1-10 避諱

 慇懃いんぎんな態度で男性は俺らに挨拶した。やはり掌ちゃんは格式高い家に住んでいるのだろうか。

「はい、俺、いや、ぼ、僕が霜鳥です。」

 使い慣れない一人称にどもってしまったが、男性は意に介した様子はない。

「そちらの皆様は?」

「すみません、いろいろあってついてきちゃったみたいで」

 ホスト側もこんなにゲストが多いことは想定していなかったに違いない。しかし、意外にも「構いません。皆様お連れ致しましょう」と男性は快諾した。


 車は5人乗りなので、定員オーバーにはならない。車には聞いたことのない不思議な音楽が流れていた。さらに2〜3分ほど車を進めると大きな門が出現した。門は高さ5メートルくらいあるように見える。塀も同様に高く。塀の内外には7メートル前後の高木こうぼくがぎっしりと植えられている。ほのかな樹木の心地良い香りがする。門の外からでも分かる。相当なお屋敷なのだろう。

 これが本当に伏魔殿なのだろうか。もっとおどろおどろしいものを想像していた。


「本当にいいんか? 門をくぐったら出れねえかもしれんぞ」カナミさんは俺らに耳打ちする。

 一瞬、俺はその言葉に怯んだ。本当に取り返しのつかないことになるのだろうか、と。

「ここまで来て、入るに決まってるでしょ」

 何と、なぜか明日佳が、普段見せないような凛とした顔つきで答えた。


 背の高い門を潜ると、さらにもう1つ荘厳な門扉が現れた。二重扉になっている。堅牢けんろうな入口はセキュリティの高さを窺わせる。

 もう一つの扉を通り抜けると、今度は20歳代くらいに見える若い女子が2人立っている。よく分からないが、白い昔の中国っぽい民族衣装みたいな服を着ている。掌ちゃんの家族にしては2人とも顔が似ていない。女中さんか。

「では、こちらの芳名帳にお名前を書いて下さい」

 人の家に来て、記名を求められたのは初めてである。こういうのは結婚式とか葬式とかじゃなかろうか。それだけ、厳重に管理しているということか。

 取りあえず、俺が代表して最初に名前を書く。

「ついでに明日佳と瞳志の分も書いとくぞ」

 俺はそう言って、『秋澤明日』と記入するや否や、書き間違いに気付いた。同時に身の毛もよだつ恐ろしさを感じた。

「あたしの名前、間違えないで!!」

 明日佳は俺の右手を強くピシャリと払うように平手打ちした。ペンと芳名帳が地面に落ちる。少し遅れて、右手首に激痛が走る。

「痛ったぁ!! ただの書き間違いだろ?」

 しかし、明日佳は何も言わず、ペンと芳名帳を拾い、書き間違えた『華』を黒く丁寧に塗り潰して、『佳』と修正した。

「あ、ごめんなさい。汚しちゃって。はい、次、瞳志くん」

 さすがの瞳志も明日佳の豹変ぶりに目を丸くしている。いつも穏やかで気さくな明日佳にしては、理解し難い行動だった。

 瞳志が自分で記名したあと、もう1人のゲスト、カナミさんにペンが渡る。

 『鷹羽華波』という字を書いた。『タカバカナミ』ってこう書くのね、と漠然と見ていると、なぜか、眼前の女中と思しき2人が平伏へいふくした。

「ゲイカの色様いろさまでいらっしゃいますか!?」

 ゲイカ? 色様? 何を言っているのかさっぱり分からない。華波さんもきょとんとしている。

「いんや、あたいの本名だよ。『タカバカナミ』って言うんだ」

 すると女中は平伏を解き、今度は急に目付きが鋭くなった。

「許可なくイミナを名乗るのは、ゲイカに対する無礼なるぞ!」

「は? だから本名だって」

「問答無用。捕えよ!!」

 どこから集まって来たのか、すぐに華波さんは兵士のような者に取り囲まれた。そしてどこかに連行されようとしている。

「おい、よせ! こら、何であたいが捕まるってんだ!?」

「華波さん!!」

 俺が叫んで連行を阻止しようとするも、兵士たちはそれを阻む。

「やめろぉ!」

 華波さんの声が空しく響く。

「ご心配には及びません。少しあらためさせていただくだけです。じきに怪我もなく解放されるでしょうから」

 女中は柔和な表情で俺たちに微笑んだ。

 来て早々、一体何が起こっているのかさっぱり分からない。本当にここが下野掌ちゃんの家なのだろうか。どうも変な組織に迷い込んでしまったような気がしてならない。


 先ほどの一件のあと、運転手を務めた使用人の男性が、俺ら3人を引き連れて案内した。俺はたまりかねて聞いた。

「あ、あのう、俺は下野掌さんを訪ねて来ただけなんですけど……」

「はい。タイソウハクの畏友いゆうでいらっしゃいますね。承知しております。お越しになられたら案内するように仰せつかっております」

 『タイソウハク』とは何ぞや。さっきからよく分からない言葉が飛び交う。


 樹林に挟まれた隘路あいろをひたすら歩いた。鳥のさえずりが聞こえる。よく見ると千葉ではあまり見かけないような鳥も多くいるような気がした。

 歩くこと10分。到着した所は、美しい青みがかった建物だった。建物と言っても、小さな宮殿のようにも見えた。その中に入り、いくつかある部屋のうちの一部屋に案内された。

「ここでお待ちいただきますよう」

 使用人の男性はそう言って、去っていった。高そうな椅子が4脚ほどあるが、おそらく座っても良さそうな雰囲気だ。しかし、ここが掌ちゃんの自宅だというのか。


「何、ここ? 怪しい宗教団体みたいじゃない?」

 ずっと毅然とした態度をとっていた明日佳だったが、ここではじめて、恐怖をあらわにした。

「めちゃめちゃ格式ばってるな。どういう家なんだ?」

 すると、瞳志が口を開く。

「何か、古代中国みたいだな。さっきいみなって言ってたけど、昔の中国では特に、高貴な人の名前の文字を名乗ることは避けられてるんだ。避諱ひきって言うらしい」

 さすがは学級委員。博識である。しかし、何で華波さんが避諱に当たるのか。


「かぁー! 何されるかって思ったぜ!」

 噂をすれば、華波さんが入ってきた。特に怪我を追わされた様子はなく、女中の子が言っていたとおりだ。

「何があったんです?」

「いや、何か、ここ『華波多かばた』っていう団体なんだ。バス停にあったろ。カ、バ、タ、それから華や波はどれも、平民が使っちゃいかん文字らしいんだ。あたいの名前、偶然にも地雷踏みまくりでさ。『こう』って名乗れ。それで不問に付すって言うんだ」

「じゃあ、名前を変えられたの?」

「ああ、肉体的な被害はえけど、アイデンティティを変えられた。少なくともここにいる間は、こうじゃないといかんらしい」


「殿下のおなりです」

 部屋の扉が空いて、先ほどの使用人でも入口にいた女中でもない、新たな女中らしき人物が、俺らを呼んだ。外に出ろと促しているように見える。


 殿下とは誰か。どこにいるのだ。宮殿に縁側という名前が適切か分からないが、外に繋がるテラスみたいなところの、欄干を前にして待機するよう指示された。

 庭が広がり、大きな白い庭石というか、岩が立っている。その岩の向こう側から、ある人物の頭が現れた。そして、階段を上るように頭、そして顔、そして次第に全身が見えて来た。

「掌ちゃん??」

 月桂冠げっけいかんのようなものを髪にあしらった、妖艶な美女がその岩の上に立ち上がった。美しい緋色のドレープのようなものを身に纏い、なぜか手には錫杖しゃくじょうらしきものを持っていたが、間違いなくその女性は下野掌、本人であった。

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