第4話 アイドルの王者(2)

指宿いぶすきリノ?」


 俺はドライヤーを手にしたまま、林檎嬢の告げた名前を鸚鵡オウム返しした。勿論、俺の知らない名前だ。俺がこの時代で名前を知っている人物は、大和ナナと光島みつしま林檎、あとはマネージャーと女医だけである。

 林檎嬢はワタワタと両手を動かしながら病室に滑り込み、「早く髪っ!」と俺の手からドライヤーを取り上げた。

 有無を言わせず俺の髪に温風を浴びせ始める彼女に、俺はされるがままになりながら問う。


「どういった方だ?」

「エイトミリオングループの女王だよ!」

「なに。皇族か!」

「……いや、違うけど」


 俺が条件反射で背筋をぴんと伸ばすと、林檎嬢は呆れた顔をした。俺の髪をかき回しながら彼女は続ける。


「総選挙で一位になった人ってこと。しかも二回も」

「なるほど、政治家か」


 どうやら「大和ナナ」の家は金持ちのようだし、議員が見舞いに来てもおかしくはないだろう。

 そういえば、この時代の選挙の仕組みはどうなっているのだろうか。俺の頃と同じだとすると、女子の身体になってしまった以上、二十五歳になっても選挙権は得られないのか……。


「ちがう。そういう選挙じゃなくてっ」

「? 選挙で選ばれた者が政治家じゃなければ何なんだ」

「とにかくエライ人。軍隊で言ったら大将さんくらいの!」

「なに、大将!?」


 俺が目を見開くのと、彼女が「よしっ」とドライヤーを置くのと、病室の扉が軽い調子でノックされるのは全て同時だった。


「はいっ!」

「おはよー。何をそんなに賑やかに……」


 扉をスライドさせて入ってきたのは若い女性だった。茶色い長髪を例によって肩に垂れ流し、黄色い薄手の上着を羽織っている。この方が「エイトミリオングループの女王」、大将級の存在……!


「お目にかかり光栄であります、閣下!」


 俺は彼女の正面で直立不動の姿勢を取り、びしりと挙手きょしゅ注目ちゅうもくの敬礼(つまり一般に言う「敬礼」のことである)をした。


「へ?」

「私は大和ナナであります」

「見ればわかるって。え、何そのノリ」


 彼女は愛嬌のある口元に苦笑いを浮かべ、ふわりと答礼を返してきた。


「元気そうじゃん」

「はっ。ご心配をお掛けしておりますが、大和ナナは変わらず元気であります」


 腕を下ろして受け答えする俺に、彼女はぱちぱちと目をしばたかせる。

 これが、エイトミリオングループ序列第一位、指宿いぶすきリノ閣下と俺の初めての出会いであった。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「ねえ、林檎ちゃん。ナナちゃんってマジメだとは思ってたけど、前からこんなキャラだった?」

「……いやー、昨日からですね」

「ふぅん……」


 屋上へ向かうエレベーターの中、指宿閣下はちろりと値踏みするような視線を俺に向けてきた。俺はといえば、林檎嬢の隣に立ち、「気をつけ」の姿勢で口を真一文字まいちもんじに結んだままである。

 せめて少しでも秋葉原エイトミリオンのことを勉強した後ならよかったのだが、こうなってしまったものは仕方がない。ナナを演じる上でボロが出ないよう、今はとにかく余計なことを喋らないようにしなければ……。


「大丈夫? 記憶喪失にでもなった?」


 閣下が俺の顔をひょいっと覗き込んで訊いてきた。流石に女王と呼ばれる方の慧眼けいがんである。俺の、というかナナの身に起きたことを一瞬で見抜いてきたらしい。


「いえ、問題ありません。私は秋葉原エイトミリオン・チーム・クアルトの大和ナナ、神奈川県出身の十八歳、あだ名は『なぁちゃん』であります」


 林檎嬢のヒヤヒヤした視線を横目に、俺は答えた。これなら記憶喪失であるともないとも言っていないので、閣下に嘘をついたことにはなるまい。「軍人要領を本分ほんぶんとすべし」である。


「そう……。わたしのことはわかる?」

「はっ。恐れ多くも総選挙第一位の女王、指宿リノ閣下でいらっしゃいます」


 彼女に関して唯一知っていることを俺は述べた。誤魔化しでしかないが、これも「要領を本分とすべし」だ。

 総選挙の一位というのが具体的に何を意味するのか俺には全く分からないが、海軍の先任順位ハンモックナンバーのようなものだとすれば、要は同じ期の中で最も出世が早いということである。軍隊でいえば大将というたとえも頷けるというものだ。


「……ま、いっか」


 閣下がくすりと余裕をたたえた笑みを見せたとき、昨日も聞いたポーンという音とともに、エレベーターが屋上へと到着した。




康元やすもとさんに言われてさー。ナナちゃんの様子を見てこいって」


 腕を広げ、気持ちよさそうに風を浴びながら、指宿閣下は無造作に俺達を振り向いて言った。半乾きの髪がほおに貼り付くのを感じながら、俺は「はい」と頷く。

 閣下の口振りからして、康元さんというのはナナも知っている人物だろう。秋葉原エイトミリオンの関係者だろうな、と俺が当たりを付けたところで、横から林檎嬢が助け舟を出してくれた。


「プロデューサーが直々に言われたんですかっ。康元先生ほどの大物がなぁちゃんを気にかけて下さってるんですね!」


 producerプロデューサー……演劇やオペラ等の演出家、あるいはレコード等の製作者。なるほど、秋葉原エイトミリオンの公演を取り仕切っている親玉ということか。

 俺は林檎嬢に目で礼を言い、閣下に向き直った。


「康元先生ほどの方からお気遣いを賜り、身に余る光栄であります。しかも、多忙を極める指宿閣下が私などのために直々に足をお運び下さるとは、恐縮の極みであります」


 俺が言うと、閣下はなぜか笑いをこらえきれないような顔になっていた。


「うん、なんかスゴイ持ち上げられてるのはわかったけど。もうちょっと普通に話しなよ」

「はっ……善処します」


 背中に冷たい汗が伝うのを感じる。ひとまず怒られている訳ではなさそうだが、俺の口調が「ナナ」として不自然なのはどうやら間違いない。それを証明するように、林檎嬢が慌てて横から口を出してきた。


「すみません、なぁちゃん、戦争物の映画を見て軍人さんにハマっちゃったらしくて。あはは」

「へー。なんて映画?」

「はっ!? えー、それは、『上海シャンハイ陸戦隊りくせんたい』、それに『ゆる大空おおぞら』です」


 聞かれて咄嗟に俺は答えた。どちらも本当に観た映画だ。

 後者は陸軍の映画だが、最新鋭の戦闘機や重爆撃機の実物が大量に使用された、見応えのある作品だった。元々は駆逐艦くちくかん勤務を希望して海軍兵学校に入った俺だが、航空要員不足の折、教官達の説得ですんなりと航空畑に進むことを決意できたのは、帰省時に観たこの映画の影響もいくらかあったのだ。


「ゴメン、知らないなー。いつの映画?」

「……『上海陸戦隊』は昭和十四年、『燃ゆる大空』は昭和十五年公開です」


 言いながら、俺は「しまった」とばかりに身を縮み上がらせていた。つい咄嗟に題名を挙げてしまったが、平成生まれの大和ナナが俺の時代の映画を知っているはずがない。

 しかし、閣下の反応は意外とあっさりしていた。


「ずいぶん昔の映画が好きなんだ。まあ、今はアマゾンとかで何でも観れるもんね」

「はい。古いアマゾンを取り寄せて観ました」


 なるほど、この時代の技術をもってすれば、昔の映画を観るくらいのことは造作もないのか。おかげで命拾いした。

 文脈から察するに、アマゾンというのはレコードの映画版のようなものだろう。林檎嬢の持っていた動画装置は、音楽で言えば蓄音機プレイヤーにあたるものだろうから、それに掛けて再生するためのフィルムが色々売られているのだろうな。便利な時代だ。


「そうだ、ナナちゃん」


 閣下はぽんと手を叩いて俺の顔を見てきた。その口元に「面白いことを思いついた」と書いてある。


「歌得意なんでしょ? 何か歌ってみてよ。ちゃんとソロで聴いたことないからさ」

「はっ。歌……ですか」


 一つ窮地を乗り越えたと思った矢先、またも俺の身体は硬直した。

 林檎嬢も途端にアワアワとしている。とにかく自然に振る舞わなければ、ナナが記憶喪失になったことがバレてしまう。


「では僭越せんえつながら、大和ナナ、歌わせて頂きます……こほん」


 咳払いで時間稼ぎをしながら、映画の話の二の舞にならないようにと俺は必死に考えた。流行歌というのは流行はやすたりが激しいので、まさか「旅の夜風」や「上海の花売娘はなうりむすめ」なんか大和ナナは知らないだろう。軍歌や国民歌謡などもってのほか。ああまったく、閣下に恨み言を申し上げるなど恐れ多いが、せめて俺が秋葉原エイトミリオンの歌を一曲でも覚えたあとで見舞いに来てくれれば……!


(! そうだ、オペラなら)


 俺は閃いた。浅草オペラなら大丈夫だろう。何しろ、俺が生まれる前には劇場が被災して無くなったのに、その後も有名な曲は歌い継がれていたのだ。これなら平成の世にも残っていておかしくないし、何にせよ、もうあれこれ考えている時間はない。


「……ワイフもーらって、嬉しかったが、いつも出てくるおかずはコロッケ」


 後ろに手を組み、胸を張って俺は歌った。これでも歌には多少の自信がある。小学校の時分には音楽の授業でよく褒められたものだ。


「今日もコロッケ、明日あすもコロッケ、これじゃ年がら年中、コーロッケー……ワーハハッハ、ワーハハッハ、こりゃ可笑おかし」

「待って、待って待って。何その歌。オモシロすぎるんだけど」


 俺が一番を歌い終えるそばから、指宿閣下は腹を抱えて笑っていた。林檎嬢の困ったような苦笑いが対照的である。


「浅草オペラの『コロッケのうた』です。……あの、ご存知ありませんか」

「ご存知ないって! おかしすぎ、何それ」


 怒っているのではない……よな?

 意外なほどけらけらと笑う閣下の姿に、俺が恐縮しきっていると、ややあって笑いの収まった彼女は「ふぅ」と息をついてから言った。


「まあ、うん、あなたがコロッケに恨みがあるのはよーくわかった。番組の企画で変なコロッケ食べさせられてたもんね。……どうやらホントに記憶喪失じゃなさそうで安心したわ」

「……恐縮です」


 何だかよく分からないが、誤魔化しきれたらしい。図らずも林檎嬢と一緒に俺が安堵の息を漏らしたところで、閣下はふわりふわりと俺の前まで歩み寄ってきて、じっと目を覗き込み、言った。


「あなたが苦しんでたのは何となく知ってる。……だけど、こんなところで辞めるなんて言わないわよね」

「……はっ」


 今の今まで楽しそうに笑っていた彼女とはまるで別人のよう。深淵の宇宙を映したかのような漆黒の瞳が、ぎらりと俺の目を見据えている。

 その眼力に射竦いすくめられ、俺は思わず息を呑んだ。


「今年の総選挙、わたしにはもう票読みが見えてる。マユちゃんは去年から一万票上乗せが限度だろうし、ユキちゃんもあんなことになっちゃったし。ジュリナやサヤ姉が頑張ってるって言ったってまだまだ相手にならない。皆わかってるはずよ。


 銀河の重力を宿す漆黒の瞳に、緊張に張り詰めるナナの顔が映っている。


「――だけど、そんなグループで皆楽しい? わたしは全然楽しくないな。一人じゃ足りない。一人じゃ駄目なのよ。何人ものメンバーが頂点を争い、競い合って切磋琢磨し合ってこそ、わたし達は強いグループであり続けることができる。……そのためにはね、ナナちゃん、林檎ちゃん」


 俺と林檎嬢に素早く視線を振り、女王は続けた。


「あなた達、『本店』がもっと強くならなきゃいけない。わたしみたいな、支店に移籍したはみ出し者を女王と崇めてるようじゃ駄目。グループ全体が秋葉原の名前を冠し、秋葉原の名前でCDを出してる以上、本店のメンバーにこそグループを盛り上げる責任があるんだし、そうなってこそ支店のメンバーもより輝くことができるのよ」


 その真剣な言葉の響きに俺が背筋を伸ばして傾聴していると、閣下はすっと俺の肩に片手を載せてきた。身を引くことなどとても出来なかった。


「あなたはその本店の柱になれる子だと皆が思ってる。だから、今辞めるなんて無責任な真似は、他の誰が許してもわたしが許さない」

「は……あの、私は」


 彼女は俺を大和ナナだと思って話している。こんな大事な話を他人の俺が聞いていていいものか。やはり、このまま偽り続けるくらいなら、いっそこの方には本当のことを打ち明けて――。

 俺が逡巡しゅんじゅんしていると、横から林檎嬢が明るい声で言ってきた。


「大丈夫ですよ。この子は辞めたりしません」


 閣下と俺が揃って顔を向けると、彼女は真面目な笑顔で。


「なぁちゃん、意識が戻らない間も、ウワゴトみたいに言ってたんですよ。『役目を果たして倒れるなら本望だ』……それに、『皆が待ってる』って」

「っ!?」


 彼女の言葉に俺は驚愕した。それは、俺が散華さんげの間際に機上で口にした台詞……!


「だから大丈夫です、この子は戻ります。メンバーとファンの皆さんが待ってるステージに」

「いや、それは、戦友が靖国やすくにで……」


 言いかけて、俺は口をつぐんだ。それで話の辻褄が合うならいいじゃないか。軍人要領を本分とすべし、海軍で言うところの後はアフター野となれ・フィールド山となれ・マウンテンだ。


「なぁに?」

「いえっ。私、大和ナナは、死力を尽くして本店を盛り上げる所存であります、閣下!」


 俺が開き直って声を張り上げると、閣下はくすりと笑って俺の肩から手を放し、一歩離れて言った。


「三年で七姉妹セブン・シスターズに入りなさい。そして本店の顔になりなさい。わたし達エイトミリオングループが、アイドル界の王者であり続けるために」

「はっ!」


 最後にびしりと敬礼した俺に、やはり笑って答礼を返し、指宿閣下は黄色い上着を風にはためかせて屋上を後にした。その颯爽たる後ろ姿を見送りながら、俺は、とんでもないことを約束してしまったぞと肝を冷やしていた。

 やはり、ナナ本人がこの身体に戻ってくるその日まで、俺は彼女の代わりにアイドルをやらなければならないのか。それも、伊達だて酔狂すいきょうでは済まない重大な使命を帯びて……!


「……乗りかかった船、か」

「そうだよ。指宿さんがあそこまで言ってくれたんだもん、一緒にがんばろっ」


 林檎嬢が調子に乗って腕を組もうとしてくるのをひらりとかわし、そうだな、と俺は首肯する。

 やってみるしかないだろう。やれるところまで。どうせ一度は死んだ命だ。


 時に二〇一六年春。まだ見ぬアイドル界の大海原へ、俺が漕ぎ出す決意を固めた瞬間だった。




 ✿ ⚓ 歌詞出典 ⚓ ✿


「コロッケの唄」(1917年)

 作詞:益田太郎冠者(1953年没)

 2003年著作権保護期間終了


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る