第8話 今の仕合せ(1)
『――それで、コイツが水上バイクの免許持ってるんで、毎年夏にはレジャー行くんすよ。去年はホラ、東京湾にフォートアイランドってあるじゃないすか、そこでバーベキューとかして』
テレビの中で喋っているのは金色の頭髪をした「ギャルソン」の若い男子である。
『あれってぇ、普段は立入禁止って聞いたんですけどぉ』
『なんか、夏の間だけ一般開放してんの』
『昔は軍隊の大砲とか置いてあったんだって。今でもその跡があってさ』
『やだ、こわいー』
画面の片端にそのフォートアイランドとやらいう人工島の写真が
(わが軍の
灯台を中心にバーベキュー場やらコテージやらが立ち並ぶレジャー島に変貌していたが、その島影はまさしく、帝国陸軍が首都防衛のために築いていた第二
東京湾に第三まであった海堡の内、第二と第三は関東大震災で壊れて打ち捨てられたが、第二海堡は後にわが海軍が再利用し、対空砲や
(……しかし、水上バイクとは何だろうな。そういう小型の船舶があるのか?)
カーペットの上に
明日の収録で一緒になる福津先輩も船の免許を持っているというし、この時代は俺の頃よりずっと海洋レジャーが盛んなのかもしれない。一般人が簡単に乗れる船があるのなら、俺も久々に
そんなことを思いながら俺が若者達のフリートークを観ていると、脱衣所の扉がからりと開く音がした。
「なぁちゃーん、上がったよー」
スリッパ履きの足音をぱたぱたと立てて、パジャマ姿の林檎嬢が髪にピンクのタオルを巻き付けたままリビングに入ってくる。
一つ屋根の下に暮らし始めてはや十日、しかし風呂上がりの女子の姿を直視する気にはまだなれず、俺は努めてテレビ画面に視線を集中させた。
「何観てるの? あ、『Jの方程式』だ」
「いよいよ明日は収録だからな……。バラエティの呼吸というものを少しでも身体に覚えさせておかないと」
俺が言うと、林檎嬢は「マジメだなぁ」と呟きを返し、すとんと俺の隣に体育座りで腰を下ろした。
「もっとナチュラルでいいと思うよー」
「俺がナチュラルにやったら軍人そのものになってしまうじゃないか」
「んー、まあ、それは否定しないけど」
彼女はくすりと笑ってから、手元にドライヤーを引き寄せ、スイッチを入れて髪を乾かし始めた。
俺ももう慣れたもので、すかさずテレビのリモコンを操作し、画面を字幕付きにする。聴覚障害者への配慮が行き届いた二十一世紀では、大抵のテレビ番組には音声内容の字幕が出せるようになっているようだ。
『イマドキ女子としてはさ、やっぱギャルソンと付き合いたいとかあるの?』
仕切り役の壮年の男性が雛壇に話題を振り、女子達が「えぇー」などとぶりっ子の演技をする。
この「Jの方程式」には多くのギャルソン男子が出演しており、また、今日はいないが、女子側ではエイトミリオンのメンバーが出ることもあるらしい。
『でもやっぱー、ユーヤ君くらいイケメンだったら考えちゃうっていうかぁ』
『じゃあオレは? オレオレ』
『えぇー、ちょっとないかなー』
ギャルソンの水上バイク君の撃沈に合わせ、ご丁寧に「一同(笑)」という字幕が出た。俺が思わず笑みを漏らしたのに林檎嬢が目ざとく気付き、髪のブローを続けながら耳元に向かって言ってくる。
「なぁちゃん、こういうの楽しんで観れるんだ?」
「楽しいというか……感慨深いな。戦争の心配もなく、若い人達がこうやって騒げるというのは」
「ふぅん。自分も若いのにヘンなのー」
それから少し間を置いて、林檎嬢はドライヤーを出力の小さなモードに切り替え、器用に髪を整えながら再び俺に顔を向けてきた。
「ねえねえ、今のなぁちゃんってすっごい頭いいんだし、テレビの女の子の喋り方とか、やろうと思えばマネできちゃうんじゃない?」
「どうかな。モノマネを習ったことがあるわけじゃないからな……」
林檎嬢がくりくりと期待に満ちた目で俺を見てくるので、俺はマグカップを丸テーブルに置き、ふむ、と腕を組んだ。
テレビに出てくる今時の女子の喋り方……。「Jの方程式」や「あかし宮殿」で見た限りでは、大体こんな感じだろうか。
「……ペアの真島のヤツが、つまんないヘル談してきやがってぇ。ウチ、マジでムカついて、海に叩き落としてやろうかと思ったんすよねぇ」
「やめて! やめてやめて! そんな喋り方するのなぁちゃんじゃない!」
林檎嬢がドライヤーを放り出し、俺の両肩を掴んでぶんぶんと揺さぶってくる。
「だろうな……」
カップを手放しておいてよかった、などと思いながら、俺はやんわりと彼女の両手を押し返した。
「もっとこう、前のなぁちゃんそのものからマネてよっ」
彼女に言われ、俺は
「……でも、わたし、思うんですよ。真島は下品な話ばかりしてましたけど、あれはアイツなりの打ち解け方だったんだなって」
「あ、ちょっとそれっぽいかも。アイツとかは言わないと思うけど」
「……あの方? あの人? ……あの男は」
「『あの人』がいいよ」
「……あの人は、とにかく煙草が好きでね。わたしは吸わないので、士官用の軍用煙草をコッソリ回してやると」
「『あげると』」
「回してあげると、たいそう喜んでね。ペアの
「『おいしそうに』がいいかな? 『たいそう』とかも言わないと思う。『連中』もゼッタイ言わないし」
「煙草を回してあげると、大変喜んで……」
「んー、そこは『とっても』とか『すっごく』とか?」
「すっごく喜んで……みんなでおいしそうに煙草を吸ってたんですよ。御木本に至っては未成年なので、ほんとはダメなんですけど」
キリのいいところまで話し終え、どうだ、とばかりに俺は小さく胸を張ってみたが、林檎嬢は「うーん」と苦笑いするばかりだった。
「口調はそれっぽくなってきたんだけど、喋ってる内容が全然アイドルじゃないんだよね……」
「むぅ……。難しいものだな」
少しばかり肩を落とした俺の様子が面白かったのか、彼女はまたくすくすと笑う。
「ところで、真島さんってだれ?」
「俺の乗機で偵察員を務めていた男だよ。俺と一緒に海に散った」
「……そうなんだ」
「奴は
「ふぅーん……」
彼や御木本は今頃、
俺が少し遠い目になりかけたところで、林檎嬢は俺の眼前にささっと手を出してきた。
「ごめん、もっと明るい話しよっ」
「そうだな」
「少尉さんの恋バナとか! なんか設定ある?」
「……ないよ、そんなの。俺は
「でもでも、好きな人とかいなかったの?」
「どうかな……。そもそも女子が身近にいなかったからな」
俺の頃は、男女共学だったのは小学校の低学年のみ。中学までは勉強漬けだったし、兵学校は言わずもがな、そして卒業後は約一年間の飛行学生を経てすぐに前線に送り込まれたので、女子と知り合う暇などあろうはずがない。
「まだ上げ
「え、知ってる知ってる! 教科書に載ってたもん!」
林檎嬢はぴょこんと嬉しそうに身を乗り出してきた。続けて言うには、「初恋」の詩は今でも国語の教科書に載っていて、自分の名前が林檎だから特に印象深く覚えているらしい。
「へえ。初めて俺の時代のものを君が知っていたな」
藤村の「
「えー、初めてってことないでしょ。ほらほら、カレーライスとか!」
「それはちょっと話が違うような気がするが……」
それからしばらく他愛もない話をしたあと、俺は風呂に入り(目を閉じての入浴にもとうに慣れた)、彼女に教わったスキンケアをして、一緒のベッドにもぐり込んだ。林檎嬢がふざけて身体を寄せてくる頻度も最初の数日よりは収まったが、油断した頃に来るので警戒は怠れない。
「おやすみ、なぁちゃん」
「おやすみ、林檎さん」
明日はいよいよテレビの収録だ。未だ皆の前に姿を見せないマキナの分まで、俺がしっかりやらねば……。
(
目を閉じて五誓を唱えているうち、次第に俺の意識はまどろんでいった。
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