『わたしの少尉さんとホワイトデー』(光島林檎の述懐)

 3月14日。一年で一番チョコレートが消費される日から一ヶ月後。お仕事が終わって一息つく間もなく、ちょっと清楚なワンピースに着替えて、わたしは少尉さんと一緒に遅めのディナーに出かけていた。

 ホワイトデーは三倍返しなんて言うけれど、わたしのあげたバレンタインの三倍どころじゃきかないお店をさらっと予約してくるところが、この人はほんとに上流の出身なんだなぁと思う。


「お金は関係ないよ。君の手作りのクッキーは、俺にとってフルコース以上の価値があった」


 そんなことをマジメな声で言ってくるのがほんとに反則なのだ。ただでさえわたしはテーブルマナーに四苦八苦なのに、真っ正面からそんな言葉まで撃ち込まれて、もう轟沈確実って感じ。

 ……ああもう、この自称・戦時中から時を越えてやってきた軍人さんとずっと一緒にいるせいで、雷撃とか撃沈とかヘンなたとえ話がわたしにも伝染うつっちゃったみたい。


「お腹いっぱいになっちゃった。もう何も入らなーい」


 メインのお肉料理をきれいに食べ終わって、わたしはふうっと息をついた。個室だから人目を気にしなくていいのが幸いだ。少尉さんは赤ワインのグラスをくるくると揺らして(そういう仕草がいちいちハマるのがずるい)、わたしにくすりと笑いかけてくる。


「運動しないと太るよ」

「太らないよ! そのぶん身体動かしてるもん!」


 わたしが頬を膨らませて反論したところで、こんこんとウェイターさんが引き戸をノックした。

 デザートの前菜アヴァンデセールとして出てきたのは、少尉さんがこの時代に来てから好きになったらしいチョコミントアイス。きらきらしたお皿にちょこんと盛られたそれを、少尉さんは上品にスプーンですくって口に運んでいる。


「おいしい?」

「うん。程良い甘さが落ち着く」


 チョコミントってアイスの中でもあまり甘くない部類じゃないかなぁ、と思うけれど。昔の人の味覚的には、このくらいの甘さがちょうどいいのかも。

 わたしが差し出した二つ目のアイスを嬉しそうに賞味しながら、少尉さんはふと言った。


「この時代で良いなと思うことの一つは、男が甘いものを好きと言ってもヘンな顔をされないことかな」

「昔の男の人は、甘いもの好きじゃなかったの?」

「俺達だって味覚は今の若者と変わらないさ。むしろ、昔は今より砂糖が貴重だったからね、甘味の有難ありがたみは今以上だったかもしれない。……ただ、そうは言っても、男がおおっぴらに甘味を好きと言うのは、あまり良いこととは思われなかったんだ」


 アイスに続いて出てきたメインのデザートを、物ともせずといった様子で胃袋に片付けつつ、少尉さんは落ち着いた声でお話モードに入っていく。


「兵学校に、源内げんない先生と呼ばれた英語の名物教師がいてね。その源内先生が語ってくれた話なんだが……」


 とつとつと語るその声に、わたしはデザートの存在を忘れてしばらく耳を傾けた。

 正直、時を超えてやってきたというのがどこまで本当かは知らないけれど、こうして知らない時代の話をしてくれるときの少尉さんの目が、わたしは気に入っていたりする。


「俺の代より何期か上の先輩の話だ。大の甘党の生徒がいてね、当時二号生徒だった彼は、酒保しゅほで毎日のように名物の江田島えたじま羊羹を買っては一本食いをしていたんだが……」


 二号というのが上から二番目の学年のことで、酒保は売店のことで、江田島は兵学校のあった地名だということも、わたしはもう知っている。

 それから少尉さんが語ってくれたところによると。

 毎日羊羹を買って食べていたその生徒は、あるとき先輩達に呼び出されて、向こう三週間にわたって売店の利用禁止、休日の外出も禁止という厳罰を言い渡されてしまったらしい。別に何もルール違反はしていないのだけど、将来の海軍を支える日本男児が女子や子供みたいに甘いものを喜んでいること自体が、なんだかよくわからないけどダメだったんだって。


「えぇー、ひどくない? 自分のお金で羊羹買って食べてただけでしょ?」

「まあ、そういう時代だったってことさ」


 しかも、このお話にはちゃんとオチがあって。

 羊羹大量買いのカドで厳罰を食らってしまったこの甘党さんは、少しも反省せずに、生徒好きで有名だった源内先生に助けを求めて、まんまと先輩達の目を盗んで先生と一緒に羊羹を楽しんだらしい。


「ねえねえ、実はそれってあなたの話じゃないよね?」

「違う。何代か前の先輩の話だと言ってるだろう」


 わたしが冗談のつもりで言った一言に、ちゃんと律儀にムッとしてくる口元が可愛い。

 それから、少尉さんは、傍らに置いてあった大きなバッグに手を入れて。

 ごとり、と、細長い何かを取り出してテーブルに置いた。


「というわけで、これがその江田島羊羹の実物だ」

「えっ!?」


 お話の中の小道具がいきなり目の前に出てきたので、わたしはびっくりして目を見張った。20センチくらいある長い箱に、昔っぽい字体で「江田島羊羹」と書かれている。


「せ、戦時中の!?」


 賞味期限とか大丈夫かな、とわたしが心配したのも束の間、少尉さんは呆れた顔で片手を振った。


「そんなわけないだろう……。再現された復刻版だよ。こないだ仕事で広島に行ったときに、ちょっと足を伸ばして買ってきたんだ。俺の知る味を君にも食べてほしくてね」


 優しい目で言ってくる少尉さんに、わたしも自然に笑みが漏れていた。


「じゃあ、帰って一緒に食べよ?」

「今夜? 何も入らないんじゃなかったのか」


 少尉さんは意地悪くわたしのお腹のあたりを指差してくる。でも、なんだろう、コースのデザートはもう入らなくても、この羊羹なら不思議と食べられるような気がした。

 デザートの後のコーヒーカップでさりげなく口元を隠して、少尉さんは言う。


「もう一つあったな。この時代で良いなと思うことが」

「なぁに?」

「甘いものだけじゃなく、好きな人に好きと言うのを咎められないこと」


 その一言で、ばーんと撃沈されて、わたしは熱くなる顔を必死に手で隠した。

 向こうも自分で言って恥ずかしくなったのか、照れ隠しのように天井に遠い目を向けて、俺の時代は云々かんぬんと薀蓄うんちくを語り始める。

 いつも余裕なようで実は全然余裕じゃない、そんな少尉さんの横顔が、きっとわたしも大好きなのだ。

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