアルトの副キャプテンを拝命致しました。私の手には余る重責ではありますが、先輩方、運営の方々、何より支えて下さるファンの皆様のご期待に添えるよう、より一層の精励を誓います」


 小さく頭を下げると、ホッと弛緩しかんした空気に続いて拍手が巻き起こった。……ああ、そうか、俺が真面目な顔で「皆様にご報告が」なんて切り出すから卒業発表か何かと思われたのか。

 まったく、俺というやつは……。相変わらずの自分のカタさに呆れつつ、あれから改めて美容院で整えてもらったショートヘアの毛先を指で撫ぜ、俺は再び口を開いた。


「休養の件しかり、この髪しかり……私は皆様を振り回すことに定評があるようです。これからも多々振り回してしまうでしょうが、そんな私を愛して下さる皆様は私の宝物です。皆様の支えがあってこそ大和ナナはここまで来られました。引き続き見守ってやってください」


 ナナ本人なら何を話すだろう――そんなことを考えながら、俺は結びの言葉を探る。とりあえず、ナナはスピーチの最後に「以上、終わり」なんて言わないらしい。分かりやすくていいと思うのだが……。


「私は今後も、努力は裏切らないと信じ、全力疾走する所存であります。この度はありがとうございました」


 なんとか言いたいことを言い終え、俺は深々と頭を下げた。心臓を直に揺らす拍手喝采の波が、いつまでも鳴り止まず響いているような気がした。


 その後も熱狂の渦の中で順位発表は進んだ。黎音りおんナナの一つ上の十三位で名を呼ばれ、同じく初の総選挙選抜入りを果たした。やはり、彼女とナナは好敵手ライバルとなるべき宿命らしい。

 二度も彼女を振り回してしまったのは俺の大きな引け目だが、事件を経て彼女は俺に懐いてくれるようになり、今度林檎嬢と三人で遊びに行こうかという話もしている。こういうのは怪我の功名というのだろうか。


『第二位! 175,613票! 秋葉原エイトミリオン・チーム・プレリー、羽生はにゅうマユ!』


 初代七姉妹セブン・シスターズ一柱ひとはしら、女王経験者の羽生マユ先輩が二位で名を呼ばれた。ということは、今年の王座はやはり――。


『第一位! 243,011票! 博多エイトミリオン――』


 規格外の怪物ぶりに感動を通り越して苦笑すら漏れる。二位との差、六万七千票。ナナ一人分の票数でも埋まらない。アメリカの軍事費か何かか、この人は。


『――指宿リノ!』


 女王のみが纏うことを許される真紅のマントを颯爽とひるがえし、彼女は壇上に立った。

 彼女にとって三度目の戴冠。初代女王神田アツコも、二代目女王壬生町みぶまちユーコも成し得なかった、前人未到の二連覇だった。


「スキャンダル成金なんて言われて、叩けばホコリばかり出てくるわたしですが……過去の女王達と同様、ファンの皆さんとの絆の強さだけは断言できます。わたしの一位は皆さんが紡いでくれた一位です。それはつまり、他のメンバーの皆にも同じチャンスはあるということです」


 遥かな雲の上から皆を睥睨へいげいするその瞳に、俺も周りのメンバー達も揃って息を呑む。


「わたしの連覇が越えられない壁であってはならない。いつかわたしを打ち倒すメンバーが現れることを、わたしはいつでも願っています。わたし達の愛するエイトミリオンが、アイドル界の王者であり続けるために」


 無数のカメラのフラッシュがまたたく中、指宿閣下は最後に高々とクリスタルのトロフィーを掲げてみせた。俺は神々しいばかりの彼女の引力にずっと目を引きつけられ、皆と一緒に無心で拍手を送っていた。


 しかし、イベントはそれだけでは終わらなかった。指宿閣下のスピーチが終わり、これでお開きかと思われた壇上に現れたのは、俺が写真や映像の中でしか見たことのない康元プロデューサーだった。

 予定外の登壇に会場がどよめく中、彼はマイクを握り、神妙な声で語り始めた。


「今般報道されている一連の事件を巡り、多くの方が心を痛めて下さっていることと思います。このたび起きたことの全ては、我々、大人の不甲斐なさが招いたことであると痛感しています」


 静まり返った会場に、カメラのシャッター音だけが洪水のように響く。


「事件の報告を受け、今後はより万全の防犯体制を講じるように、全グループの運営部に伝えました。警察や警備会社の方々とも連携を取り、二度とこのような痛ましい事件が起こらぬよう、僕もプロデューサーとして目を光らせていきます。……どうか、今後もエイトミリオングループへの応援を宜しくお願いします」


 満員の観客達は一斉に拍手を送った。メンバーに対してするのと同じように、彼の名を叫んで声援を送る者達もいた。

 今度こそイベントが幕を下ろし、俺が皆に混じって楽屋裏に戻ると、ぬっと腕を組んで俺を待っている康元プロデューサーの姿があった。


「やっと会えたな。オーディションの時以来か」

「はいっ」


 緊張を覚えながら直立不動の姿勢を取った俺の意識を、彼のにやりとした笑いが震わせた。


「で、中身は誰だ?」

「はっ!?」

「冗談だよ。……の存在がエイトミリオンにとって毒となるか薬となるか、楽しみに見させてもらおう」


 それだけ言い残して、彼はきびすを返して廊下を去っていく。

 俺はしばらくその迫力に飲まれて立ち尽くしていたが、朱雀先輩にとんとんと肩を叩かれて我に返った。


「ホラ、行こ。写真撮影だよ」

「はい」


 俺達には初めての栄誉。各メディアの報道陣がカメラを構える前で、朱雀先輩と黎音の間に挟まれ、俺はトロフィーを手に笑顔を作った。一握りの者しか収まることを許されない総選挙選抜の集合写真に、輝かしき七姉妹セブン・シスターズの面々とも肩を並べて。


「イベントの前に、運営と各チームのキャプテンでお話があったんだ」


 撮影を終えて一息ついたとき、朱雀先輩が言ってきた。


「全グループの支配人さんがずらっと集まってね、約束してくれたよ。今回みたいなことが絶対起きないように、これからは全力を挙げてメンバー一人一人を守ってくれるって」

「……よかったです」


 俺も無茶をやった甲斐があったか……。感慨深く頷いたとき、指宿閣下や総監督の木津川きづがわ先輩と並んで、一つの影がすっと俺達の前に歩み出てきた。


「ずっと、怖い夢を見てたの」

「! リエさん――」

「わたしの後輩達が、劇場のステージで泣いてるんだ。わたしは懸命に手を伸ばすんだけどね、何もしてあげられないの。そんな夢……」


 指宿閣下の同期として長年エイトミリオンを支え、今は一つの支店のキャプテンを任されるまでになったその先輩は、どこか黎音と似た丸い瞳に微かな涙を滲ませていた。


「だけど、ナナちゃんが戦ってくれたあの日から、その夢を見なくなった」


 七姉妹セブン・シスターズ徳寺とくでらユキ先輩とも小さく頷きあい、彼女はそっと俺の肩に片手を乗せてくる。温かい手のひらの感触がした。


「あなたが居なかったら、この先、もっと多くの子達が辛い目に遭わされてたかもしれない。次に涙を流すのは、この街の……わたしの大事な雛鳥達だったかもしれない」


 黒くきらめくその瞳が、まっすぐ俺を見つめていた。


「ありがとう、ナナちゃん。あなたは、エイトミリオンの未来を守ったんだよ」

「未来……」


 呟き返すと、俺の胸にも熱いものがこみ上げてきた。先輩と俺の目からこぼれる涙は、いつか誰かが流すはずだった涙の代わりなのかもしれなかった。


「まあまあ、辛気臭い話はそれくらいにしときましょうよ」


 木津川先輩がはんなりした声で言った。俺が向き直ると、彼女は心地よい京言葉で、「改めて、選抜入りおめでとう」と言祝ことほいでくれた。


「ありがとうございます」

「けど、ここからが本当の戦いやで」


 先輩の言葉に俺は目を上げた。

 七姉妹セブン・シスターズ常連の猛者達が、それぞれ射抜くような視線を向けてくる。


「わかるよね? 今日からあなたが人気争いする相手は、わたし達選抜だって」

「こら、ジュリナ、そんなにいじめないの。……まあ、意外と早くここまで来たじゃない?」

「来年も選抜に居られて初めて本物だけどね」


 神々の目に見据えられ、俺は傍らの黎音と顔を見合わせた。

 先輩達の言う通り、来年も選抜ここに居られるかは分からない。だが、たとえ地を這うことになろうとも、俺達は何度でも挫けず足を踏み出す。

 天を舞う羽根がその背になくとも、ファンと仲間の思いが背を押してくれることを知っているから。


 そんな俺達の覚悟を認めたのか、先輩達は暖かい笑顔で俺達を包み込んでくれた。

 雲上人うんじょうびとの中心に立ち、指宿閣下が優しく笑って言う。


「ようこそ、エイトミリオンのトップグループへ」


「宜しくお願いします」


 女王の目をしっかりと見返し、俺は、敬礼ではなく握手を求めた。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆




 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 総選挙から少し過ぎたオフの日、俺は林檎嬢と一緒に靖国やすくに神社を訪れていた。

 梅雨のしとしとと降り続く雨の中、彼女に傘を差してやり、俺自身は帽子キャップ一つで雨をしのいで境内を歩く。


「ねー、カッコつけないで相合い傘しようよー」

「格好つけてるんじゃない。海軍士官はちょっとの雨でいちいち傘を差したりしないんだ」

「でも、今はアイドルでしょ?」


 林檎嬢が強引に俺を傘に入れようとしてくるので、まあいいかと諦め、俺は彼女と身を寄せ合って傘に収まった。


「でも、ぜんぜん明けないねー、梅雨」

「気象図を見た感じだと七月末くらいだろう。まあ、スコールと比べたら日本の梅雨なんて可愛いものさ」

「明けたら遊びに行きたいなー。りーおんやマキナちゃんも一緒に」

「そうだな……」


 レジャー島・フォートアイランドは、今夏は一般開放を取りやめにし、改修工事と防犯措置に努めるらしい。林檎嬢とナナの約束は一つダメになってしまったが、まあ、これから俺が代わりに新しい楽しみをいくらでも作っていけばいいだろう。

 林檎嬢はチーム・クアルト以外の公演にも助っ人として出ずっぱりだったし、俺も俺で新曲の選抜メンバーとしての外仕事があれこれ入ってくるので、なかなか揃って休める日がなさそうなのがネックだが……。


「本殿のサンパイ?の受付?はしなくていいの?」

「ああ、いいよいいよ。気さくな連中ばかりだ、軽く挨拶するだけで十分さ」


 中門鳥居をくぐり、俺は林檎嬢と並んで拝殿に手を合わせた。英霊達の御霊みたまが眠るその場所に。

 七十余年前にこの世を去った――俺の主観ではほんの二ヶ月ほど前まで一緒に空を飛んでいた、気のおけない連中の顔を思い返す。


真島まじま御木本みきもと。俺はもうしばらくこの時代でアイドルをやってみるよ。そっちに行くのは遅くなるけど、気長に待っててくれな)


 ペアの二人、そして空に海にと散っていった大勢の仲間達……。軽い挨拶で十分だとは言ったものの、彼らを思って手を合わせていると、話したいことは尽きなかった。

 しかし、あまり彼女を退屈させてもよくないな……と、俺が適当なところで話を打ち切って目を開けたとき、斜め後ろから知らない誰かが声を掛けてきた。若い女子の透き通った声だった。


「随分熱心にお参りをしてらっしゃるんですね」

「ええ。ここには沢山の仲間が眠ってるんです」

「海兵何期ですか?」

「私は七十一期……」


 あまりに自然に聞かれたので普通に答えかけて、俺はぎょっとして声の主を振り向いた。青い傘を差して立っていたのは、やはり知らない女子だった。

 年の頃はナナや林檎嬢と同じ十代後半だろうか。ナナよりも背の高い、しかし瑞々しい立ち姿。つややかな黒髪を肩に流し、清楚な透明感を漂わせた少女だった。


「エイトミリオンの大和ナナさんとお見受けします。冗談がお上手ですね」


 少女がくすっと謎めいた笑みを見せてくる。俺は静かに林檎嬢を振り返ったが、彼女もふるふると首を横に振るだけだった。


「……君は、一体」

「失敬。申し遅れました」


 白い手でふわっと黒髪をかき上げて、少女は言った。


「――この世界では、ユミコと申します」


 新たな航海ものがたりの始まる予感がした。



【第二章 瀬戸内エイトミリオン出航編へ続く】

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