3-01 闘志

 それから3日間は平穏な日が過ぎた。 

 正直、俺は肩透かしを食らっていた。すぐにでもその日から何かが始まるような勢いだったから戦々兢々としていた。しかし、実際は何も始まっていない。大夫の中には当番制で州府と邸宅の警護に駆り出されているらしいが、いまのところ俺にはその役を割り当てられていたない。


 しかし、4日目の朝、とうとう俺にもお声がかかった。麗輝さんだ。ついに来たか、と俺は身を強張らせた。

「大宗伯がちょうをお呼びです。發明宮にお越しください」

 相変わらず抑揚のない口調で話しかけてくる。彼女の口調からはどれくらいことが深刻なのか伝わっていない。

「分かりました。俺だけですか?」

「ええ。私は貴方しか呼ぶようには仰せつかっておりません」


 以前邸宅に呼ばれたときは華軒が用意されていたが、今回は徒歩だった。事態が事態だけにそんな悠長なもの用意できないということだろう。

 徒歩でも高々20分くらいの距離なので、俺にはさほど苦痛には感じなかったが、戦争と言わないまでも、物騒なことに巻き込まれるような気がしてやはり気が進まなかった。


 發明宮に着くと明らかに警護の人数が増えていた。兵馬俑へいばようのような戦袍せんぽうを着ているからすぐ分かる。その中には同じ屋敷にいた人物もいる。俺は軽く会釈をした。

 俺も彼らと同じことをするのか。9月も10日以上過ぎたのにまだ暑い。ここにはクーラーがないので暑さ自体には慣れてきたが、それでもこの甲冑は暑いだろう。

 げんなりしていると、發明宮の中へ促された。


 春官の執務室に入ると掌がいた。案内役の下官を前にしていたので、拱手礼をした。俺もここに来て1か月ほどが経つ。ここの礼節を身に付け始めていた。

 掌は俺だけを残すように言った。でも警護役を頼むのにわざわざ人払いをするだろうか、と思い始めていた。

「俺も警護につくのかな?」

 俺は掌に尋ねた。

「とんでもない。私は、お詫びをしなくちゃいけない」

「え? でも他の大夫たちは警護についてるじゃないか。俺だけが免除されてたら、さすがに怪しまれる。ひがまれるかもしれない」

「大丈夫。あの子たちは私がきっちりコントロールしてるから」

「きっちりコントロール?」

 俺は復唱した。掌にとって俺たち大夫は支配下に置かれているわけだが、一人一人をコントロールしているのか。意味が分かりかねる。確かにあの州議室で反対する者はいないようだったが。

 俺は続けた。

「ところで、俺にお詫びってのは?」 

「だってさ、霜鳥くん、争いごととか物騒な話嫌いだって言ってたじゃない」

 幕張でのデートのとき確かに言った。

「ああ、言ったけど。そのことを気にしてるのか?」

「もちろんそうだよ。今日はそのことを謝るために呼んだんだから」

「……そうなの? 俺、てっきり兵隊の格好して門番をするかと思ってた」

「んなわけないじゃん。霜鳥くん、もうすぐ私の旦那さんなんだよ!?」

 くすくす笑いながら掌は言う。旦那さんという言葉はいまいち実感がなく、他人事に思える。


「そっか」俺は納得したような安心したような、でも肩透かしにあったような複雑な気持ちになった。

「ところで3日間何も起きなかったんじゃないか。本当に秋官は死んだのか?」俺は再度問うた。

「秋官は殺された。それは間違いない」

「何で? 誰がやったんだ?」

 すると立ち上がって掌は俺に近づきながら言った。

「私だよ。だから殺されたって分かるの」

「な!?」俺は耳を疑った。殺人犯が目の前にいる。しかし、そのとき、春官はもう俺の目の前に来ていて、信じられない速さで俺の唇を奪った。俺はみるみる力が抜けていく。

「お願い。怒らないで」

 言葉では理解している。眼前の美女は人を殺したと言った。ここじゃひょっとしたら治外法権なのかもしれないけど、それでも殺人は殺人だ。それだけ重いことをしたのは分かっていても、なぜかいきどおろしい気持ちがえていく。

 あのときもそうだった。はじめて猊下に会いに行ったときの華軒の中での話だ。彼女の口づけには魔法が籠っているかのように感情がコントロールされていった。そういえばあのときは房中術と言っていたか。


「そ、それで、何で殺してしまったんだ? 秋官ってどんな人だったっけ?」

 俺は六官に紹介されたとき、会っているはずだが、もともと人の顔を覚えるのが得意ではない。夏官、冬官などいろんな人が出てきてよく覚えていない。

「秋官はあのヤンキーのような男。グレーの学ラン着たさ」

 ああ、と俺はやっと思い出した。心証はすこぶる良くない。

「あいつさ、私嫌いなんよ。職権乱用してる。どれだけ信者を苦しめてきたか」

「秋官ってさ、裁判とかを所管してるんだよな?」

「そう。でも警察の機能は夏官が持っている。日本でも警察は警察庁、司法は最高裁判所、刑務所は法務省みたいに分かれてるでしょ。うちは刑罰と裁判は秋官が担っていて、警察は夏官の持ち分なんだけど、何で分けてるか分かる?」

 急に小・中学校の社会の授業の復習のように感じた。

「司法権の独立って言葉あったよな」

「そうだね。司法は公平を期すため行政や国会から独立しなければならない。一方で警察、裁判、刑務の機能を全部一緒にしてしまうと、すべて秋官の裁量で罪人をひっ捕らえて刑罰を下してしまう。だから、警察機能と裁判機能を分けてるの。でも──」

 掌はいったん言い淀んだ。何か嫌なことを思い出すかのようだった。

「秋官は、警察機能も欲しいままにしてるの。夏官が所管するはずの警察を、自分の配下に従え、秋州の幹部らの気に入らない信者たちを捕えては刑を与えてるの」

「夏官は何も言わなかったのか」

「もちろん反発したよ。でも手遅れだった。秋官は他州の公金を不正に流用して、秋州のインフラを整理した。秋州には、まだ行ったことないと思うけど、天州ほどじゃないけど町が発展してる。秘密裡ひみつりに警察幹部を買収し、待遇を保証した。気づいたときには警察は秋州のものになっていたというの」

「じゃ、猊下が黙っちゃいないんじゃないか?」

 しかし、春官が首を横に振る。

「ダメ、秋官も証拠を残していない。猊下も天官も明確な証拠なしに更迭できないって」

「……で、殺したって言うのか」

「仕方がなかった。大夫は容易には逮捕されないけど、士や庶人は、秋州の役人をいつも恐れてた。中には微罪でもあいつらの裁量ひとつで死んでしまった人間もいっぱいいる」

 俺は思い出した。華波さんが名前がたまたまいみなだったというだけで捕えられ、その後釈放されたが、一歩間違えたら危なかったというのか。

「だから分かってほしい」掌は続けて言った。その目はどこか懇願するようだった。

「分かった。でも一つだけ教えてほしい。君が殺したって言うけど、秋州の人間は君が犯人だってこと知ってるのか?」

 この質問には少し間を置いて回答した。

「分からない。でも夏官の弓納持はああ見えてずっと紳士だから。私は朝議でも秋官には敵意を露わにしてきた。だから秋官を殺したとなれば真っ先に私を疑うし、もっと言うと誰が殺したとかどうでも良くて、私を殺す口実ができたのだから、きっとそのうち私の首を狙ってくる」

「そ、そうか。何か理不尽というかやるせないな」

「本当にそうだよ。でも私は真教国を護らないといけない」

 そう答えた掌の目には闘志がみなぎっていた。

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