4-02 看破

 目を覚ますと俺は、上半身は裸に、両手は背中の後ろに回されていた。身体と手首がきつく縄で縛られ、口には猿轡さるぐつわを噛まされたまま、ふすまと呼ばれる粗末な寝具の上に横たわっていた。

 どこかの建物の一室だろうか。土壁で囲まれているが、高いところに人が通れないほどの大きさの小窓がある。小窓の反対側には鉄格子になっており、即座にここが牢屋であることが理解できた。克叡さんも華波さんもいない代わりに、鉄格子の外に衛士らしき男が一人立っている。

 

 そうだ、俺はあのとき意識を失った。不敬罪と言っていたように思える。

 なるほど。俺はあのとき、人間の命が蹂躙されているような気がして激昂した。これまで好意の対象だった下野掌に殺意を感じるほど憎んだ。殺すことを人一倍厭う俺が、だ。

 自らをデザイナーズの最高傑作として陶酔し、次期帝として倨傲きょごうする姿。あまつさえこの不毛な人体実験を奨励するような姿勢。残穢蝸舎での所業を耳にしてから、すべては憎悪に転じた。


 捕らえられているも、不敬な態度をとったことを悔いるどころか、考えれば考えるほど怒りが沸々ふつふつと煮えたぎってきた。しかし、きっと俺はこれで大夫としてのくらいは剥奪だろう。良くて庶人、さもなくば7つ目の身分である隷人に陥落だろうか。それはそれで本望だ。思い切り反乱を起こしてやる。それくらいこの真教国くにに嫌悪感を抱いている。でも生命倫理の崩壊した真教国なら、処刑されるかもしれない。


 急に衛士が俺を一瞥いちべつしたあと、部屋の入口の方に向かった。誰かに呼ばれたみたいだ。俺はどうすることもできず、ただ衛士を眺めている。何かひそひそと話しているが、内容までは聞き取れない。

 話を終えると、自分の持ち場所に戻り、急に居ずまいを正した。しばらくすると、あの女が現れた。他でもない下野掌である。相変わらず淡いピンク色の衣装を身に纏っている。

 自分でも目を三角にしていることを自覚した。これまで好意を抱いていたことを心から恥じ、コペルニクス的転回を遂げている。人生で最も好きになった人間と憎んだ人間がまさか同一人物とは。


 下野掌が衛士に合図をすると、衛士は部屋を去っていく。この部屋には俺と掌だけになった。鉄格子で隔たれているが。

「霜鳥くん」

 軽々しく俺の名を呼んでほしくなかったが、抗議しようにも猿轡で言葉にならない。

「あなたは私のことを誤解している」

 掌はそう言って、おもむろに鉄格子の錠を開けて牢屋の中に入ってきた。俺は逃げる。なるべく視線を合わさないように。


 しかし、狭い空間、身動きの取りにくい身体、掌の素早い身のこなしにすぐに俺は捕まる。

 何をされるかと俺はゾッとしたが、意外と黙って猿轡を外してきた。

「ど、どういうつもりだ? 処刑するんじゃないのか」俺は虚勢を張る。実際は死ぬなんて絶対に嫌だ。

「まさか」憐れみとも慈しみとも取れない表情が垣間見えたが、俺はすぐに目を逸らす。「私の目を見て。悪いようはしないから」

「嫌だ」俺は固辞した。

「どうして?」どこか婀娜あだっぽい口調だ。

「そうやって洗脳してきたんだろう?」

 俺は、掌といるときに起こるかいな現象について、自分なりに見解を抱いていた。それは、掌と視線が合ったときに、マインド・コントロールを施すことができること。いま考えると、俺が大した警戒心を抱くことなく入信したこと、秋州が庶人の集落を襲ったあとの州議室の集まりで大夫たちが一斉に奮起したことも説明がつく。そして、そもそも俺が下野掌に一目惚れしたのも、教室で偶然眼鏡を外した掌と目があったからではなかったか。

「……」掌は反論しない。

「お前の最大の武器はその目だ! いままで気付かなかった俺がバカだった。そりゃ、そうやって知らず知らず洗脳する能力でも持ってりゃ、宗教組織じゃ重宝されるだろうよ! 諸侯、次期帝の候補に成り上がるのも当然だ」

「分かった。そこまで言うのなら、目隠しでも持って来させるよ! その代わり、黙って私の話を聞いて! 霜鳥くんの身分を剥奪することも身体に危害を加えることもしないから!」

 すぐに、衛士が黒い目隠しを持って来て俺の目を覆った。目隠しをするのはいざというとき見えないので、それはそれで抵抗があったが、そこまで啖呵たんかを切られたら引き下がるわけにはいかなかった。

「まず、残穢蝸舎に行ったって言ったね。小宗伯から聞いた。あれは、あなたが思ってるほど残酷な施設じゃない」

「何を。デザイナーズの失敗作があそこで隔離されてるって。そんでもって使えない人間は殺されるって」思い出すだけでまた吐き気をもよおす。目に触れないようひっそりとしていたが、真教国の栄華の裏の陰の部分が凝縮したような施設だ。

「それは誇張されたデマ。実際は、病気で長くは生きられない人の中で望んだ者にだけ安楽死の選択を与えているの。確かに秋州の拘置所には、重罪人を処刑する機能がある。でも残穢蝸舎はそんな冷酷非道なことはしてない。自立が難しい障害者のグループホームとホスピスがくっついたようなものなの」

「でもデザイナーズなんだろ? あそこにいるの。そんな非人道的な人体実験を何でやってる。生まれてくる人間がすべて健やかな生活を送れるなら許せるけど、みかんの仕分けみたいに不良品は一生あそこに押し込めるんだろう」

「な、何で、私にそこまで言うの? 私、春官だから、夏州のことはよく知らない。デザイナーズをあなたは否定するけど、私だってデザイナーズだから、ある意味犠牲者なのに……」

 掌の声は涙声になっていた。一瞬、俺は同情しかけたが、違う。これは演技だ。なぜなら──。

「嘘はいけないな。夏州のこと、お前はよく知ってるはずだ。俺が察するに、ついこないだまであんたはだった! 春官と夏官と交代しただろう?」

「何でそんなことを?」

「ここでは州色しゅうしょくってのがあるらしいな。俺もちょっと勉強したんだけど、五行思想ってのがあるんだろう。万物は木・火・土・金・水の各要素で成り立ってるって。そして各要素には季節、方角、色などあらゆるものがあてがわれている。春州の州色は青で夏州は赤。春州の人はみんな青系統の服を着てるのに、なぜか春官だけは赤系統だ。逆に夏官は青系統。これは体格も性別も違うから、すぐに衣装を用意できなかったんだろう? だからやむを得ず州色の違う服を身に纏ってたんじゃないのか? あと、お前と夏州に行ったときも、鷦鵬しょうほう宮の人間はみんなお前を慕っていた。それもつい最近まで、夏官だったと推理すると納得がいく」

「ご明察」急に掌の声のトーンが低くなった。「でも惜しいかな。1つだけ見落としがある」

 そう言うと、急に俺は唇を塞がれた。身体に何かが触れる。いつしか味わった感触だ。

「霜鳥くんは、わたしと目が合うと洗脳されると言ったけど、それだけじゃない。房中術と言って、口づけでもその効果があるの。分かったかな?」

 みるみるうちに身体の力が抜けて、俺は眠りについた。そして煮えたぎっていた怒りがどろどろと溶けるように鎮静化していく。

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