2-13 弑逆
瞳志の発言に難癖を付けるわけではないが、ちょっと信じられなかった。大夫のエリアに庶人がいることはない。だから身分が上がったことになるのだろうが、こんな短期間で、庶人から大夫に身分が上がることは不可能だろう。科挙は階級を1つずつ上げていくものと聞いている。
もしかして彼女も、上位階級の者に見初められて、階級を上げたのだろうか。
「げ、元気そうだったか?」
「いや、全然そんな感じじゃなかったよ。元気そうなら、俺、声かけてたけど、そんな雰囲気じゃなかった」
庶人は聞くからに質素な生活をしている。
先ほどの仮説が正しかったとしたら、望まない相手に見初められたのだろうか。確か、華波さんは、ツレがここにいるって話だったし。
「そっか。も、もし彼女を見かけることがあったら、声をかけてみるよ」
俺は無難に答えた。
しかし、瞳志が躊躇するくらいというのは一体彼女の身に何が起こっているのだろうか。通常なら、華波さんにとって瞳志は一緒に入信した、言わば『同期』に当たる。
まだまだ、ここには謎めいたルールがいっぱい眠っている。真教国のことを知らなさすぎる。
†
一週間が過ぎたが、俺は華波さんに会うことができなかった。明日佳も瞳志も見ていないと言うのだから、俺たちの近くにはいないのかもしれない。
瞳志が大夫に上がって8日目が来ようとするとき。俺はなぜか嫌な胸騒ぎがして寝られなかった。
明日佳が最近素っ気ないような気がする。瞳志が来たからなのかもしれないが、ここに来た数少ない花美丘高校1Cのメンバーだ。仲間外れにされたくないという気持ちが高まり、いろいろ思い悩んでいるうちに目が冴えてしまった。
そして翌朝。この日も天気は良かったが、やけに屋敷が騒々しい。胸騒ぎの原因はこれだと言わんばかりに。
「今日は、俺たち
同じ屋敷にいたとある男がそう言った。
屋敷にいる大夫が、一斉に州府である
大夫は真教国全体で500人ほどいるわけだから、春州全体では単純に80~90人ほどいることになる。方々の屋敷からぞろぞろと集まってくる。そしてよく見ると自分たちよりも粗末な恰好をした人間もいる。
「あれは春州の
瞳志が耳打ちする。そうやら今回の緊急招集は、士まで声がかかっているらしい。
發明宮にたどり着くと、いちばん大きい
「今回、そなたたちをここに呼んだのは重要な報せがあるからだ」掌は日本語で、威風堂々たる口調で話し始める。「昨夜、秋官大司寇が
俺は耳を疑った。あの若くて不良めいた風体のあの男が死んだと言うのだ。さらに驚くべき言葉が耳に入ってきた。
「何者かに殺されたのだ。邸宅に火が放たれたのだ。他にも逃げ遅れた官吏も何人かいる」
室内はざわついている。そもそも州府に大夫や士がくることは滅多になく、それだけでも異常事態なのに、いきなりこんな物騒な話をされたのだから無理もないだろう。
「静粛にせよ! 何が目的か分からぬが、春州とて他人事ではない。政治を行う諸侯が死ねば、真教国は乱れ、滅びる。そうならぬよう、しばし余の警護を固める。交代で構わぬから協力せよ! ここにいない士や庶人にも戦ってもらう」
その瞬間、室内の雰囲気がびしりと変わった。俺も下野掌の威厳に圧倒された。
「はい! 畏まりまして!」
室内の者たちは大きな声で呼応した。
不思議なくらい異様なほどに集まった者たちは奮い立っている。俺含めて、大夫はここでは言わば上級国民で、皆安全が担保された環境で生きているのだから、概して平和ボケしていると思っていたのに、何かスイッチを押されたように士気が昂揚している。
宗教団体だからというのはあるかもしれない。それにしてもこんな一瞬で空気が変わるものなのか。
俺はここに来てまだ間もないし、元同級生にして恋人という位置づけで、下野掌に対して気安く接しているからかもしれないけど、他の者にとっては、たとえ15歳であっても絶対的に崇高でカリスマ性のある存在なのだろう。
ここまで一瞬にして200人近くの大夫や士を鼓舞させるのはすごい。花美丘高校時代の地味で寡黙な姿を見てきただけに、改めて驚きを禁じ得なかった。
同時に朝感じた胸騒ぎの正体はやはりこれだったかと、俺は沈鬱な気分になった。
こんな狭いコミュニティで、要人が殺害されるなんて、発展途上国でもあまりそうそう聞かない。治安が乱れている証拠だ。
すっかり戦争に臨むようなムード。考えてみれば、俺がいちばん忌み嫌っていることだ。
いろいろなことが起こりすぎて頭が混乱している。
明日佳はどうなるのか。瞳志はどうなるのか。華波さんはどこにいるのか。そして掌は何を考えているのか。
いまの俺には想像だにできなかった。
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