【飛羽隼一の海軍ワンポイント講座 vol.2】


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 本作『NAVY★IDOL』をご覧の皆さん、こんにちは。

 世を忍ぶ仮の大和やまとナナこと、海軍少尉飛羽ひば隼一じゅんいちです。

 作中の事物や用語に絡めて、帝国海軍や私の時代の豆知識を皆さんにご紹介するこのコーナー。今回も、ライスカレーの福神漬程度に思ってお気軽にお読み下さい(ちなみに私の頃もカレーの付け合わせといえば福神漬でした)。




 ✿ ⚓ 第4話「アイドルの王者」より ⚓ ✿



【クイーンズ・イングリッシュ】


 以前も述べたように、帝国海軍が手本としたのはイギリス海軍でした。海軍兵学校の整備にあたっても、明治6年、イギリス海軍からダグラス少佐率いる教官団が招聘され、「士官たる前に紳士たれ」との精神に基づくイギリス流のジェントルマン教育が本格的に取り入れられています。

 こうした沿革を持つ兵学校ですから、そこで教えられる英語は当然、皆さんがよく知るアメリカ英語ではなく、筋金入りのイギリス英語ということになります。皆さんの時代では「クイーンズ・イングリッシュ」と言いますが、当時のイギリスは男性の王(ジョージ6世。現女王エリザベス2世の父)が治めていたので、「キングズ・イングリッシュ」と言っていました。

 イギリスという国は、その時の王の性別によって、国歌の歌詞などあらゆるものが変わるのですよね。皆さんご存知の「God Save the Queen」というイギリス国歌も、当時は「God Save the King」だったのですよ。



【閣下】


 閣下とは、貴族(日本では華族と言いました)や政府高官に対する敬称であり、「誰々公爵閣下」「誰々大使閣下」といった形で用います。大臣でありかつ博士号を持つような方に対しては「何々大臣誰々博士閣下」などと言ったりもしますね。

 軍の将官(大将・中将・少将)も、親任官しんにんかんないし勅任官ちょくにんかんとして「閣下」の敬称で呼ばれる対象でした。特に陸軍においては「閣下」の使用が顕著であり、陸軍の将官はお互いのことも「閣下」「閣下」と呼び合っていたそうです。一方、わが海軍では逆に「閣下」の使用を嫌う傾向があり(ほら、上層部は特に陸軍の真似なんかしたくないというわけですよ)、例えば陸軍の将官が「師団長閣下!」などと「役職名+閣下」で呼ばれるのに対し、海軍の将官は「閣下」を付けずに役職名を呼び捨て(?)にされるのが普通でした。私のようなヒヨッコ少尉が連合艦隊司令長官に話しかけるときでも、「閣下」は付けず単に「長官!」とお呼びします。

 ……とはいえ、これはあくまで海軍内部での慣習に過ぎません。海軍軍人も、海軍の外のお偉方に対しては、世の礼儀にならって「閣下」を付けてお呼びします。陸軍の将官に話しかける機会があれば、あちらの流儀にならって「大将閣下」などとお呼びするわけです。作中で私が指宿いぶすきリノさんを「閣下」とお呼びしているのは、彼女が「海軍の外の偉い人」だから、というわけです。

 ちなみに、将官への敬称が「閣下」であるのに対して、それ以下の階級者への敬称は「殿どの」なのですが、これもまた陸軍で好んで使われた言葉であり、海軍軍人は基本的に使いません。皆さんが軍隊物のドラマを見ていて、「少尉殿」だの「軍曹ぐんそう殿」だのという呼び方が出てきたら、それは陸軍流の言葉遣いということです。



【浅草オペラ】


 皆さんの時代では、オペラというと高尚で文化的な趣味という印象が強いかもしれませんが、私の頃のオペラは庶民の日常的な楽しみの一つでした。当時は、映画も皆さんの時代ほど一般的ではなく、落語や芝居などナマの演芸が娯楽の主流であり、その一つにオペラもあったのです。もっとも、浅草オペラに代表される当時のそれは、西洋の「本物の」オペラと比べるとかなりコメディ寄り、何でもありのコミカル喜劇のようなもので、やはり皆さんが思い描くオペラとは別種のものと言えるかもしれません。

 ……と、見てきたように語りましたが、浅草オペラ自体は私の生まれる直前、大正12(1923)年の関東大震災で劇場が失われ、紆余曲折を経て消滅しています。しかし、「コロッケの唄」をはじめとする有名歌曲の数々がその後も人々に歌われ続けたのは作中で述べた通り。その文化は多くの人の手によって受け継がれ、昭和6(1931)年には、浅草オペラ以来の大衆演劇の流れを汲むムーランルージュ新宿座が誕生しています。作中第3話で名前を挙げさせて頂いた、ムーランルージュ新宿座の看板娘・明日あした待子まつこさんこそ、日本初のアイドルと言われているのです(明日待子さん、2019年現在もご存命で、先日もテレビに出ておられましたね)。


《追記》

 明日待子さんは、2019年7月、99歳で大往生を遂げられました。日本のアイドルの開祖として、陸海軍の兵士達含め多くのファンを魅了された大先輩に、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。




 ✿ ⚓ 第5話「春風、嫋やかに」より ⚓ ✿



【鉄拳修正】


 字面から想像される通りの意味です。先輩からの愛の鞭ですね。海軍の外では「鉄拳制裁」という言い方が一般的かもしれませんが、兵学校では専ら「鉄拳修正」と言っていました(ほら、何かにつけ陸軍と別の言葉を使いたがるので)。

 なお、兵学校では最上級学年(三年生)を「一号生徒」、次の学年(二年生)を「二号生徒」、最下級学年(一年生)を「三号生徒」と呼びます。昭和の初めから大東亜戦争開戦前にかけて、一時的に兵学校が四年制となっていた時は、最下級学年は「四号生徒」でした。三号(あるいは四号)は事あるごとに一号や二号にぶん殴られます。この鉄拳修正は、「紳士たれ」という教育と不思議と矛盾しないのです。皆さんの時代の価値観に照らせば賛否両論あるでしょうが、当時はむしろ当たり前の……うん、まあ、踏み込んで語るのはやめておきましょう。スマート、ステディ、サイレントの海軍ですから。



先任順位ハンモックナンバー


 海軍士官の進級は、兵学校の卒業年次と、先任順位ハンモックナンバーと呼ばれる兵学校卒業時の席次に生涯縛られていました。

 大体は作中で述べている通りですが、少尉に任官後、中尉、大尉だいいまでは、基本的にクラスメート全員が同時に進級します(海軍で「クラスメート」というのは同年次の卒業生という意味)。少佐への進級からは、ハンモックナンバーで早い遅いの差が付きます。兵学校卒業時の席次に沿って、クラスメートがいくつかのグループに分けられ、順位の高いグループから順に進級していくのです。さらに、下の代の最上位グループが、上の代の下位グループに割り込む形で進級する「抜擢進級」という制度がありました。ただし、下の代のクラスヘッド(序列筆頭者)がどんなに優秀でも、上の代のクラスヘッドを抜いて進級することはありません。

 この抜擢進級があるのは少将への進級までであり、ひとたび少将になると、そこから先は進級の順番が変わることはありません。ここからがちょっと、柔軟性を大事にしていたはずの海軍にしてはやたらと頭が堅いなと思ってしまう部分なのですが……。

 少将以上は、どんなに優秀でも絶対に先任順位ハンモックナンバーを飛ばして上に上がれない決まりなので、上層部が、ある少将をどうしても中将に進級させたいなら、その人よりも順位が上でまだ中将になっていない人達を全員クビにしないといけないのですよね(「クビ」というのは分かりやすく言い換えただけで、実際には予備役よびえき編入といいます。いずれにせよ現役の軍人ではなくするということです)。

 エイトミリオンでたとえるなら、十二期生の鹿嶋かしま朱雀すざく先輩をチームキャプテンに就任させるために、十一期以前でキャプテンになっていない先輩達を全員卒業させてしまうという感じでしょうか。もちろん実際にはエイトミリオンでそんな人事は行われていないので、海軍よりはよほど自由な組織だなと私などは思うわけです。



【ライスカレー】


 海軍といえばカレー、というイメージは実は戦後に作られたものであり、当時の海軍軍人にとってのライスカレーは「普通の」人気献立の一つに過ぎませんでした。よく言われる「船の上では曜日感覚がわからなくなるので、毎週決まった曜日にカレーを出すことで云々……」というのは、海軍がなくなって海上自衛隊になってからの話ですね。海上自衛隊の「金曜カレー」は有名ですが、カレーの日が金曜になったのは週休二日制の導入以降であり、それ以前は土曜がカレーの日だったそうです(以上、ナナの身体になってから本で読んで知った話)。

 ちなみに、我々士官の食事は洋食が基本であり、もちろんカレーはスプーンで食べていたのですが、下士官や兵はカレーも箸で食べていました。下士官兵の食器は箸しかないので……。ライスとカレーを一緒に盛る平皿といったものも彼らの食卓にはなく、ホーロー製の飯碗にライス、おかず用の皿にルーが分けて盛られていたようです。私のペアの真島まじま御木本みきもとは、皆さんが知る形の「カレーライス」を一度も見ることなく生涯を終えたのかもしれませんね……。



【海軍の隠語】


 海軍軍人はとにかく何でも隠語にしたがる習性がありました。隠語の作り方にも色々ありますが、皆さんの知る「ルー語」のように言葉を単純に英訳したもの(料亭「吉川」を「グッド」、料亭「小松」を「パイン」、旅館「かえで」を「メープル」など、お店の名前はなぜかこのパターンが多い印象)、英訳の頭文字や一部分を抜き出したもの(芸者→シンガーの頭文字で「Sエス」、助平すけべ→ヘルプの略で「ヘル」、結婚する→マリッジの略で「マリる」など)、日本語のままローマ字表記して頭の二文字を読んだもの(家内かかあ→「KAケーエー」、ふんどし→「FUエフユー」など)が一般的でした。

 変わったところでは、のろけることを「Nエヌる」、振られることを「Fエフられる」、Fエフられてばかりでモテないことを「Fエフ」、モテることを「Mエム」、極めつけは「モテてモテて困っちゃう」の略で「MMKエムエムケー」なんてのもありました。いや、本当に。

 皆さんが「JK」だの「KY」だのと言うのは、実は知らぬ内に海軍精神を受け継いでいるのかもしれませんね……。



五省ごせい


  五省とは、作中にある通り、兵学校で教え込まれていた五つの訓戒です。我々は毎晩、夜の自習時間の最後にこの言葉を心に唱え、その日一日の己の姿をかえりみることになっていました。

 その内容と意味は以下の通りです。


 至誠しせいもとかりしか(不誠実な行いはなかったか)

 言行にづるかりしか(恥ずべき言動はなかったか)

 気力にくるかりしか(気力を欠くことはなかったか)

 努力にうらかりしか(諦めず努力をしたか)

 不精ぶしょうわたかりしか(最後まで物事に取り組んだか)


 この「五省」が兵学校の教育に取り入れられたのは昭和7(1932)年のことであり、兵学校の長い歴史の中では極めて新しい標語に過ぎなかったのですが、我々の世代はこの「五省」を大事な教訓として噛み締め、己を見つめ直す指針としていました。

 私がこの時代に来てから知ったところによると、戦後、「五省」は海上自衛隊の学校に受け継がれるのみならず、英訳されてアメリカのアナポリス海軍兵学校でも採用されているそうですね。誇らしいことです。




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 今回も興が乗って長く語りすぎてしまいました。ここまで読んで下さった皆さん、ありがとうございます。

 本作を通じて帝国海軍に興味を持って下さったり、勉強になったなどと仰って下さる方が多いようで、私としても大変嬉しく思います。私の魂がいつまでこの世に居られるかは分かりませんが、これからも出来る限り私の経験や知識を皆さんにお伝えしていきたいですね。

 それでは、引き続き本編をお楽しみ下さい。

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