2-12 昇進
一通りの説明を受けて、ここの複雑なルールが分かってきた。
本来なら知らずに、というか教団の存在すら知らずに生きて来れたはずだが、急に外国に放り込まれたかのように、一から教義や習わしを身につけようとしている。
最後にもう一つだけ尋ねたいことがある。
「俺を婿に迎えたいのは何でだ?」
「それは……」
「俺が下野掌に告白したからなのか? 確かに俺は好きになって想いを伝えた。そして想いに応えてくれた。でも結婚前提じゃない。だってまだ高校一年だから。こーゆーのってよく分かんないけど、結構政略結婚みたいな感じで、決められた人と結ばされるんじゃなかったのか」
そう言って、俺は察した。決められた人と結婚させられるのが嫌で、俺と結婚するのだろうか。でも、それなら帝になってしまえば結婚することはできないから、さっさと禅譲されれば良い。
俺は続けた。
「俺を利用するつもりで結婚するのか」
「理由はいろいろある……。でもいまはそれ以上追及しないで」
否定はしなかった。しかし、掌にしては珍しく弱気な態度だった。そして、掌は一言付け加えた。
「一つだけ、誤解ないようにしてほしいのは、私は霜鳥航のことを愛してる。それは間違いない」
そう言うと、掌は瞳を潤わせながら俺を真っ直ぐ見つめた。そして流れるように口づけてきた。
帝に挨拶に行くときの口づけとは、まったく違った感触のものだった。
彼女を信用しても良いのだろうか。俺の中では決着はまだつかない。ただ、仮に下野掌を裏切るような行為を俺がしたら、俺の命はないかもしれない。デザイナー・ベビーの存在。これは倫理の根幹を揺るがす。その存在が公に知るところになればここはただじゃいられない。それを知らされた俺が、掌を見限って脱出を謀ろうとしたら、殺してでも口止めすることだろう。
いまはまだ情報が少なすぎる。少しでも情報を聞き出さなければならない。少なくとも俺が疑問に思っていることは。
「あとな、率直な疑問だけど、猊下は容態が悪そうだった。もし、成人する前に猊下が亡くなったらどうすんだ?」
「それが私のいまいちばんの懸案事項。こればかりは祈るしかない」
「もし、成人する前に亡くなったらどうなるんだ?」
俺は確かめるように聞いた。
「簡単なこと。私以外の人が帝になるか、ここが滅びるか」
「掌が、自分が帝になりたい理由って何だ?」
「決まってるじゃない。私以外の人に次の帝になってもらったら困るからだよ。崩壊するよりもまずいことになる」
そう断言する下野掌の瞳には、闘志が
†
華軒に乗って屋敷に戻ると、もうすでに未の刻(午後1時)になっている。俺は蓄積していた疲労がどっと溢れるように、強い倦怠感に襲われた。空腹など忘れて、泥のように眠りに就いた。
起きると、戌の刻(午後7時)だ。こんな昼間から6時間も寝ていたなんて、どうかしているくらい疲れていたのだろう。
起きて自室を出ると、明日佳がいた。そしてその隣にはある男が立っている。信者の一人と仲良くなったのだろうか。確かに明日佳は人気だから、それも致し方ないななどと思っていると、その男はここ最近見なかった懐かしい人物だった。
「と、瞳志?」
すると、瞳志は俺を見て目を見開いた。
「お! 航か! 会いたかった!」
「どうしてここにいるんだ?」
「決まってんだろ。出世したんだよ」
「へ?」一瞬何を言っているのか理解できなかった。
「科挙だよ。昇進試験な!? こないだあったんだ。あれに通ったんだよ。あー、もう地獄のような世界だったぜ。日本語は禁止されるし、どうかしそうだった!」
瞳志は胸を張って言った。
科挙は、かなり通りにくい試験だって聞いているが。ここに来たばかりの瞳志は受かるってことはさほど難しくないのか。
「よく通ったな。意外に簡単だったのか?」
「簡単じゃないさ」瞳志は言下に答える。
「今回500人受けて通過したのは瞳志くん1人だけなんだって」今後は明日佳が答える。
「まじか! そんな狭き門なのか? すげぇな」
「尊敬しちゃうよ」明日佳が瞳志に感心している。
「まぁ、運も良かっただけかもね」瞳志はしたり顔だ。
俺は純粋な嬉しさの反面、その裏には身を粉にするほどの努力があったこと、そして明日佳の好意が明らかに瞳志に向いていることを察知した。そこに嫉妬心がないと言えば嘘になる。でも、俺はその嫉妬心を持つことすら許されないことを自覚した。俺は大した努力もせず太夫という恵まれた身分を与えられた。また、うまくいけば春官大宗伯の掌の皇婿になることも。そんな俺は、手放しに瞳志を歓迎し、称賛し、尊敬しないといけないのに、素直にそれができない俺自身を嫌悪した。
「それでね、実はもう一つニュースがあって」今度は明日佳が切り出した。
「ニュース?」
「瞳志くんが華波さんを見たと言うの」
「華波さん?」
華波さんも、身分を分けられてからは何も情報がない。もちろん俺自身も見ていない。彼女は庶人だから相当苦労しているはずだ。
「ああ、しかも、俺がここに来てからだから、大夫のエリアだぞ」瞳志が言う。
「え? 庶人じゃなかったのか?」
「庶人だよ。でもあれは確かに華波さんだった」
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