「匿名短編コンテスト 食編」参加作品
『わたしの少尉さんとライスカレー』(光島林檎の述懐)
春まだ遠い3月11日の朝。華やかさを抑えたワンピースに身を包んで、わたしは、少尉さんと一緒に電車に揺られる。
3月11日。
8年前のあの日を境に、その日付は日本人にとって特別なものになった。74年前の8月6日や8月9日が、やはり特別な日付であるように。
「俺は、そのどれも経験してないからね。果たして、君達と一緒に平和を祈る資格があるかどうか……」
わたしのとなりで、車窓を流れる東北の大地と海を眺めながら、少尉さんは少し切ない目でそんなことを言った。
なんでも、戦時中から時間を飛び越えてこの時代にやって来たから、原爆も震災も知らないんだって。それがほんとかどうかは知らないけれど、平和を祈る少尉さんの気持ちがこの時代の誰より強いことは、わたしがよぉく知っている。
「大丈夫だよ」
わたしはそう言って、周りのみんなに見えないように、そっとシートの上の少尉さんの手に自分の手をかさねる。
その手は、いつものように、生きている人間の温かさがした。
🌸
天気はあまり良くなかったけれど、被災地のイベントには、たくさんの人が集まっていた。
身をもって「その日」を経験した人。そこで大事な人を失った人。そんな町の涙を拭いつづけた人。誰もがそれぞれの想いを背負って、一年に一度、忘れてはいけないこの日に、この場所に集まってくる。
たくさんの芸能人や有名人がこの場所を訪れて、ここに集まった人たちと、もう集まれない人たちのために祈りを捧げる。
わたしと少尉さんもその中に混じって祈りを
イベントでは、地元の飲食店の人たちがたくさん
周りのみんなが思い思いの出店ではしゃぐ中、少尉さんとわたしは、二人でカレーライスをひと皿だけもらうことにした。地元の人たちの恩返しの一環だから受け取らないのもヘンだという気持ちと、外から来た自分たちがお客さんみたいな顔して満腹にさせてもらうのは悪いという気持ちがぶつかりあった結果の、ちょうどいい落としどころだった。
「ほんとに好きだよね、カレー」
「慣れ親しんだ味だからね。それに栄養もある」
上品な仕草で、それでいて美味しそうにカレーをぱくつく少尉さんの顔を、わたしは簡易テーブルの向かいでじっと眺める。
ついつい忘れてしまいがちだけど、実はわたしと同い年の少尉さん。カレーを食べてる時の顔がいちばん歳相応かもしれない、なんて思いながら。
「炊き出し設備を備えた自動車か。そんなものが俺の時代にもあればな……」
いつのまに視線を振っていたのか、少尉さんは出店のそばに立てられた看板の文字を読んでいた。自衛隊の炊き出しの写真と、それに使われた専用の車の解説が載っていた。
「でも、車があっても、海を越えてご飯は送れないんじゃないの?」
「まあ、そうだけどね。だけど、
「ジュッペイ?」
少尉さんと暮らすようになって、銃後だとか色々な言葉を覚えたわたしだけど、その単語は知らなかった。少尉さんは、わたしが知らない言葉を聞き返すと、いつも一瞬「やれやれ」という目をしてから、ふっと笑って意味を教えてくれる。
「今で言えば、アイドルにファンが送るプレゼントみたいなものかな。前線の兵隊に向けて、民間の人たちが
「へぇー……。ちょっと意外かも。お米を送る余裕なんかあったんだ?」
「余裕がないのに送ってくれてたんだよ。……皆それを分かっているから、米の一粒、酒の一滴たりとも無駄にはしなかった」
少尉さんの優しくも真剣な言葉に、わたしははっと息をのんで、お皿に残っていた米粒をそっとスプーンですくった。そんなわたしを見て、少尉さんがくすりと笑ったとき、隣のテーブルからふと
「おめぇさん、古い話をよぐ知っでるねえ」
茶色い眼鏡で目元を隠したおばあさんが、車椅子の上からわたし達に顔を向けていた。深く
介護施設の職員さんらしき女の人が隣に座っていて、控えめにわたし達に会釈してくる。
「
「そうでしたか。ご主人も、お国のために戦われたのですね」
「お
それから、おばあさんは昨日のことのように語ってくれた。戦争から帰ったご主人さんが、戦地で覚えたといって、カレーの作り方を教えてくれたこと。それから、何かめでたいことがあった日にはカレーを作るのが、二人の間のお決まりになったこと。
息子さんの誕生日、入学祝い、就職祝い。初めて息子さんがお嫁さんを家に連れてきた日。お孫さんが生まれた時も、幼稚園に上がった時も、やっぱりカレーを作り続けてきたということ。
「その爺さんも、もう居ねぇ。折角、戦争で生ぎ残っだのに、あの日の津波で逝っぢまっだ」
「……ご冥福をお祈り致します。ご主人は、きっと最後まで幸せだったでしょう」
少尉さんがおばあさんの手を取って言うと、おばあさんは見えない目に涙を光らせて、いつまでも頷いていた。
🌸
「あなた達も幸せになりなさいよ、か……。託されちゃったね、あのおばあさんに」
夜のとばりが下りて、ホテルに向かうバスの中でわたしがそっと言うと、少尉さんは窓の外を見たままこくりと頷いた。
「……東京に帰ったら、カレーを作ってくれ」
「えぇー、わたしがどれだけ料理ヘタか知ってるじゃん」
「いいんだ」
照れ隠しなのか何なのか、わざと顔をこっちに向けないまま、少尉さんは呟くような声で言う。
「君のカレーが食べたいんだ」
そう言ってくれることは、もちろんわたしにも分かっていて。
いつもいつも、そんなさりげない一言でわたしの
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