第10話 涙は後回し(2)

「皆さん、こんばんは。チーム・クアルトの大和ナナです。えー、通信感度はいかがでしょうか」


 俺が向かって喋っているのはマネージャーから借りたタブレットである。リビングのテレビの前に立て掛けたそれの画面には、内蔵カメラで今まさに映されている俺と林檎嬢の顔と、その横に流れるファンからの同時通信メッセージが表示されている。


「林檎さん、ちゃんと出来てるでしょうか?」

「うん、いいと思うよ。ホラ、『ちゃんと見えてるよー』だって」

「これはファンの皆さんが今打ったコメントが出てるんですよね?」

「多分そうだよ。ホラホラ、もう三千人視聴だって」

「いやあ、凄い技術ですね、さすが私達の二十一世紀。――さて、皆さん、改めて、ご機嫌いかがですか」


 俺の呼びかけに応える声はないが、かわりに無数のコメントが画面の枠内を流れていく。ファンには俺達の姿と声が生放送で伝わっており、彼らは拍手や歓声の代わりにコメントで歓喜を表してくれているのだ。


「えー、このSHOWショーROOTルートというのは、エイトミリオンで初めての試みということで。私達もドキドキなら、皆さんもドキドキというところでしょうか。こちらから皆さんの顔が見えないのが残念ですが……」


 いよいよ投票開始まで一ヶ月を切った今年の選抜総選挙。メンバー各自の選挙公報の一環として、エイトミリオン運営部が鳴り物入りで用意した新サービスが、このSHOWROOTだった。

 運営部からは「リアルタイム動画配信」と説明を受けていたが、ラジオやテレビのような一方向の情報発信と異なるのは、視聴者側からも一対一の電信のようにコメントが返ってくることだ。何千人もの相手と同時に通信して、周波数の競合が問題にならないのが不思議だが、まあ、それは置いておいて。

 林檎上にも先駆けて、俺が早速この新技術に手を出したのは他でもない。総選挙の投票のお願いも勿論だが、何よりファンにお礼を言いたかったのだ。


「今日の公演で発表させて頂きましたが、わたくし大和ナナ、このたび小西田マキナの代理で、44thシングル『羽根があるなら』の歌唱メンバーを務めさせて頂くことになりました。これも皆さんの日頃の応援のおかげです。本当にありがとうございます」


 画面に向かって俺は深々と頭を下げた。ナナの長髪がはらりと乱れるのを手櫛で直し、俺は再びカメラに向き直る。一緒に映ってくれている林檎嬢が、ファンの「おめでとー」などのコメントに同調するように小さく拍手をしてくれた。

 皆に一番伝えたかったことが伝えられたので、ふうっと一息ついて、あとはフリートークである。ナナが話しそうな話題を選ぶとしよう。


「明日は横浜で握手会ですね。パシフィックホールは、東京湾に面した綺麗な会場と聞いています」

「なぁちゃん」

「もとい、覚えています。……えー、東京湾といえば、レジャー島、フォートアイランドというのが話題らしいですね。fortって要塞のことですが、そう、あれって昔は日本軍の海堡かいほうだったのを皆さんはご存知ですか」


 少し間を置いてコメント欄を見ると、何十人ものファンが口々に「カイホーって何?」などと打ってきていた。ふむ、と頷いて俺は続ける。


「海堡っていうのは、敵艦船の侵攻を阻むために造成される人工島のことでして。明治から大正にかけて、東京湾内には陸軍さんが第一、第二、第三と海堡を作ってたんですよ。でも、巨額の資金と三十年の歳月をかけてやっと完成した第三海堡は、惜しいかな、僅か二年後に関東大震災で壊れちゃったんです。残念ですよね。第二海堡も同じく震災で壊れてたんですが、こっちは後に海軍が再利用して……」

「なぁちゃん、もうちょっとアイドルらしい話しよ?」


 林檎嬢が横からくいくいと服を引っ張ってきた。コメント欄にたちまち「www」と笑いの表現が並ぶ。おっと、ナナはこんな話はしないか……。


「アイドルらしい話。そうですね、えー……。そうそう、先日、コンビニのアイスを初めて賞味しまして……色々な種類のものが売られているのにビックリしました。でも、ダーゲンハッツのクッキークリームっていうのを頂いたんですが、私の舌には甘さが強すぎるというか。もうちょっと、こう、甘さを抑えた味のもので、皆さんのオススメがあれば握手会で教えてください」


 今度は話題も林檎嬢のお眼鏡に適ったようで、彼女は俺の横でうんうんと頷き、カメラに向かって「わたしはフルーツ系が好きでーす」なんて言っていた。

 コメントの流れはますます盛り上がっているが、あまり長く話すのも上品ではないので、ここらで切り上げておこう。


「はい、というわけでね、選抜総選挙の投票もいよいよ今月末から始まります。CDって『発売日』の前日が本当の発売日なんですね。ちょっとズルイですよね。……大和ナナ、今年は十六位圏内を本気で目指してますので、皆さんの清き百票をどうかお願いします。では、明日の握手会にいらっしゃる方は会場でお会いしましょう。以上、終わり」


 名残を惜しむファンのコメントをしばし目で追い、俺は配信を止めた。「よくできましたー」と林檎嬢が笑顔で労をねぎらってくれる。ふーっと深く息を吐き、タブレットを仕舞おうと俺が立ったところで、ちょうどテレビの横に置いてあるナナのスマホが小さく振動バイブレーションした。


「リマインダーか……」


 スマホを取り上げて画面を見るが、パスコードがわからずロックが解除できないので、俺にわかるのは明日という日にナナが何らかのスケジュールを登録していたことだけだ。握手会の日程は相当前から発表されるようだから、きっとそれを入れていたのだろう。

 ナナが「忘れない日付」を設定していたという八桁のパスコード。ナナの誕生から現在までの日付を総当たりで試してもせいぜい七千回程度なので、時間を掛ければいつかはロックを破れそうにも思うが、そこはそれ、敵もさるもので、連続してパスコードの入力を間違えるとしばらくの間は次の入力を受け付けなくなるという仕組みになっていた。早々にそれが分かっていたので、今や俺はロックの解除を諦め、着信があった際は別の電話機(大抵は林檎嬢のスマホ)で掛け直すようにしていたのだ。


「……そのスマホって、今のなぁちゃんみたい」


 林檎嬢がぽつりと言った言葉に、俺は「えっ」と首をかしげた。


「今は見れないだけで、そこには前のなぁちゃんが入れた予定が色々入ってるんだよね」


 小さくナナのスマホを指差し、彼女は口元をほころばせて続ける。


「わたし、六月十五日が誕生日でしょ。総選挙の開票の直前だから、お祝いするにはちょっと慌ただしいねーって。だから総選挙が終わってからお祝いしましょうって、なぁちゃん言ってくれたの。一緒にお休みが貰えるはずだから、前から気になってた場所に行こーって」


 楽しそうに語る彼女の顔を見ていると、少しばかり心が痛んだ。

 彼女は未だに信じてくれないが、ナナではない俺には、ナナしか知らないことは永遠に思い出せない。ナナと約束した場所とやらに俺が彼女を連れていくことはできないのだ。


「……林檎さん、俺は」

「でもでも、いいの」


 俺が謝ろうとすると、彼女はそっと指先で俺の言葉を遮ってきた。


「前のことを思い出してくれるまでは、今のあなたと新しい思い出を作っていけたらいいなって」

「……そうだな。そうしよう」


 俺は努めて笑い返した。それ以上のことを考える余裕は今はなかった。

 所詮はナナがこの身体に戻ってくるまでの繋ぎに過ぎない俺だが、今は今の俺に出来る限りのことをしなければ――。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 翌日の握手会は、大型連休の真っ只中ということもあって大盛況だった。林檎嬢と俺は例によって第二部からの参加となり、大挙して押し寄せるファン達に一人一人丁寧な対応を続けた。

 総選挙で十六位圏内選抜入りを成し遂げるためには、目の前のファンの一人としてないがしろにしてはならないのだ。


「はじめまして、ナナちゃん」

「おっと、その手は食いませんよ。先日もいらして下さったじゃないですか」

「おぉ、わかるんだ。じゃあ俺のニックネームは?」

「シゲちゃんさんですよね。井上成美しげよし大将と同じお名前なのでよく覚えてます」

「井上……え、誰?」

「お時間です」

「総選挙、よろしくお願いしますね!」


 そんな感じでファンの前に立ち続けながら、合間の時間には裏でメンバー達とコミュニケーションを図ることも俺は忘れなかった。単に仲間同士で仲良くやっておくべきだからというのもあるが、それ以上に、マキナと同じ目に遭うメンバーをもう絶対に出してはならないという思いがあったからだ。

 チーム・クアルトの朱雀先輩は勿論のこと、総監督とチーム・オータムのキャプテンを兼務する木津川先輩や、チーム・リーヴスを率いる板橋先輩、さらには俺としては面識のなかった他支店のチームキャプテンにも積極的に接触し、各チーム内でギャルソンの男子達と共演の予定があるメンバーはいないかを聞いて回った。名古屋エイトミリオンで例の「Jの方程式」に出るというメンバーがいたので、勿論マキナの事情は伏せたまま、とにかくギャルソンの連中が共演者の女子を狙っているからと説明し、絶対に収録外で会話するなと言い含めた。名古屋の子はキョトンとして「はぁ」と返すだけだったが、ひとまず俺の意図は伝わったようだった。


 そして、夕方の休憩時間、俺は意を決してあの指宿いぶすきリノ閣下にも会いに行った。閣下は博多エイトミリオンの若い子達に囲まれて談笑していたが、俺が彼女達の控室を訪れると、すっと立ち上がって廊下まで出てきてくれた。

 直に顔を合わせるのは病院以来である。彼女の前に立つと自然に背筋が伸びた。


「頑張ってるじゃん、ナナちゃん」

「はっ。閣下のお言葉を片時も忘れず、日々精進しております」

「それで、どうしたの? 今日は随分あちこち駆け回ってるみたいだけど」


 閣下の黒い瞳が俺をぎゅんと見据えてくる。全身が緊張に強張る中、周囲に人目がないことを確認し、俺は小声で切り出した。


「小西田マキナの件、閣下はご存知でしょうか」

「え? ……どこまで知ってるか、ってこと?」

「はい」


 それ以上は俺如きが説明などするまでもないようだった。全てを見通したような閣下の双眸そうぼうが、きらりと俺の目を覗き込んで、それからすっと横に流れた。


「まあ、大体のことは見ればわかるよ。マキナちゃんは辛かったね。あなたも辛かったでしょ」

「ええ……」


 やはり、俺如きが説明するまでもなく閣下は全てを察している――。ごくりと息を呑んで、俺は本命の請願を述べた。


「メンバーが彼らの毒牙にかからぬよう、閣下からも注意喚起をお願いできないでしょうか」


 指宿閣下は博多においてメンバー兼劇場支配人という特別な立ち位置にある。同時に秋葉原本店の元古株でもあり、選抜仕事を通じて各支店の有力メンバーとも親しく、そして何より女王の貫目がある。エイトミリオン全域に注意を行き渡らせられる者がいるとすれば、彼女を置いて他にありえない。


「ふぅん。そっか、それを頼みに来たってわけね」


 値踏みするような視線が再び俺を捉えた。そこに余計なやりとりや察しの悪さは微塵もなかった。


「……わかった。こっちのことは任せて、あなたは自分の戦いに専念しなさい」

「ありがとうございます!」


 俺がぴしりと十度の敬礼おじぎをすると、閣下はふっと笑って挙手の答礼(普通の敬礼である)を返してくれた。


「選抜で一緒に歌うのも、楽しみにしてるね」

「はい!」


 博多の子達のもとへときびすを返すその背中を見送り、俺は確信していた。この方に任せておけば大丈夫だと。


 ……そう、この時の俺は、まだ知らなかったのだ。

 彼女がなぜいま博多に居るのか、日本中の誰もが知るその理由を――。

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