2-02 階級

 掌が、女中(大夫たいふと呼ばれている)にあとのことは任せて、部屋を去ってしまった。そしてこれから説明があるから、待てと言われている。

「何で、入信したんだ?」

 瞳志は懐疑的な目で俺に言った。

「だって、明日佳が瞳志を置いて俺だけ出れないだろう」

「はぁー、私たちどうなるんだろうね」明日佳は溜息をついている。


 ここに来てからしばらく経って気付いたことだが、ここではスマートフォンは繋がらない。完全に圏外なのだ。

 下野掌が携帯電話もスマートフォンも所持していないのは、そのためだったのだ。このエリアでは無用の長物なのである。

 だから外の世界に助けを呼ぶことはできない。先ほど華波さんが連行されたときのように、きっと無理に出ようとすれば兵士(衛士えじと呼ぶらしい)に捕えられ、連れ戻されるだろう。華波さんのが戻ってきていないところを見ると、きっとそうなのだ。


 先ほどの『大夫』が戻って来た。

「お待たせしました。入信者の皆様にこれからの生活や決まりを説明します」

「……」本来は、よろしくお願いします、とでも言うべきところだろうが、とてもそんな気分にはなれなかった。

「申し遅れましたが、私は大夫で、ハツメイキュウのニョゴのコンと言います。今回あなた方の世話役を殿下から拝命しています」



 こんと名乗る女御にょごの説明によると、華波多真教国には、天州てんしゅう地州ちしゅう春州しゅんしゅう夏州かしゅう秋州しゅうしゅう冬州とうしゅうの6つの州があると言う。いま俺たちがいるのは春州の州府しゅうふである發明宮はつめいきゅうで、春州の言わば県庁みたいなところである。そこのトップは春官の下野掌であるという。

 6つの州にはそれぞれ信者が住んでいるのだが、1つの州に公共機関のすべて揃っているわけではない。春州は教会や廟堂があり、夏州には警察署、消防署、自衛隊駐屯地のようなものがあったりする。秋州は刑務所や裁判所があり、冬州は美術館がある。地州には信者の通う学校や農作物を貯蔵する倉があるらしい。そして天州は、病院や研究機関、大学など高度で重要な機関が揃っていて、天州の長(州長しゅうちょう)である天官は、六官の中でも特に政務に長けた人物である。この国のナンバー2だ。


 もっとも俺を戸惑わせたのは、カーストのような身分制度があること。上から、てい諸侯しょこうけい大夫たいふ庶人しょじんである。帝は1人しかいなく、言わずもがな華波多真教国のトップにしてオンリーワンである。祖師であり信者からは猊下げいかと呼ばれ、崇められている。

 諸侯は六官が該当するので6人しかいない。つまり、下野掌は諸侯に当たる。

 卿は六官を補佐する役目を持ち、50人ほどいると言う。諸侯の下位だが政治に携わることができる。

 大夫は500名ほどいる。説明してくれている女御は大夫に当たる。この階級は政治に携わることができない。

 士は5,000名くらい。軍務、教務、医務などを行う。

 庶人は、いわゆる一般庶民で、農業、工業、商業を行う。

「一体、この国には何人くらいの人がいるんですか?」

「ざっとですけど、40,000人くらいいます」

「そんなに!?」

 40,000人と言えば、市や町を形成するほどの規模だ。そんな謎の自治国が、千葉県の一区域を形成していたというのか。


「それから、あなた方には、日本国での名前を捨て、華波多真教国の宗教名を名乗ってもらいます。まず、霜鳥航様の、姓はそう、名はちょうです」

「な?」

「これは決まりです。殿下から仰せつかっています」

 華波さんが『香』と名乗らされるのと同様、俺たちにも同じことを課すらしい。日本の大ヒットアニメで、主人公の洗礼の証として名前を奪われるというのがあったが、それと同じなのか。女御は続ける。

「秋澤明日佳様の姓はしゅう、名はめい、川嶋瞳志様の姓はせん。名はとう、それから、鷹羽華波様は先ほど言われていると思いますが、姓をよう、名をこうとします。これからは日本国での本名を名乗ることも呼ぶこともできません」

「そんな!」瞳志は叫んだ。

「じきに慣れましょう。それから、香はあざなをつけることができます」

「字?」俺は首を傾げた。

「姓、名以外につける名前のことです。これは自分で考えてつけてもいいですし、人につけてもらっても構いません。例えば私であれば、姓をかく、名をこんと言いますが、字は麗輝れいきです」

「ちょっと、何で、かな……、いや香さんだけなんですか?」

「女子は16歳になれば名乗れることになっています。男子は20歳になれば名乗ることをゆるされます。香は28歳ですから。明も15歳ですからもうすぐですね」

 明日佳の誕生日は10月19日だったような。あと2か月くらいだ。

「勝手にあたいの年齢ばらすなよ」華波さんは膨れっ面だ。

下野しもの……じゃなかった、下野かばたしょうの字は?」

「大宗伯もしくは殿下と呼んで下さい。一般的に上位の人に対して、姓、名で呼ぶことは非礼とされます。役職で呼ぶか敬称で呼びます」

「……」さっそく怒られてしまった。

「殿下は15歳ですので、字はありません。姓は、名はしょうですが、卿以上の階級は、日本名を名乗ることも許可されています」

「日本名? 日本名はないんじゃないのか? だってこの自治国で暮らすんだから」

「そうは言いながらも、国家承認を受けているわけではないので、戸籍は日本国に帰属します。ここの信者は、あなた方のように日本から来られた人もいます。戸籍上の名前、日本で名乗っていた名前は日本名です。ここで生をけた者にも、日本名はあります。もっとも本人は知らないこともありますけど」

「なるほど」

「字を名乗るときのルールは、『カ』、『バ』、『タ』と読む漢字、『華』、『波』、『多』の漢字は、いみなであり使えません」

「わ、分かりました」明日佳が首肯した。

 俺は1つ疑問に思った。何で、他の3人は日本名の苗字から姓を、名前の方から名を取っているが、俺だけ、姓を霜、名を鳥と両方とも苗字に由来している。『航』は諱にはならないはずだが、と思ったが、ここで尋ねることはやめておいた。


「あと、これからあなた方は、ここで生活する上で、身分が与えられます。これも殿下が決められたことですので、絶対的なものです」

 俺は思わず息を呑んだ。ここは厳格なカースト社会なのだ。

「鳥と明は大夫たいふ、瞳は、香は庶人しょじんとします」

「な!? みんな一緒じゃねえのかよ」華波さんが激昂する。

「無礼者! 庶人が大夫に不行儀な口利きをするか!?」

 先ほどまで慇懃な態度だった女御が、自分より下の身分を告知した瞬間から、高圧的な態度をとった。見ている俺がビクビクした。

「これから、上位の者に対しては、拱手礼きょうしゅれいをし、敬語をもって接すること。この国で生きていく上での、最も基本的な決まりです。皆様、いいですか?」

「……」

「返事をしなさい! 瞳! 香!」

「……はい」彼らは渋々小声で返事した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る