4-01 厭悪

「失礼します」

 俺はおそるおそる扉を開けようとした。傷んでいるのか、建て付けがもともと悪いのかわからないが、扉はスムーズには開かない。軋轢あつれき音を鳴らす。

 昼間なはずなのに建物の中は暗い。誰もいないのは明らかなのに、「うー」とも「あー」ともつかない、もがくような声が聞こえる。

「ごめんください」

 もう一度声を上げるが応答はない。

「何なんだ。本当にここなのか」と声を漏らすのは華波さんだ。

 馭者ぎょしゃは真教国のあらゆる地理を把握しているらしいので、信用しているのだが、あまりにおどろおどろしい雰囲気を醸し出しているので、華波さんがそう思うのも無理もないだろう。

 しかし、個人の家にしてはあまりにも大きい。何かの公共的な施設のようだ。


 すると、奥の方からがたんと音がした。施設の者だろうか。

「何者か!?」声だけがした。暗くて姿はよく見えないが、小柄な老人の男性のような声音だ。

「あ、すみません。俺たち春州の者で、こちらは小宗──」

「誰の許しを得て入った!? ここは無関係の者が入って良い場所ではない!」俺が言い終わらないうちに、老人は凄んできた。

「あれを出すんだろ」華波さんがささやいた。実は地州を出るときに書簡を渡されたのだ。残穢蝸舎ざんえかしゃに入ったら出すように、と言われたのをいまさら思い出した。

 書簡を渡すと、老人は目を見開いた。

「地官大司徒の御名御璽ぎょめいぎょじか。ついて来られよ」


 建物はただ広いが、部屋の内装なのか窓が少ないのか、どこまでも暗い。

「ここはどういうところなのですか?」

「何も聞かされず来られたのだな。見て気分の良いものではないから、覚悟されたい」

 何だろう。お化け屋敷ではあるまい。覚悟するとは何なのだろうか。

 3~4分くらい建物の中を歩くと、黒い扉が現れた。恐怖心で一瞬身をすくませたが、扉の向こうは意外にも比較的明るい広そうな部屋だった。天井は高くないが格子状の窓から光が入って、目が慣れず眩しさを感じた。俺らを案内していたのは、長い顎ひげをたくわえた腰の曲がった老人男性だと分かった。

 そして、何やら賑やかしい。ここの従業員だろうか。でも様子がおかしい。

「◎×¢£%#&□§◆■△♯」何かその老人に話しかけてきた。

 言葉の意味が分からないのはまだ良いとして、目を剥くのはその者の姿だ。本来頭があるところにそれがなく、胸のあたりに目、鼻、口がある。身体が著しく前屈している様子だ。足が異様に短いが、両手が肥大している。その姿の割にはどこか若い感じがする。


 他にも首が90度くらい傾いた者。頭の一部が半分欠けたような者。身長が明らかに1メートルに満たない者。シャム双生児のように2者の身体の一部が癒合した者。見た目は正常でも明らかに目が虚ろで呻き声を上げている者。どれも、ここに来てから見たことのないような姿、形をしていた。


「どうやらここの施設の住人のようだな。さっきの人挨拶してた」華波さんが言った。

「え?」

「あたい、真教国ここの言葉、少し分かるから」そう言ういながら、何か察したような表情で言った。「ここは日本でいう障害者支援施設じゃねぇのか」

 しかし、その老人は言った。

「そんな良いものではない。ここは見ての通り外見的な瑕疵かし、知能的な瑕疵を抱えたものが送られる。この真教国くには並外れて優れた者は厚遇するが、逆に並外れて劣った者は冷遇する。ここは後者を収容する施設だ」

「アウシュビッツみてえだな」華波さんは呟いた。

「わかりやすく言えばそうなる。しかし、ここにいる者のほとんどが若いのに気付かれたか?」

 老人は言った。俺もそれは少し気になった。何となく若い気がする。

「ここはな、デザイナー・ベビーの失敗作が強制的に集められているのだ。庶人の下に設けられた、7つ目の身分、『隷人』としてな。作業ができる者はここで生かされるが、そうでない者は殺処分される」

 俺はその言葉を自分の頭の中で瞬時にうまく処理することができなかった。どこか空想の話のように聞こえて。しかし、それが現実の、しかも目の前で行われている話なんだ、と理解した瞬間、急激な嘔気おうきに襲われた。

「大丈夫か?」うずくまる俺に克叡さんは声をかける。

「よ、よく平気でいられますね。さ、最悪なところじゃないですか? ここは」

 嘔気は、生命倫理が崩壊していることに対する、激烈な嫌悪感にる。俺の死恐怖症タナトフォビアを自己分析すると、命が軽んじられている現実への忌避である。その最も俺が忌むべき事態がすぐそこにあるのだ。

「補足すると、ここでは堕胎は行われない。真教国の教義に反するからだ。しかし、『隷人』はその教義から外すことができる。要は人間扱いされておらぬ。実に都合のいい設定だ。無理な遺伝子改変は、優秀な人材を作る一方で、その倍以上の犠牲を生み出している。遺伝子改変による水子や不具の者の誕生は、そうでない場合の5倍とも言われている。一部、生産性があると認められた場合は衆目を避けてここで暮らしているというのだ。これがこの真教国の実態だ」

 今度は、華波さんが蹲った。俺はついに耐えきれず吐いてしまった。

「はぁはぁ、騙されたぜ、俺は。間違いだらけだ。人間扱いされないなんておかしい。彼らは何も罪のない人間じゃないか! す、すぐに止めさせるか、白日のもとにさらしてやる」

「無理な話だ。真教国の繁栄はデザイナーズで成り立っておるからの。しかも噂だが、日本政府もこのことを黙認している、いや陰で支援しているという話だ」

「何だそれ! そんなのありか? 俺はどちらにしてもここを出る。詐欺ペテン師、下野かばたつかさの悪行を問いただしてやる!」

 そのとき、側頭部をゴツンという鈍い音とともに衝撃が襲った。俺はたちまち意識が朦朧としていく。

「大宗伯殿に対する不敬罪で現行犯逮捕する」

 薄れゆく意識の終わり際に、克叡さんの声が聞こえた。

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