第15話 チームの坂(1)

『今日は、大和ナナです。

 当地では思いがけぬ梅雨冷えに震えて居りますが、

 フアンの皆様はお変はり有りませんか』……


 控室の窓の外にはしとしとと長雨が降り続いている。レッスン場での自主練習の合間、俺がスマホを開いて取り組んでいるのは、ファンに配信するモバメの執筆だった。

 ナナのスマホが自由に使えるようになった今、休業時のおくれを少しでも取り戻そうと頑張ってはいるのだが……。


「だーめー。カタい!」


 俺の書き言葉に対する林檎嬢のダメ出しは、話し言葉へのそれに比べて一層厳しいものだった。


「むぅ。十分和らげてるんだが」

「どこが!?」


 スマホの画面に綴られた「お変はりありませんか」の文面を指差し、彼女が口を尖らせてくる。


「あとここ、『は』じゃなくて『わ』だってば」

「それはあくまで簡略化された仮名遣いだろう? 正しく書いても読めるんだからいいじゃないか」

「今の人は読めないの。なぁちゃんがヘンな子だって思われちゃうよ」

「……それは良くないが」


 うぅむ、と片手で頭を押さえながらも、俺はひとまず彼女の教えに従って「は」の代わりに「わ」の文字を打ち込む。

 平成の時代に来てもう三ヶ月近くになるが、大正生まれの俺にはこの「現代仮名遣い」というやつがどうも慣れない。子供や外国人向けの特別な書き方なのかと思いきや、大の大人が読み書きする文章が全てこうなっているのには面食らったものだ。

 漢字の簡略化はまだしも、仮名遣いまで変えてしまったら最早日本語の体を成してないのではないか……?


「君達は、家事かじ火事くゎじが同じ読みでややこしくないのか?」

「? ごめん、何言ってるのかわかんない」

「そうだろうね……」


 林檎嬢のきょとんとした顔に毒気を抜かれつつ、さて何を書いたものかと思っていると、後ろからとんとんと肩を叩かれた。


「何してるの? モバメ?」


 のほほんと間延びした声。チームキャプテンの朱雀すざく先輩だった。


「はっ。失礼しました」


 俺が慌ててスマホから顔を上げて居住まいを正すと、先輩は「んー?」と首をかしげる。


「失礼じゃないよ。モバメも大事なお仕事じゃん」


 スマホの文章をちらりと覗き込んでから、先輩は室内に林檎嬢と俺しか居ないのを見回し、声のトーンを落として言った。


「ナナはさー、まだ記憶戻らない感じ?」

「……残念ながら」

「じゃあ、さ。記憶の抜けちゃったフラットな目から見て、今のチーム・クアルトはどう? みんなの関係とかさ」

「そうですね……」


 林檎嬢と目を見合わせ、俺は考える。

 小西田マキナの卒業、そして先日の事件の衝撃もようやく収まり、チームは新たな結束を深めつつあるように思うが……。

 副キャプテンを拝命したナナにこんなことを訊いてくるということは、朱雀先輩自身、チームの現状をまだまだ完璧なものとは思っていないのだろう。


「……世代間の壁をあまり感じないのは、私にとっては新鮮ですけどね」

「んー、そう思う?」

「ええ。私から見れば毎日が無礼講のようです。ただ、私は、一期違えば牛馬ぎゅうば同然という世界にしか居たことがないので、あまり参考にならないかも……」

「なにそれ、ウケるんだけど。軍隊かって!」


 ぶん、と振り下ろされる突っ込みの手を、俺はひらりと身を引いてかわした。


「ほら、先輩の鉄拳修正を避けても怒られないでしょう。軍隊だったら考えられないことですよ」

「だから、軍隊じゃないし」

「まあ、冗談はさておいて」


 まだ笑っている先輩に向かって、俺は思うままを口にした。


「このくらいの無礼講が普通かどうか、私知らないんですよ。ひょっとしたら、これでもまだ足りないのかもしれない……。大まかに、十二期以前の先輩達と、十三期及び十四期、そして十五期の子達……この間にはまだまだ壁があるような気がします」


 区切りごとに指を立てて俺が言うと、朱雀先輩と林檎嬢は揃ってうんうんと頷いてくれた。

 チーム・クアルトには現在、上は十期から下は十五期までのメンバーが所属している。その中でも、板橋峯波みなみ先輩率いる新生チーム・クアルトの発足と同時に昇格した、林檎嬢ら十三期とナナら十四期は、言わば生え抜きのクアルトメンバー。第二次板橋クアルトへの再編時に迎え入れられた十五期生や、さらにその後の再編で別チームから異動してきた朱雀先輩達とは、やはり結束の基盤を異にしている印象がある。

 もっとも、それがエイトミリオンの他のチームや、その他のアイドルグループ、もっと言えばこの時代の若者の感覚一般と比べてどうなのかは俺には見当もつかない。俺が知っているのは、鉄拳修正の飛び交う兵学校の暮らしと、桜と金帯の数で全てが決まる階級社会だけである。


「もっとくだけるのが良いのか、今程度には長幼ちょうようじょを重んじるべきなのか……すみませんが、それ以上は私には何とも」

「チョーヨーノジョってなに? まあ、言いたいことはわかるよ。ありがとね」


 それから、朱雀先輩は大仰に考え込む仕草をして、「わたしもさー」とやや上目遣いで切り出してきた。


「なんか、最近わかんないんだよね。先輩ってエライと思う?」

「そりゃまあ、ある程度はエライでしょう」

「それがさ、なんでかなって。わたしとあなた達なんて同い年だよ。なんでエライんだろうね?」

「組織への貢献年数が長いからじゃないですか」


 さらっと俺が答えると、先輩はぱちぱちと目をしばたかせて、「ナルホドね?」と妙に納得したような声を出していた。


「そっかそっかー……まあ、年数もあなた達と半年とか一年しか違わないんだけど」

「戦場での一年は娑婆での十年には当たるでしょう。というか、何の話でしたっけ、これ」

「んー? なんかね、ナナが言うように、まだまだ世代間の壁があるかもなーって。いや、壁ってほどじゃないけど、もっと世代を超えて交わってもいいと思うんだよね」

「先輩がそう仰るなら、私はそのお手伝いをするだけですよ」


 俺の隣で林檎嬢も頷く。先輩は「ほんと?」と嬉しそうに口元をほころばせた。


「じゃあさー、何かないかな? みんなが打ち解けられるイベントみたいなの。ナナ、記憶がなくても何か色々ヘンなこと知ってるじゃん」

「ヘンなこと……ですか」


 苦笑いする俺の横で、林檎嬢が「ほんっとに」と深く頷いている。


(先輩後輩の垣根を越えて打ち解けられるイベント……というと)


 問われてすぐに俺の脳裏に浮かんだのは、兵学校の短艇たんてい巡航だった。土日の自由時間を利用して、短艇カッターに七輪やら食べ物やらを積み込み、分隊の有志で宮島あたりまで漕ぎ出して一夜を明かすのである。

 先輩後輩のしきたりに厳しい兵学校にあって、巡航は唯一そのしがらみを取っ払って楽しめる、まさしく無礼講のひと時であった。

 その懐かしさに浸りつつ、俺は言う。


「やはり巡航がいいですよ。皆でカッターを漕いで島に渡るんです。空には満天の星、肌をさす冷たい風と潮の香り。七輪を囲んで気ままに巡航節じゅんこうぶしなど歌い、人生を語ってですね……」

「えー。わかんないけど却下」

「朱雀さん、やっぱ今のなぁちゃんに任せたらこうなりますって」

「……ダメですか」


 二人のじとっとした目を見て俺は肩を落とした。割と真面目に名案だと思ったのだが……。


「無礼講といえば、あとは棒倒しくらいしか」

「なにそれ?」

「運動会の一種目ですよ。この時ばかりは先輩を殴ったり蹴り飛ばしたりしてもいいんですが……はい、ダメですね。ダメでしょうとも」


 俺が自ら第二案を撤回したところで、林檎嬢が「あ、でもでも」と身を乗り出した。


「歌って語るのは普通にいいですよね。カラオケ大会とか!」

「あー、いいねー。エイトミリオンの曲禁止大会とかねー」

「あ、楽しそう!」

「敢えてのね? 今日だけお仕事忘れちゃえ的なね」


 たちまちワイワイと盛り上がる二人。カラオケという遊戯は俺も一度経験してみたいと思っていたし、ちょうどいいかもしれない。


「じゃあ、ナナ、みんなの予定確認して企画してよー。エイトミリオン禁止カラオケ会」

「はっ。承知しました」


 遊び程度の敬礼で答えた直後、俺はふと思い至る。


(いや待て。エイトミリオンの曲禁止……だと……?)


 新たな受難を感じる俺と裏腹に、朱雀先輩と林檎嬢は、にまっと楽しそうに笑っていた。

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