【飛羽隼一の海軍ワンポイント講座 vol.3】


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 本作『NAVY★IDOL』をご覧の皆さん、こんにちは。大和やまとナナこと飛羽ひば隼一じゅんいちです。

 作中の事物や用語に絡めて、帝国海軍や私の時代の豆知識を皆さんにご紹介するこのコーナー。今回は第6話・第7話からの内容をお送りします。コーヒーの角砂糖程度のつもりでお気軽にご覧下さい。




 ✿ ⚓ 第6話「アイドルなんて呼ばないで」より ⚓ ✿



【コレス】


 作中で、秋葉原十四期の大和ナナと博多二期の賀集かしゅう我叶わかなが「コレス」だと言っている箇所がありますが(第5話及び第6話)、これは英語のcorrespondコレスポンド(一致、対応)に由来する海軍士官の隠語であり、「他校の同期生」を意味します。

 海軍には、私の出た海軍兵学校(広島県・江田島)のほか、海軍機関学校(京都府・舞鶴)、海軍経理学校(東京・築地)という二つの士官養成機関がありました。兵学校を出た者は砲術や操艦など戦闘の中心を担う兵科士官、機関学校を出た者はエンジニアリングの専門家である機関科士官、経理学校を出た者は事務方を司る主計しゅけい科士官として、それぞれ別の道を歩んでいくことになりますが、各学校の同じ年の卒業生同士は「コレス」として交流を持つこともあったのです。私の属する海軍兵学校71期の場合、機関学校52期、経理学校32期がコレスにあたります。

 もっとも、エイトミリオンの各支店は毎年同じ時期にオーディションを行っているわけではありませんから、支店間で「コレス」にたとえられる関係が成り立つことは、それほど多くないようですね。



高輪たかなわ芳子よしこ心中しんじゅう事件】


 ムーランルージュ新宿座については以前もお話ししましたが、これはその黎明期、まだムーランの知名度や人気が芳しくなかった頃の話です。

 モボ、モガという言葉は皆さんもご存知でしょうか。モダンボーイ、モダンガールの略であり、大正末期から戦前にかけて、当時最先端の流行ファッションに身を包んだ都会の若者達のことをこう呼びました。

 中でも、モボの代名詞として知られた人物に、中村進治郎という若手作家がいました。彼は男性雑誌「新青年」にファッション記事の連載を持ち、「モボの統領」と呼ばれ、現代でいうファッションリーダー的な立ち位置として大変な人気を誇っていました。

 ところが、1932(昭和7)年12月。その中村が、ムーランの無名歌手であった高輪たかなわ芳子よしこと恋に落ち、アパートの自室でガス心中を図るという事件が起きたのです。高輪芳子はそのまま命を落としましたが、中村は一命を取りとめました。中村26歳、高輪芳子18歳の出来事です。

 人気絶頂にあった中村進治郎の突然の心中騒ぎとあって、当時の新聞は「歌姫情死事件」というセンセーショナルな見出しでこの事件を大々的に報道。皮肉にも、この事件こそがムーランルージュ新宿座の名を一挙世間に知れ渡らせ、その後のムーランの隆盛の切っ掛けとなったのでした。

 中村は嘱託しょくたく殺人の罪で執行猶予付きの判決を受け、娑婆に戻りましたが、この心中事件が売名目的ではないかとして世間から苛烈なバッシングを受け、文壇から実質追放されてしまいます。そして、事件から2年後、自室で大量の睡眠薬をあおり、28歳で儚く世を去ることとなりました。

 恋に溺れたアイドルと青年作家の悲劇……。道ならぬ恋が時として死にも繋がっていたあの時代を思うにつけ、若い人達が恋だ愛だとオープンに語れる現代の世の中には、改めて平和を実感せざるを得ません。



【特殊喫茶(カフェー)】


 私の時代、「カフェー」というと、皆さんが思い描く「オシャレな喫茶店」のことではなく、風俗営業としての「特殊喫茶」のことを指しました。女給じょきゅうと呼ばれるウェイトレスが客に過激なサーヴィスをする店ですね。こうした店は関東大震災の直後あたりから急速に広まり、浅草の「オリエント」、銀座の「カフェー・ライオン」、そしてライオンのはす向かいに開業して熾烈な競争を繰り広げた「カフェー・タイガー」など、多くの有名店があったようです。皆さんの時代でいうところのメイドカフェに近いもの……と言うと、その道の方からは怒られるでしょうか。

 私は勿論そういう店に入ったことはありませんが、永井ながい荷風かふうの「つゆのあとさき」や、菊池きくちかんのカフェー通いを取り上げた広津ひろつ和郎かずおの「女給」、また谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろうの「痴人ちじんの愛」など、小説を通じてカフェーのことを知る機会は多かったですね。

 ちなみに、「純喫茶」とは、こうした特殊喫茶カフェーに対し、純粋にコーヒーを出す店という意味で、昭和初期に出来た言葉です。




 ✿ ⚓ 第7話「愛の修行」より ⚓ ✿



【隠語あれこれ】


 海軍の隠語については本編でもここでも度々話題にしていますが、とかく猥談に関する隠語は多くありました。隠語というものの性質を考えれば無理からぬことかもしれません。

 助平すけべのことを、「助」の英訳のヘルプから取って「ヘル」といいますが、この「助平ヘル」一つから様々な派生語が生まれているのです。猥談は「ヘルだん」、卑猥な写真ピクチャーは「ヘルピク」、卑猥な本は「ヘルブック」、卑猥な歌は「ヘルソング」……。会話の途中で急にヘル談に転じることは「ヘルダイブ」。黙っているくせに実は好色漢なヤツ、つまりムッツリ助平のことは「ダマヘル」といいました。

 こうして言葉だけ見ているぶんには平和なものですが、実際、遊び好きの連中はこうした隠語を使って色々とえげつない話もしていたものです。「バー」だった誰々がどこそこの「Pハウス」の「ブラック」に「ペン・ダウン」してもらって自分と「ホール・ブラザー」になってしまった……とかね。

 意味ですか? 明かさない方がよろしいでしょう、そのための隠語ですから。



【海軍士官と家事】


 作中で林檎嬢と話しているように、私の時代、洗濯といえば洗濯桶と洗濯板を使って手でゴシゴシやるのが当たり前でした。日本初の電気洗濯機は1930(昭和5)年に芝浦製作所(後の東芝)から売り出されていましたが、とても庶民が手を出せるものではなかったようです。

 そして、海軍兵学校でも掃除や洗濯は日課の一部として厳しく叩き込まれたので、我々生徒は皆、そこらの娘さん顔負けの、掃除洗濯の達人になっていたのです(ひとたび少尉に任官したあとは、そうしたことは自分でする必要がない身分になるのですが)。

 対して、家事の中で我々が苦手とするのは炊事です。何しろ、兵学校に入校してヒヨッコの三号(四号)生徒となった時点から、食事は全て烹炊ほうすい員のおじさん、おばさん達に上げ膳据え膳やってもらう身分となり、自分達で食事を作る機会などないのですからね。任官後も、士官が食事を自炊することなど勿論ありませんし……。そんなわけで、私には米を炊いて味噌汁を作るくらいがやっとなのですが、そろそろ少しくらいは料理を勉強すべきかなと思ったりもしています。

 そうそう、洗濯の話で一つ。皆さんの時代ではもう見かけることもない「洗濯桶」ですが、海軍ではこれを「オスタップ」と呼んでいました。washウォッシュ tubタブが訛ってオスタップというわけです。古くからの名残で、こういうヘンな訛りの英単語が日本語のように使われている例もままあったのですよね。有名なところでは、ladderラダー(階段)が訛って「ラッタル」、そしてcaptainキャプテン(艦長)が訛って「ケップ」など。「アイドルケップ」だと少しも格好良くありませんね……。



【海軍体操】


 我が国の学校教育の現場には、明治の頃からスウェーデン体操が持ち込まれており、陸軍ではこれをもとにした「陸軍体操」が実施されていました。海軍でも元々はこの陸軍体操にならった体操が行われていたのですが、一つ一つの動きがギクシャクしているなどとして、海軍軍人にはあまり評判がよくなかったようです。

 そんな海軍の体操事情に変革をもたらしたのが、ちょうど私が生徒だった頃に兵学校の教官をなさっていた、堀内ほりうち豊秋とよあき中佐(後に大佐)でした。堀内中佐は、デンマーク体操の第一人者であったニルス・ブックの来日に際し、その実演を見学して大いに感銘を受け、これを取り入れた「堀内式海軍体操」を考案して兵学校で熱心に教えられたのです。この体操は、リズミカルかつダイナミックな身体の動きを特徴とするもので、堀内教官の親しみやすい人となりも相まって、兵学校生徒から大いに歓迎されました。

 ……と、ここまでは私が生前知っていた話。ここからは、ナナの身体になってからネットというもので見てショックを受けた話なのですが……。

 インドネシア・メナドへの落下傘らっかさん降下作戦でも名を挙げた堀内中佐は、中国アモイやインドネシア・ジャワ島など各地の統治部隊の司令官として活躍し、どこへ行っても現地の人々に人柄を慕われたといいます。しかし、インドネシア統治時代、彼のあずかり知らぬところで部下が敵軍の捕虜を殺害してしまい、戦後、堀内大佐はB級戦犯としてオランダ軍に起訴され、死刑判決を受けることとなるのです。彼は部下の罪を被って潔く判決を受け入れ、47歳でその生涯を終えました。彼を死刑台に送ったオランダ当局は、彼の潔さに感服し、戦犯ではなく大佐の待遇で丁重な葬儀を行ったと伝えられています。




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 今回はちょっと、暗い話が多くなってしまったかもしれませんね……。

 しかし、心中しかり戦犯しかり、皆さんの平和な21世紀からほんの70年、80年ばかり遡ればそういう時代があったのだということ、心の片隅にでも置いておいて頂ければ、私としては幸いです。

 それでは、引き続き本編をお楽しみください。

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