1-07 羽化

 この日は夏らしく、とても暑かった。彼女は日傘でしっかり直射日光をガードしている。

 汗かきなので早くクーラーの効いた店内に入りたい。一般的に汗かきは好まれないだろうから。

 あくまで一般的であって、下野掌というミステリアスな美女には、どこまでそのが通用するか分からないが。

 なぜ、髪の毛や服装に気を遣っていないのに、カラコンを入れているのか。俺の頭の中はクエスチョンマークで満たされている。いまどき高校生は99%以上所持しているはずの携帯電話を持たないことと、カラコンの着用は結びつかない。携帯電話よりカラコンを優先する高校生は、全国でも彼女だけではなかろうか。


 南から照りつける太陽が眩しくて目をしっかり開けていられなかったが、ようやくモールにたどり着いて、目を開けることができた。彼女の黒髪は、日射しから肌を守る役割もあると思われたが、室内に入っても前髪で顔の半分を隠していた。

 もっと垢抜あかぬけた格好をすれば、下野さんはもっと魅力的になるのにな、と思わざるを得なかった。いきなり美容院に行かせるのはさすがにできなかったが、せっかくなら洋服でも買いそろえてもらえればどうだろう。俺もファッションには疎いが、さすがに下野さんよりは興味を持っていると思う。


 そんなことを考えていると、もうすぐ11時半となっている。昼ごはんにはまだ早いような気がするが、施設が巨大な分、客も多い。特に日曜日はフードコートもレストランも早くから混雑し出す。

「ちょっと早いけど、ご飯にしようか?」

「うん」

 相変わらずリアクションは薄いが、そこは彼女の個性だということを認識しはじめているので何も言わない。

 特に好き嫌いもアレルギーもないというので、洋食のレストランに並んだ。ここのオムライスはとろっとして美味うまいことを知っていたが、それでも飲食店が多すぎていろいろと迷って、広い店舗を移動している間に時間がかかったので、少し待つことになった。それでも10分くらいで店内に呼ばれる。


 下野さんは俺とまったく同じオムライスのセットを注文した。そのおかげか同時に食事が運ばれてくる。

「いただきます」俺はさっそく食べようとするが、なぜか彼女は食べない。

 手を合わせているが、合掌というよりも、左手を右手で包むような感じで合わせている。そして口をほんの小さく動かしている。10秒くらいそうしていたか。

「どうしたの?」と俺は聞いた。

「あ、うんうん。何でもないよ」

 そう答えた下野さんは、はじめて俺に笑顔を見せた。はにかんだ様子はたまらなく美しかった。


「あのさ、何で下野さんはわざわざ遠い高校に通ってるの?」

「親の方針。霜鳥くんは何で花美丘に?」

「表向きは陸上が強かったから。でも本音は、できれば将来のこと考えて進学校に通いたかったけど、千葉中央ちばちゅうおうとか銀座幕張ぎんざまくはりは俺の頭じゃ絶対無理だから、かな?」

「そうなんだ。そっか、陸上部なんだね。陸上ずっとやってたの? ……」


「下野さんは将来なりたいものとか行きたい大学とかはあるの?」

「私はまだ決めてないかな。霜鳥くんは?」

「俺も決めてないけど、何となく理系の方が就職に困らないような気がするし。理学部とかいいんじゃないかなって思ってる。入れるかどうか分からんけど。でも自衛隊と医者だけは、俺無理。人が目の前で死んじゃうのが怖くて」

「きっと入れるよ。理学部か。カッコいいね……」そう言う下野さんは、なぜか少し悲しそうな顔をした。


 下野さんとの会話はこんな感じだった。俺は下野さんのことに興味はあるのでいろいろ聞いてみるものの、なぜか同じ質問を聞き返されて俺が答えてしまっている。俺のことに興味を持ってくれているのは嬉しいし、慣れてきてくれたのか話も弾むようになってきて良かったのだが、結局あまり彼女の情報は引き出せなかった。


 セットのドリンクを飲んで粘ってみたが、客が待っているため、これ以上ここに長居するのはさすがに気が引けた。下野さんだってたぶん同じところにずっといるのはつまらないだろうから、買い物でもしようか。

 彼女はいったいどんなものが欲しいのか、想像もつかないけど。


 レストランの外に出ると、何やら気配を感じた。誰か知っている人に見られているような。でもきょろきょろ見回してみてもそれが誰なのか分からず。

 ここは高校からは近くない。(花美丘高校の最寄りの幕張本郷駅とは区が異なる。)かと言って遠くもない。おまけに幕張メッセやコストコやマリンスタジアムなどが集結していて、新都心と名のつくところだから、千葉に留まらず東京からも人が来る、日本有数の商業地だ。

 誰か知り合いがいてもおかしくないのだが、デートの現場を見られることは、やはり小恥ずかしい。

 恋人どうしなら歩くとき手を繋ぐとか腕を組むとか、憧れてしまうが、まだここでそれを披露する勇気はなかった。


「下野さんって、洋服とか興味あるの?」

「えっ、興味? ないことないけど、私全然、そういうの詳しくなくて」

「行ってみる?」

「いいの?」


 どこか自信なさげに下野さんは答えた。俺だってファッションは詳しくないが、そういう系統の雑誌を読まないわけではない。もちろんメンズ雑誌だが。

 男友達で服を買いに来たことだってある。店員さんはお世辞を並べて買わせようとするが、下野さんに至ってはお世辞ではなくどの服を着せても似合うと思う。

 彼女はまったく自分の魅力に気付いていないのだろう。でも変身願望がないわけではない。その証拠としてカラコンを入れるという、ちょっとイレギュラーなオシャレの仕方に留まっているのだろう。俺はそう結論づけた。


 俺は、実は前もって明日佳に聞いておいたのだ。家が近所だと、休日に私服の明日佳を偶然目撃することがあるが、あの子は自分の魅力を引き出すのが上手だ。カジュアルなのにオシャレ。さりげないのに格好良い。だから、目的をぼやかしてどんなブランドが人気なのか、前もってリサーチしておいた。


 そして、その多くがこの巨大なモールに入っている。だから、めぼしいところの1つの店舗に入り、コーディネートしてもらった。

「え、え、私、こういうの着たことないよぉ」

 明らかに動揺しているが、まんざらでもない様子。その証拠に、勧められたもののほとんどを持って、試着室に入っていった。

 店員さんは下野さんに優しくアドバイスしている。パンツ、スカート、ジャケット、Tシャツ、ワンピース、さらにはサンダルに至るまで、人気の夏コーデをレクチャーしていた。


 結論からすると、言葉を失うくらいの美しさだった。ただ制服から私服に着替え、顔を覆っている髪の毛を後ろで結んだだけなのに、シンデレラになったような、さなぎが蝶に羽化したような、劇的な変化である。


 そして、彼女の制服はあまりサイズが合っていなかったのだろうか。明日佳の発言は嘘でも誇張でもなく、本当にスタイルが良かった。身長は165 cmくらいあるようだが、その割にスレンダー、脚も細く長い。髪を束ねたおかげで、美しい小顔が際立っていた。9頭身くらいあろうか。それでいて、服の上からでも強調されるバストラインの盛り上がり。蠱惑こわく的で煽情せんじょう的で、俺には刺激が強すぎる。


「ど、どうかな? 霜鳥くん」

「め、めちゃめちゃ綺麗っす」

 俺とて決して醜男ぶおとこではないと思っていたが、隣に居るのが申し訳ないくらいの美しさで、動揺しつい丁寧語になってしまう。

 この姿を見て、自称、クラス1の人気の明日佳はどう思うか。最近読んだ本に羞花閉月しゅうかへいげつという四字熟語が出てきたが、まさしくその通りだろう。

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