第5話 春風、嫋やかに(3)

 今を去ること十一年前。日本経済が復調の兆しを見せつつあった二〇〇五年、サブカルチャー(大人が見る漫画映画などを指すらしい。俺にはまだよくわからん)の中心地として知られる東京・秋葉原の片隅で、一つのアイドルグループが産声を上げた。後にアイドル戦国時代の覇者として天下にその名を知らしめる、秋葉原エイトミリオンである。

 僅か七人の観客の前でひっそりと公演を開始した彼女らは、伝説の初代センター神田かんだアツコを旗艦フラッグシップとする第一戦隊チーム・オータム、変幻自在のエンターティナー壬生町みぶまちユーコ率いる第二戦隊チーム・リーヴス、更にはアイドルサイボーグ羽生はにゅうマユ、「握手会の女王」徳寺とくでらユキらを擁する第三戦隊チーム・プレリーの各部隊奮戦により、短期間で国民的知名度を誇る一大グループへと発展。ファンの投票でメンバーに序列を付ける選抜総選挙制度を導入、上位七名の猛者を「七姉妹セブン・シスターズ」として神格化し、一躍世間の耳目じもくを集める。

 二〇〇八年より名古屋、大阪、博多の国内主要都市に破竹の勢いで支店を広げるとともに、海を越えジャカルタ及び上海シャンハイをも勢力下とし、八紘はっこう一宇いちう、アジアにアイドル共栄圏を築くが如き快進撃を展開。初代七姉妹セブン・シスターズ一柱ひとはしらたる総監督八王子はちおうじ皆観みなみ麾下きか、エイトミリオングループは国内外の芸能界を席巻、さぬ者は人にあらずと言わんばかりの黄金時代を築き上げる。

 二〇一三年、一期生板橋いたばし峯波みなみをキャプテンとする第四戦隊チーム・クアルトが秋葉原本店に発足。また、翌年には各都道府県出身の精鋭からなる全国遊撃部隊チーム・ドライブ、そして翌二〇一五年には国内第四の地方支店となる新潟エイトミリオンが相次いで誕生。指宿いぶすきリノ閣下を頂点にいただく序列ピラミッドの山裾やますそを年々拡大させつつ、グループは勢い止まぬ進撃を続け現在に至っている――。



 以上が、俺がこの数日で把握したエイトミリオングループのあらましであり……

 そして、林檎嬢にいざなわれて今から俺が立ち入らんとする場所こそ、グループ黎明の地にして不動の本拠地、秋葉原エイトミリオン劇場であった。


「劇場というから、専用の建物を想像していましたが……ビルヂングの中なんですね」

「そうそう。なんか、その方が聖地っぽいでしょ?」

「物は言いようですね」


 林檎嬢は、今日はその聖地への出演を休み、俺の見学に付き合ってくれるという。彼女とて本当はステージに立ちたいだろうに、有難いやら申し訳ないやらだ。

 警備員に一礼して裏口の専用エレベーターを入り、俺達は劇場のある八階へと足を踏み入れる。エレベーターを出たすぐのところで、マネージャーの女性が待ってくれていた。


「お早うございます。お世話になっております」


 俺が林檎嬢と一緒に挨拶すると、マネージャーも「おはよう」と挨拶を返してきた。芸能の業界では、昼だろうと夜だろうとこの挨拶を使うそうだ。


「大丈夫? ナナ。皆の顔は覚えてきた?」


 マネージャーの声色がやはり心配そうだったので、俺は努めて堂々と答えた。


「はい。問題ありません」


 ナナが記憶喪失になったことは、女医とマネージャーの彼女、そして林檎嬢と俺だけの秘密である(もっとも、ナナの中身が飛羽隼一であることは俺以外の誰も信じていないようだが)。俺が他の皆の前で支障なくナナを演じきることができなければ、マネージャーにも迷惑が及んでしまう。


「なぁちゃん、スゴイんですよ。あっという間に皆の誕生日や身長まで覚えちゃったんですよ」


 試験官殿が俺の成績に太鼓判を押してくれた。それを聞いて、マネージャーは安心した様子で口元をほころばせ、「じゃあ、こっち」と手招きして廊下を歩き出した。


「皆は今、着替え中だと思うから。入って挨拶してあげて」

「はっ!?」


 マネージャーが指した大きな扉の前で、俺はぴたりと硬直する。


「着替え中でしたら、私が入るわけには……」

「……ああ、今のナナは軍人さんなんだっけ?」


 マネージャーは少し困ったような顔をした。林檎嬢と同じく、彼女はナナのそれを特殊な妄想と認識しているはずだ。

 嫌な汗が背中に伝うのを感じながら、俺は述べる。


「はい。意識は男ですので、皆さんのためにもご勘弁頂ければと思います」

「まあ、今くらいはいいかもしれないけど……でも、ずっとそれじゃ困ると思うわよ?」

「そうですよね……。私だけ別の更衣室を使わせてもらう訳には参りませんよね」

「ここにそんな余裕あると思う?」


 そう言って彼女は肩をすくめた。確かに、天下に名高き秋葉原エイトミリオンの本拠地と言うわりには、このフロアは一見した限りあまりに手狭で、部屋の空きなどとても望めそうにない。

 そこで、林檎嬢が何か思いついたようにぴょこんと手を挙げた。


「あ、じゃあ、なぁちゃんの女好きが加速してきたって皆に言って、皆のほうから一緒に着替えるのはヤバイって思わせたらいいんじゃない?」

「君はナナの名誉というものをどう考えているんだ……」


 俺は呆れて思わず敬語を忘れていた。今は事情を知る者しかいないので問題はないが。


「えー、ダメ?」

「駄目に決まってるだろう。というか、君の中でナナはそういう人間だという認識なのか?」

「んー、まあ、前から男みたいなところはあったよね。彼女タイプっていうより彼氏タイプっていうかー」


 林檎嬢が言うそばで、マネージャーが笑いをこらえていた。


「意味がわからん……。『彼氏』というのは男の恋人を言うあの『彼氏』か?」

「? 他に何かあるの?」

「いや……。俺の頃の流行語が今もあるんだな」


 彼氏という言葉は、昭和の初めに漫談家の徳川とくがわ夢声むせいが作ったもので、まさに俺の世代の流行語だった。平成生まれの林檎嬢がそんな言葉を知っているとは……。


(案外、世の中が変わっても、こういう俗語の類は残るものなのか……)


 俺が妙なところに感心していると、かちゃりと目の前の大扉のノブが動く気配があった。咄嗟に俺が姿勢を正すのと時を同じくして、扉が中から開かれる。


「ナナー? 来たのー?」

「はいっ」


 声に続いて、ステージ衣装を纏った一人の女子がドアから姿を見せた。ふっくらしたほおに、愛嬌のある垂れ目、くるりと円弧を描いて顔を取り巻く短い髪。プロフィール写真とは髪型が違うが、チームキャプテンの鹿嶋かしま朱雀すざく先輩だ。チーム・リーヴスのキャプテンに栄転した板橋峯波みなみ先輩の後を継ぎ、チーム・クアルトを率いる若手の星である。


「この度は、ご心配をお掛けして申し訳ありません」


 言葉が硬くなりすぎないように気をつけながら、俺は彼女に頭を下げた。


「いいよー、だーれも心配してないから」

「はっ?」

「ウソウソ」


 俺が面食らって顔を上げると、先輩はじっと俺の目を見て、にまりと笑った。


「元気そうで安心したよぉ。お見舞いお断りとか言うから、ナナほんとに大丈夫なのかなって毎日皆で言ってたからね」

「……恐縮であります」

「あります?」

「あ、いえ。すみません」


 自然な態度を意識していても、つい目上の人には軍隊流にかしこまってしまう。いかん、ここは娑婆で、俺は大和ナナなんだぞ、と俺が心の中で自分に言い聞かせたとき、林檎嬢が横から割って入ってくれた。


「なぁちゃん、明日からばっちりレッスンに復帰しますから! やる気十分です!」

「そっか。でも、無理しちゃダメだからねー。苦しい時はちゃんと休まなきゃー」


 間延びした印象の中に不思議な柔らかさを纏った鹿嶋先輩の言葉。林檎嬢のぴょこぴょこした可憐さとも、指宿リノ閣下の超然とした余裕とも全く違う、等身大の包容力のようなものを感じる。なるほど、これがキャプテンたる者の資質ということか……。


「しっかり休みを頂きましたので、もう大丈夫です」

「おー。じゃあ、今から公演出る?」


 思ってもみない返しをされ、俺はどきりと硬直した。


「はっ……それは、その、なまった身体を鍛え直してからで」

「あはは。おっけーおっけー。じゃあ、今日はしっかり見てテンション上げていって」

「はいっ」


 彼女の調子に飲まれながらも、俺がなんとか話を着地させたところで、着替えを終えたらしい他のメンバー達も次々と彼女の後ろに群がってきた。


「なぁちゃん退院したんだ! おめでとう!」

「はっ、退院はこれからですが、ありがとうございます」

「ナナさん、無事でよかったです」

「ありがとう」


 チーム・クアルトにはナナの先輩もいれば後輩もいる。事前に一人一人のプロフィールを覚え込んでおいたので、次々声を掛けてくれる子達の誰が誰かを見分けることは容易かった。


「よーし、本番十分前。行くよ!」


 間延びしていた鹿嶋先輩の声が、その時だけはぴしりと引き締まる。俺は敬礼したくなる気持ちをなんとか押さえ、楽屋を出てゆくメンバー達を見送った。

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