3-02 鍛錬

 最近、瞳志は明日佳と行動を共にしていることが多く、すっかり疎遠になってきていた。

 当然ながら嬉しい話ではない。しかし、いつしかのタイミングで俺が掌と華燭の典を挙げるとなったとき、俺は明日佳と切り離される。一度でも明日佳のことを好きになり、しかもまぐわいを交わした(明日佳は『房中術』と言っていたけど)俺は、ある意味彼女を裏切ることになる。

 それを察したか、明日佳は瞳志に好意の対象を切り替えているように見えた。むしろ浮気をしてしまったのは俺で、明日佳に物言う権限はない。ないのだが、ひょっとしたら瞳志と明日佳が、『房中術』を交わしているかもしれないことを思うと、得も言われぬ切なさが胸の中に広がっていた。


 しかし、そんなことにうつつを抜かしていられるのも、いまのうちであった。

 春州が攻撃されたのである。日付で言うと9月15日のことであった。

 春州の庶人のある集落が襲われたのだ。集落は火の海になり、そこに住む人たちは忽然と姿を消した。


 庶人だから、その安否など春州の上層部が気に病む必要がないかもしれないが、集落が焼き討ちになったらさすがに問題である。春州に住む庶人は7,000人程度。そのうちの300人程度が忽然と姿を消したと言う。

「庶人は生きる糧。決して許してはならぬ!」

 焼き討ちの翌日、再び決起集会に俺たちは集められ、大宗伯は皆に呼びかけた。

 春州の庶人は真面目な気質で、農作物も工芸品も定評がある。

 後で知ったことだが、そういった農作物や工芸品は実は日本に輸出され、春州、ひいては真教国の貴重な収入源になっている。


 それにしても、春州の庶人を狙うとは狡猾だ。

 春州には衛士はいるものの、軍人はいない。夏州は軍政をつかさどるので良いが、春州は手薄だ。ここの信者は、最低限の武術を持ち得ているようだが、軍人のレベルには及ばない。衛士もまたしかりだ。州に軍人が置かれていないのは、州同士の抗争を想定していないためである。軍隊は自衛隊や警察の役割に近く、所管は夏州だが、真教国の持ち物である。

 

 300人程度が姿を消したと言ったが、それは集落にする庶人の数から推定されるもので、実際の死体は50程度だったという。つまり行方不明、もっと言うと拉致された可能性を示唆している。

 つまり春州の庶人らを秋州に送り込み、春州を襲うための手駒にしているかもしれない。


 春州の衛士と護衛のための姑息的に集められた大夫と士の一部は、どうしても州の中枢である發明宮を固めるために回されてしまう。広大な庶人の土地まで手が回らない。


「大宗伯殿、夏州の応援を乞うことはできませんか?」

 決起集会で、小宗伯の克叡こくえいさんが提案した。

「夏州の禁軍きんぐんは真教国のもの。つまり猊下の権限でしか動かすことができぬ。しかし、猊下は病臥しているため、最近は天官に判断を委ねている。天官は優位意識が高いゆえ、期待できぬ」

「ではどうすれば」

「猊下には具申するが、それとは別に士や庶人から有志を募る。一部の兵士は、州境を固めさせる。またそれぞれの庶人の集落には武具を配給し、自衛に努めてもらうしかない」

 



 決起集会の後、大夫の屋敷ですら、物々しい雰囲気になった。いよいよ戦争になるというムードだった。大夫たちは、次は自衛のため、そして發明宮の護衛のため、武具を手に取っている。大夫の屋敷には、槍や弓、刀、鉄砲といった武具が備えられている。

 屋敷の中でそわそわしていると、久しぶりに明日佳が話しかけてきた。

「航、あんたはどうやって身をまもるの?」

 そう言えば、俺には身を守るすべがない。俺は陸上一本で、剣道、柔道、空手などは体育の授業でしか経験していない。正確には避けてきたと言ったほうが適切か。

「下野ちゃんに護ってもらうの?」

 その言葉に、俺は情けなさがこみ上げてきた。何もできないけど、自分にだって男としての矜持きょうじがある。

「そんなことない。俺だって戦う意志はある」

「じゃあ、空手、合気道、少林寺、柔道、日本拳法、跆拳道テコンドー、剣道、弓道、槍術そうじゅつ、総合格闘技。一通り経験したあたしが、独自の指導法で短期間で叩き込んであげるよ。毎日ね。スパルタだから覚悟しなよ」

「そ、総合格闘技も……?」

 俺は息をごくりと呑んだ。



「航! 動きが遅い! 構えが高い! 胴ががら空きだよ!」

「槍は突くんじゃない! 叩くんだよ! 持ち方がなってないよ」

方天戟ほうてんげきはこう使うの! どんな武器が渡されるか分からないから何でもできるようにして!」

「そんなんじゃ、相手の首を落とす前に落とされるよ!」

 明日佳の指導は、護身術とかそんな甘いものではなく、近接格闘術で相手を殺傷することが目的の武術だ。

 目の前で人が死ぬことを想像しただけでも辛い俺が、自己防衛のためでも人を殺める術を学ばなければならないのは、かなりこたえる。ただ、女性に護ってもらいたくないと啖呵たんかを切ってしまった以上、やるしかない状況である。実際に使うかどうかは別にして。

 予告通りの容赦のない指導で、身体のあちこちが痛い。打撲や傷も数えきれないほどできたし、いままで使わなかった筋肉が悲鳴を上げている。息は上がっていないけど。

「あんた、これだけ練習して、息上がってないの?」

「痛みは感じても肉体疲労には鈍感みたいだ」

「普通、これだけの指導受けたら、動けないはずなんだけど、航、バケモンだね」

「おかげさまで持久走しか能がないよ」

 この平和な日本でこれだけの戦闘技術を身に付けている明日佳もバケモンだと思ったけど、やめておいた。よく知らないけど、アメリカのSWATチームとかにも入隊できるのではなかろうか。




 花美丘の陸上部を離れて久しいためか、運動不足の状態であれだけ激しい特訓を受けたせいで、翌日見事な筋肉痛に襲われた。

 しとねから身体を起こすのも辛い。ロボットよりもぎこちない動きだが、食事は摂らねばならない。学校はあるが、実際のところ行く余裕はあるのだろうか。地州にある学校まで片道20分。通学中に襲撃される可能性だってないとは言えない。

「ま、あんまり悩んでもしょうがないじゃん。何かあったら返り討ちにすればいいだけの話」

 明日佳はさらっと物騒なことを言ってのける。俺は筋肉痛でそれどころではないので、明日佳に戦ってもらうしかない。


 幸い、その日は何も起こらなかった。筋肉痛がひどいだけのいつも通りの日であった。

 帰り道も明日佳と帰りたかったが、瞳志と一緒なのかいない。俺はぎこちない動きで、怯えながら帰るしかなかった。結果、矢が飛んでくるとかはなかったけど。

 その代わりに、懐かしい人物に会った。懐かしいと言えば失礼か。

 その人物は、どういうわけか途中の四阿あずまやの椅子に腰を掛けて、身体をぐったりさせていた。

「か、華波さん?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る