第2章 瀬戸内エイトミリオン出航編(未完)
第14話 風を待つ
「この世界では、ユミコと申します」
しとしとと降る雨の中、青色の傘に半身を隠して、少女はふわりと俺達に微笑みかける。
白い長丈のワンピースに小さなポシェット。身長百五十五
片手でかき上げられた黒髪がかすかに風に揺れ、真白い
(『この世界では』……?)
俺は林檎嬢を庇う位置に半歩踏み出し、彼女と正対する。
「……まるで、こことは違う世界から来たかのような口ぶりだね」
言いながら、俺は慎重に彼女の佇まいを観察していた。
見たところ非武装だが、あのポシェットや傘の中に何を仕込んでいるか分かったものではない。こちらの武器は林檎嬢に持たせた傘くらいだが、相手がそこらのチンピラ以上の技能を有していたとしたら、果たして彼女を守りながらどこまで戦えるか。
――今度からはちゃんと大人を頼りなさい。次やったら守りきれないからね――
そうだ、これからもナナとしてアイドルを続けるならば、その約束を
(襲ってきたら逃げるしかない……が……)
俺が後ろに手を伸ばし、林檎嬢の手を握ろうとした、そのとき。
「そんなに身構えないでください。怪しい者じゃないですよ」
張り詰めた空気を
確かに敵意はなさそうだが、しかし……。
「……ユミコさんは、海兵が何か知ってるの」
かろうじて女言葉を作って俺が問うと、彼女はくすっと笑って答えた。
「海軍兵学校ですよね。もちろん知ってますよ。わたし、今は広島に住んでるんです」
「林檎さんのモバメで見ましたよ。ナナさんが最近、軍人さんにハマっちゃってるって」
「……どうかな。私が好きなのは陸軍かもしれないよ」
「くすっ、そんなことないでしょう。陸軍の人は、船に乗ってあんなにはしゃいだりしませんよ」
一瞬、
俺が言葉を継げずにいると、彼女は涙袋の目立つ黒い瞳で俺をまっすぐ見据えて言った。
「ユミコは、昔からギャルソンが好きだったみたいで」
「みたい?」
自分のことなのに、なぜそんな言い方をする……?
「だから、わたし、例のギャルソンの事件でナナさんのことを知ったんです。それから、休業する前と後のナナさんの映像を色々見て……今のナナさんとお話してみたいと思って。その一心で、東京まで出てきました」
「……なぜ、私が今日、ここに来ると?」
「今日かどうかは分からなかったです。だけど、ここで待ってればきっと会えると思いました。この場所は、英霊達の待ち合わせ場所ですから」
にこっと微笑んでくる彼女に、俺は得体の知れない寒気を感じ、今にも後ずさりそうになる足を必死に踏みとどまらせていた。
とても憧れのアイドルに会いたくて上京してきたファンという雰囲気ではない。先程から言葉の端々に滲むこの感じ。そう、俺の正体を見透かしているかのような、この飄々とした感じは……。
「わたし、ナナさんと色々お話したいです。よかったら、どこかカフェにでも入りませんか?」
少し
正直、その誘いに俺としても興味を惹かれないわけではなかった。
もし、彼女の正体が俺と同じなら……。彼女と情報交換することで、俺の魂がナナの身体に入ってしまった理由や、この身体をナナに返す手段についても手がかりが得られるかもしれない。
だが……。
「……君はどこの所属だ? 階級、姓名は?」
俺の問いに、彼女は微笑みとともに答える。
「聖ヨハネ音楽大学一年生、
――なるほど、それなら。
「それなら、これ以上外でお話するわけにはいかないよ」
「えっ?」
俺の言葉に、ユミコは初めて目を丸くした。
こちらとしても、彼女と語り合いたいのはやまやまだが……。
今の俺は、エイトミリオンの大和ナナとして生きる覚悟を決めたばかり。ならば、後ろの先輩の教えを無視するわけにはいかない。
「今の私はアイドル大和ナナだからね。ファンの中でユミコさんだけ特別扱いはできない。お話したいと思ってくれるなら、握手会で待ってるよ」
「……くすっ。そうですね、わかりました」
納得した表情でユミコは笑い、ぺこりと小さくお辞儀をしてきた。
「プライベートを邪魔して失礼しました。次にお会いできる時を楽しみにしています」
すっと静かにきびすを返し、雨の境内を彼女は去ってゆく。青い傘と白いワンピースの背中が、俺の網膜にずっと残影を残していた。
「……あの子、ちょっとコワかったね」
相合傘に俺を入れながら、林檎嬢がぽつりと言ってくる。
「ひょっとして、あの子も今のなぁちゃんと同じだったりして」
「……どうだろうね」
靖国の社殿を振り仰ぎ、俺は考える。
ここに来れば会えると思ったと言っていたが、来るかどうかも分からない
「……この場所を『待ち合わせ場所』なんて言うのは、俺達くらいだよ」
呟かずにはいられなかった俺の一言に、林檎嬢が「え?」と首をかしげてくる。
「神社が待ち合わせ場所って? どういうこと?」
「俺達だけが分かってればいいのさ」
「なんかズルいー。あの子とだけそういう世界共有しちゃう感じ?」
「いや、まだ何とも……」
あの少女が思わせぶりなことを言って俺をからかっただけ、という可能性もないわけではない。何にせよ、正体を見極めるには時間が掛かりそうだが――
「周防ユミコ……長い付き合いになりそうだ」
青と白の立ち姿を思い返し、俺はその名を空に呟く。
時に二〇一六年
二色の旗に誇らしく風を孕ませ、海鳥達を率いて暗闇を切り拓く航海の、それは遠き序章に過ぎなかった。
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