2-04 若輩

 個室は四畳半ないくらいの狭い部屋だったが、しとねと呼ばれる小さなベッドと、小机があるだけなので、狭さは感じなかった。所持品も無いに等しいので、これで充分なのだろう。

 さっそく袍服に着替える。外国の伝統衣装など着たことがないので、最初こそ戸惑ったが、何とか着ることができた。身長170 cm、平均的な体格の俺にぴったりのサイズだった。ご丁寧にも姿見が壁に掛けられていたので、衣服も整えることができた。


 約10分後に先ほど別れた場所に戻る。まだ明日佳は来ていなかった。襦裙の方が、着るのに手間がかかる衣服なのかもしれない。

 待っているときに屋敷の様子を見やると、袍服を着用している男を何人か見た。襦裙を着た女性もいる。奇妙に思ったのは、若い人が多かった。20歳代、あるいは10歳代に見える者もいる。

 同じ大夫であるとしたら、厳しい試験を受けないとのし上がれないはずなのに、若い人ばかりいると言うのは不思議だ。そんなに合格しにくいのなら、常識的に考えて、年輩の人が多いはず。その予想とは逆の光景が見られる。

 屋敷ごとに同年代くらいの人が集められているのだろうか。とにもかくにも、ここにいる人たちは全員エリートということになる。

 それか、実は若者の方が合格しやすい仕様なのだろうか。はたまた、実は世襲制になっていて、親が大夫なのだろうか。

 でもどこか、この人たちが、俺たちとは別の人種のような気がするのは、ただの気のせいなのだろうか。

 そんなことをあれこれ思っているときだった。

「ごめんね、お待たせ!」

 予想外に明るい声で明日佳が現れた。

 明日佳は見事なまでに襦裙を着こなしている。正直、麗輝さんや先ほど屋敷をうろついていた女性と比べても似合っている。

「何か、コスプレしてるみたいで、恥ずかしいねぇ」と、明日佳は笑顔で言う。

 しかし、俺は不覚にも見蕩みとれてしまっていた。ハイウエストの帯、直線的に開いた襟、品のある長い丈のスカート。制服かたまに洋服しか見たことがなかった明が、あまりに美しく見えたのだ。もちろん、もともと美形なのは認めるが、こんなに似合うものだろうか。

「よ、よくお似合いで」

 何も言わないのも悪いので、ぎこちない感想を述べた。

「サンキュ。航……じゃなかった、ちょうもカッコいいよ」

 この世界での呼び方には、まだお互いに慣れていないようだ。


「ところで、ここって変わった世界だよね」

 庭の長椅子に横並びで腰掛けながら、明日佳は言った。

 冷静に考えて、ここでこんな格好でこんなことをしているのは、あまりにも奇妙である。それまでに非現実的なことが起こっているせいで、麻痺しかけていたが、本来、今日俺の隣にいるべき人は下野掌であって、ひょっとして、今日は楽しかったね、などと言って公園のベンチで隣り合っていたかもしれないのに。

 掌は高貴な人物だということを知らされたけど、日本国では恋人であることを承諾してくれた。俺の彼女なのだ。そして明確にフられたわけでもない。だから、俺は初めての恋人と付き合ってまもなく、浮気まがいなことをしている。


 でも、突如迷い込んだこの世界で、幼馴染みの人間が隣にいるのは、心地良かった。正直、瞳志や華波さんは日本語の使用も許されず、孤独を強要されていることを思うと、俺にはとても耐えられなかったのではないか。


「本当に変な世界だ。日本に、しかも千葉に、こんなコミュニティーが人知れず存在してたなんて、いまでも信じられない。映画村とか東京ドイツ村の中国版にでも迷い込んだみたいだ」

 俺は、映画村も東京ドイツ村にも行ったことはなかったが、想像で答えた。

 しかし、明日佳からはもっと違う答えが返ってくる。

「それもそうなんだけど、ここってやたらととりが多くない?」

「え? 鳥?」

 確かに至るところで鳥のさえずり聞こえる。空を見上げると、何羽か羽ばたいているのもいる。中には見慣れないような美しい鳥もいた。

「だから、あたしは、映画村よりも花鳥園に近いような気がする」

「そ、そうか……」

 彼女の感想には賛同しかねた。それ以上に異国情緒漂う建物、文明、衣装など、この世界に自然の豊かさを堪能することを妨げる要素がありすぎる。

 すると、餌をあげているわけでもないのに明日佳の足下に数羽のすずめが集まってきた。

「あたしね、何でか、鳥に好かれるの」

「へぇ……」と言いながら、俺はそんなことあるものか、と彼女の言葉を心の中で否定した。イヌやネコに好かれるとは聞くが、鳥に好かれる人など聞いたことがない。しかし、不思議と明日佳の足下の雀は離れようとしない。

「スズメもハトもオウムも猛禽類もうきんるいも、あたしの方を向いて関心を示すんだ」

 異性ではなく鳥にモテるのは嬉しいのか嬉しくないのか。この特性を生かせるのは鷹匠たかじょうかフクロウカフェの店員か。それ以外は思い付かない。

 明日佳は続ける。

「あと、周りにいる人間も鳥っぽい人が多いよね?」

「ん?」

 何を言っているのか分からなかった。

「まず、航。あ、いまだけ日本名解禁ね。霜鳥に『鳥』入ってるじゃない?」

「名前かよ」俺は思わず突っ込んだ。

「華波さんの苗字は、鷹羽さんでこれまた鳥だし、川嶋くんだって」

「瞳志?」彼の名前に鳥なんて入っていないはずだ。

「川嶋の『嶋』が山鳥やまどりでしょ」

 そんな偶然初めて気付いた。でも俺の名前を見て、渡り鳥みたい、といわれたことは何回かある。

「なるほど、おもしろいな」俺は適当に答えた。

「だから、ここはひょっとしてあたしにとって、意外に過ごしやすいところかもしれない」

「そ、そうなのか?」

 明日佳も変なことを言う。たったそれだけでそう思えるなんて、さすがに楽観的ではなかろうか。

 次の瞬間、急に俺は胸が高鳴った。

「航。私から離れて欲しくないな」

「ど、どうした?」

 明日佳は突然、俺の肩に頭を寄せて、手を握ってきたのだ。

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