1-08 尾行
「せ、せっかくだから買ったら?」
何着か着て、いちばん彼女の魅力が引き立っていた、ワンピース、サンダル、麦わら帽子の3点セットを勧めてみた。
「え? 私、そんなお金持ってないし」
「いーの、いーの!」
俺は、自分の買い物のためにお金を持ってきていた。お小遣いは普段使わないのでそこそこ貯まっている。彼女への投資という意味で、ここは俺が払いたかった。
「で、でも、霜鳥くん。ダメだよ。全部で9,483円だよ。私、今度持ってくるから」
俺は、彼女の計算の素早さに驚いた。表示価格でざっと11,000円くらいになるかと思ったが、彼女は割引率も計算している。そして帽子とワンピースとサンダルとで割引率がそれぞれ異なる。正直暗算では厳しいレベルだった。
「じゃ、今日俺が立て替えとくから、あとで返してくれればいいよ」
返してもらいたいとはこれっぽっちも思っていないが、こうでも言わないと拒むだろう。俺はいっしょにいる間だけでも、美しく垢抜けた格好でいて欲しいと思っている。
「ありがとう。優しいんだね。好きになってくれたのが霜鳥くんで良かった」
俺は嬉しさで顔が紅くなるのが、鏡を見なくても分かった。
†
あっという間に夕方5時。外はまだ明るい。本当はもうちょっと長く一緒にいたかったが、家が遠いことを知っていてずっと引き留めるのも宜しくない。携帯電話を持たせてもらえない理由は不明だが、部活もやらず放課後一目散に下校するあたり、親御さんは厳しいのかもしれない。
彼女は門限がどうこうとか言っていないが、そこは察してやらないといけない。
「今日は楽しかったね」
下野さんから出た当たり障りない言葉。学校にいたときの印象とはすっかり異なり、服装まで変わって、一気に心まで明るくなったようだ。
「次は、いつ会えるかな?」
そのように言う俺が苦しかった。これから部活続きで長らく束縛される。8月のお盆まで会えない見込みだ。夏休みになれば部活には言っていない下野さんは学校に来なくなるだろうし、加えて携帯電話がないのだから、寂しい毎日を過ごすことを余儀なくされる。だから、どうしても、ちょっと先になってでも会いたいと思った。
俺は続ける。
「部活がずっと続いちゃって、会えないのが辛い。8月の13日以降になっちゃうけど、会ってくれませんか?」
「い、いいよ。じゃ14日はどうかな?」
その日は一日空いている。親戚で集まるって言い出すかもしれないが、こっちが優先だ。
「もちろん大丈夫だよ」
「じゃ、その日で」そう言って、またね、と別れを告げようとすることを察した俺は、気付くとこんな言葉を発していた。
「今度はもっと長く会いたいな。下野さん、いや
下の名前で呼ぶや否や、俺は顔が紅潮した。幼馴染みの明日佳とか親戚を除いて、女の子をそういう風に呼んだのは初めてである。しかし、同時にぐっと距離を縮められたような気がする。
「ありがとう。じゃ今度はもっと会おうね」そして、少しはにかみながら言った。「
正直驚いた。かなり厳格な家庭と思い込んでいたからだ。たかだか2度目のデートで招き入れてくれるとは、俺は認めてもらえるのか。嬉しい反面、緊張とうまく立ち振る舞えるかの不安がよぎる。
「……いいの?」
「うん、霜鳥くん、あ、航くんのこと、皆に紹介したいし」
彼女がそう言うと、自然と俺は彼女のことを抱きしめていた。手を繋ぐことすら
「あ、ごめん」俺はふと我に返り、抱擁を解いた。公衆の面前である。
しかし、掌ちゃんの方がそれを嫌がった。再び俺をぎゅっと抱き締めてきた。
この瞬間が、いちばん楽しく幸せな瞬間だったかもしれない。
†
それから、残り数日の授業も陸上部の練習も、掌ちゃんと会うことを励みに奮闘した。陸上部の夏の強化練習、合宿は相当にきつい。もっともどの運動部でも大変なのは間違いないが、運動部は
俺は長距離5,000メートルの選手だ。スタミナには自信はあるが、スピードは速くない。本当はマラソン向きなのかもしれない。現に5月の『
結局5,000メートルでは記録はふるわず、高校一年生の夏は終わった。
当然選手としては悔しかったが、それでも、掌ちゃんに会える喜びが大きかった。
すっかり小麦色に焼け、日焼け跡がくっきりの身体になった俺は、身体の成長なのか、それとも単に
†
そして、来る8月14日がやってきた。
俺は興奮のあまりよく寝られなかったが、不思議と朝もすっきりしていた。一張羅と呼べるほどでもないが、自分の中ではいちばんオシャレな服を選んだ。上も下もシックな黒のコーデで、品の良いシャツと、スラックスをチョイスした。何せ、今日は掌ちゃんの家に遊びに行くのだ。失礼な格好はできない。
朝8時に千葉寺駅を出発し、千葉駅に着いた。京成線からJRへの乗換である。
掌ちゃんの家は香取市と聞いていたが、俺が想像しているのと違うルートでアクセスするように指示されている。実は南に隣接する
意外に思いつつも、指示通りに総武本線の電車をホームで待っていると、先頭車輛寄りによく見知った顔を見つけた。明日佳だ。しかも俺に気付いているようだ。
「明日佳!?」
俺が近付くと、珍しいことに明日佳は逃げていく。声をかけてから気付いたがもう一人、明日佳には連れがいたようだ。どうやら瞳志である。明日佳と瞳志……。変わった取り合わせだな、と思った。
「航!」瞳志が手を挙げた。
「何だ、何だ? あ、ひょっとしてお前たちデートか?」
そう言って邪魔してしまったことを申し訳なく思いつつも、俺もこれからデートなんだからお互い様だ。でも、東京方面ならともかく、銚子方面の電車で一緒になるなんて、どこに行こうとしているのだろうか。
すると明日佳から思いがけない言葉が発せられた。
「もー、何だぁ、早くも尾行失敗じゃん?」
「び、尾行かよ!?」
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