2-03 別離

 オリエンテーションと言えば聞こえが良いかもしれないが、そんな生易しいものではない。無期限の敷地外外出禁止、決められた場所での就寝、課せられた義務、財産の没収、上下関係の記銘など。どちらかと言うと刑務所の入獄に近い。昔、誰かのエッセイにそう書いてあった。異なるのは、自分たちが罪を犯していないことと、男女が分けられていないことくらいか。

 脱走防止のための腕輪を利き手に嵌められる。どうやら脱走すると自動で腕輪が締まって鬱血うっけつし、手が壊死えしするとか。それでも脱走しようとする人がいるらしく、追跡可能なように写真を何十枚も撮られ、採血をされた。何でも遺伝子情報を登録するとか。

 親は間違いなく心配するだろう。俺と明日佳と瞳志。同じクラスの3人が、急に帰って来なくなったのだ。事件にでも巻き込まれたと警察に相談することだろう。せめて居場所だけでも伝えたいところだが、どうしようもない。

 今更ながら、俺が入信したのは極めて浅薄な考えだった。俺だけでも入信を断って外に出られたなら、明日佳や瞳志の居場所や安否を伝えられた。力の限り後悔している。

 しかしながら、どういうわけだか、あのとき掌に聞かれて、断ることができなかった。考える暇を与えられなかったわけではない。入信を断ったら掌ちゃんに嫌われると思ったのだろうか。ついてきた3人に申し訳ないと思ったのだろうか。それとも衛士に殺されると思ったのだろうか。そういう思考もよぎったかもしれないが、そんなことを考えるよりも早く、俺は入信すると答えていた。まるであの瞬間だけ、誰かに操られたかのように。


 住処は身分によって分けられている。当然、庶人より士、士よりも大夫の方が、恵まれた環境で生活ができる。行動の自由度も高い。

 庶人は、木でできた掘っ建て小屋のようなところで生活しなければならない。衣装も食事も粗末で、農業、工業、商業に従事する。大半は庶人だが、居住可能面積は広くない。

 大抵の入信間もない信者は、庶人となる。稀に優秀な人材と判断した場合には、最初から士になることもあるらしい。まして最初から大夫となるのは極めてレアケースで、それだけ俺と明日佳をその身分に据える理由があるのか。それとも諸侯が招いたという事実はそれほどにまで大きいことなのだろうか。


 身分制度は一生これで固定されるということではなく、科挙かきょと呼ばれる試験で合格すると、上がることができる。しかし、これが至難なことで相当成績が良くないといけないらしい。一生受け続けても庶人止まりの者もごろごろいるそうだ。

 俺が女中と思い込んでいた、オリエンテーションをした女御たちは、一見して若いが、大夫であるということは、実はエリートではなかろうか。それとも俺と同じように掌が引き連れて来た人物なのだろうか。


麗輝れいきさんは、大宗伯に招かれてここに来たのですか?」

 俺は思い切って尋ねてみた。ここのルールによると、同じ身分の者であざながある場合、字で呼ぶことも許されるらしい。

「いいえ、私はここで生まれました。外の世界のこと私は知りません」

 麗輝は同年代にも見えるが、字があることから16歳以上であることが分かる。少なくともそれ以上前から、この教団は人知れず存在していたことになる。


「さあ、馬車が来ました。こちらで住居までお送り致しましょう」

 俺は目を丸くした。馬車なんて実物を見るのは初めてだった。

 ここに来て思うのは文明レベルが低いことだ。本当にバス停からここに連れてこられたときは車なのになぜ。世界史の教科書で見た産業革命以前の世界のようだ。


 俺と明日佳は15分くらい馬車で移動して住処すみかの前に案内された。すでに瞳志や華波さんとは離れており、どうなったか分からない。基本的には身分が異なると、学校や病院のような公共施設以外で顔を合わせることはないらしい。

 実は、ここには独自の言語(華波多真教語)が使われており、庶人と士は、普段はその言語しか使うことを許されないとか。大夫以上は日本語も使うことが許されるらしい。だから瞳志と華波さんは相当な苦行を強いられる。そう思うと少し胸が苦しい。


 俺たちの住処は、決して掘っ建て小屋ではなく、表現するなら屋敷といったところか。發明宮には程遠く及ばないが、それなりにしっかりしたところではある。

 同じ屋敷に俺と明日佳は案内された。もちろん部屋は別だ。しかし、ありがたいことにちゃんと個室をあてがわれている。浴室や洗面、便所は共用だが、食事も出るし、洗濯も下女に頼めばやってくれるという。ただし衣服は決められたものを着用しなければならないらしいが。

 やらなければいけないことは、学校に通うことだそうだ。学校は当然、信者のみが通うところ。華波多かばた学園高校というらしいが、明日からそこに通うことになるそうだ。お盆や夏休みという概念はないらしい。


 財産は没収されるが、決まった額の貨幣(教団独自のもの)が支給される他、食事等は炊事担当の人間が皆の分を作るので、たとえ身分が庶人であっても飢えることはない。身分制度こそあるが、規律を守れば、庶人でも安穏とした生活が保障されるという。


 さっそく俺と明日佳は衣服を着替えた。大夫の男が着るのは袍服ほうふく、女は襦裙じゅくんと呼ぶようだ。中国の歴史ドラマで見たことあるようなものだったが、名前は初めて知った。俺は少しくすんだ淡い青、明日佳は鮮やかなセルリアンブルーだ。州色しゅうしょくというのがあって、春州では青だという。よって専ら青系統の衣装を纏う規則なのだそうだ。と言いながら、掌は赤い衣装を纏っていたが、気にしないことにした。


「今日はもう夕方です。とりの刻には夕餉ゆうげがあります。それまで部屋で着替えてお待ち下さい」

 麗輝はそう言って、俺らのもとを離れた。

 酉の刻は18時を指す。腕時計も携帯電話も没収されたので正確な時間は分からないが、時計らしきものを見ると17時を過ぎたあたりらしい。


「取りあえず着替えるか」俺は明日佳に向かって言った。

「そうだね」

「着替えたら部屋で待ってればいいのか」

「さあ、でもこんなとこで部屋で独りなんて耐えれないな。あそこで少し話しでもしましょう」

 明日佳は庭の長椅子らしきものを指差した。

「確かに、時間を潰すものがないもんな。分かった。だいたい10分くらいしたら、ここに戻って来るよ」

 そう言って俺は個室に入った。

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