2-01 優美

「つ、つかさちゃん……??」

 俺は、眼前の美女が『下野しものつかさ』であることを認識するとともに、素直に『下野掌』であることを認められなかった。

 学校に来ていた地味な印象とは正反対の、優美にして艶麗えんれい、高貴にして凛乎りんこな女性が悠然と構えていた。瞳はあのときと同じ黄色、髪の色はなぜかかなり明るめのアッシュブラウン。髪型は学校で見るようにもっさりしておらず、シニヨンで後ろにルーズにまとめていて、あだって婀娜あだっぽさが際立っている。


 横を見ると、先ほど俺たちをここに招き入れた女中らしき人物は、掌ちゃんに向かって平伏している。どういうことだ。


 掌ちゃんが口を開ける。いや、もうすでに『ちゃん』付けで呼ぶことが失礼に当たるかのように思えるほどのたたずまいである。

「私は、『下野しものつかさ』じゃない。本当の名前は、漢字はそのままで『下野かばたしょう』と言います」

 確かに俺の知っている下野掌の声音だったが、声のトーンが自信に満ち溢れたような印象を感じるものであった。

「カ、カバタショウ?」

「初見では『下野』と書いて『かばた』なんて読んでもらえないからね。市井しせいに下りているときは『しもの』と名乗っていただけ。『つかさ』と名乗っていたのも、性別の混同を避けるためです」

「……」

 言っていることの理解はできるが、その前に説明が必要なことがありすぎる。


「とにかく、遠路はるばるよくお越し下さいましたこと。深謝致します。取りあえず、そちらで話しましょうか。タイフ、ご案内を」

 下野しものつかさちゃん、改め下野かばたさんは、錫杖で、宮殿のとある一室の方を指した。



 俺たちは案内された部屋で椅子に座って待機することになった。瀟洒しょうしゃで鮮やかな色使いの部屋だが、かえって落ち着かない。

「下野さん、何か、全然違う人になっちゃったんだな……」

 俺は、今朝方まで抱いていた想像とは異次元の事態、最愛の彼女の異次元の変化を受け入れられなかった。

「下野ちゃん、あんな美人だったんだ。ありゃ、男子が噂するはずだ」明日佳は掌ちゃんの美貌に完敗を認めて悔しがっているが、そんなことはいまはどうでも良いような気がする。

「やっぱり、カラコン、ウィッグ疑惑は本当だったんだ……」

 瞳志は、まだそんなことこだわっていたのかい。

「……シュン」華波さんは独り言だろうか。


 しばらくすると、扉が開き下野かばたさんが入って来た。正確には女中が扉を開けた。

「お待たせしました」

 中にいる女中は一斉に平伏する。やはり異様だ。下野さんはここではこんなに身分の高い人物なのか。

 服装は変わっていないが、錫杖は置いて来たのだろうか。彼女は手ぶらだった。

 女中の一人が豪華な肘掛けの椅子をさっと差し出し、黙って下野さんは腰掛けた。目の前を下野さんが通ったとき、ムスクの香りがした。


 すでにオーラだけで、彼女の気位きぐらいの高さが伝わってくる。自然と俺は背筋をピンと張った。

「畏まらなくていいよ、霜鳥くん。楽にしてて」

 そうは言ってくれたが、改めて見て、彼女はこの世のものと思えないほど異次元の美しさを誇っていた。西洋美術で描かれるような、繊細かつ精緻に彫刻されたような、はたまた人工知能AIを駆使したCGで作り上げられたような、非の打ち所のない美少女。学校で身に付けていた黒縁眼鏡、黒髪のかつらは、美貌を隠すためだったのか。そんな少女を前にして、楽にはできなかった。

「ど、どうしたの。どうなってんの? こ、ここはどこなの?」

 俺は戸惑いを、どもりながら口を出すのが精一杯だった。

「ここは、カバタシンキョウコクの中です」

「カ、カバタシンキョウコク?」

「そう。華波多真教国かばたしんきょうこく。日本とも千葉とも切り離された、自治国と思ってもらえばいいよ」

「……信じられん」

 信じられないのは、彼女の発言の内容なのか、それともちょっと前まで初恋のクラスメイトであった事実なのか。きっとその両方だろう。

「私は、シュンカンタイソウハクという官職を仰せつかっています。さっきも言ったように下野しものつかさじゃなくて下野かばたしょうって言うけど、名前の場合、おおかた『ショウ』と呼ばれることはあるけど、官職のタイソウハクと呼ぶ方が一般的かな。だから霜鳥くんたちもそう呼んでくれればいい。みんなの前ではね」

「タ、タイソウハク?」

「そう、春官大宗伯しゅんかんたいそうはく。春官というのは、日本でいうと、中央省庁のひとつの名前だと思ってくれればいい。大宗伯というのは大臣みたいなもんだよ」

「だ、大臣?」

 この華波多真教国なるものがどれくらいの規模感か分からないが、日本で言うナントカ大臣と言われれば、彼女がこの世界で高い地位にいることが、否が応にも分かる。

「古代中国の六官りっかんだな。冢宰ちょうさいと地官と春夏秋冬のそれぞれの中央行政機関か」

 瞳志は眼鏡のブリッジの部分を少し持ち上げながら言った。

「よくご存知で。でもちょっと違うのは、私は日本で言う大臣であるとともに、知事も兼ねている。ここは春州しゅんしゅうと言って、そこの長を努める役目もあるの」

「何だかよく分からんけどすごいんだね」明日佳が言う。


「で、本題はここから」掌の顔つきが変わった。何とも言えない威厳がある。「あなたたちには入信してもらいます。そして私の役に立って欲しいの」

「な?」瞳志の声だ。俺も心の中で同じ声を上げている。

 入信ということは宗教に入ることだろう。俺は特にこれといった信仰を持たないが、それでもいきなりよく分からない所に連れてこられて、どんな教義かも分からない宗教を信仰しろというのは、いくら何でも無理があるだろう。

「冗談じゃねえ! 信仰の自由ってものがあんだろう?」華波さんが立ち上がって憤った。

こう。それから秋澤さん、川嶋くん、あなた方には聞いていない。私は霜鳥くんに聞いているの」

「じゃあ、あたいらは無関係か!」

「そうじゃない、霜鳥くん以外の3人は選択する権利はありません。今日をもって改宗し、華波多真教へ入信することは強制です」

「は、何でだよ!」

「華波多真教の門を自らの足でまたいだ時点で、それは入信と同義です。ただ、霜鳥くんは私が招いた。だからまだ選ぶ権利はある。他は、自分の意志で来た。自分の意志で来た人は、何人たりとも入信の強い意志があるものだけだ。無論、出ることも不可能です」掌は毅然としている。

「そんな」瞳志は情けない声を出した。

「さあ、霜鳥くん、どうするの?」

 掌の大きく円らな、黄色と言うより金色こんじきの瞳は、俺の心を揺さぶる。

「分かった。俺も入信するよ」

 不思議と、そんな言葉が自然と出てしまっていた。

「航!」明日佳の声だ。

「おめでとう。そしてようこそ。これで私の仲間。心も身体もね」

 掌は妖艶すぎる微笑みを浮かべた。

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