5-05 愛念

「嘘でしょ? あんたのような遺伝子を加工されまくった人造人間に、人と同じ血が通ってるとは思えない」

 俺はいたたまれなくなった。明日佳は教団を、そしてデザイナーズを忌み嫌うあまり、その言い方は極端なものだった。

「明日佳、やめてくれ。デザイナーズだって、自分が望んで生まれたわけじゃないんだ。俺だって、お前だって、そして掌だって、そうなんだ」

「だからと言って、この不毛な研究を続けていいの? この女はね、デザイナーズとしての自分にあぐらをかいで、失敗作を見下してんの。じゃなければ、夏官であったときに残穢蝸舎の人たちに手を差し伸べていたはず。でもこの女はそれをして来なかった。人間じゃないのよ、こいつは!」

 明日佳はすべてお見通しだった。残穢蝸舎のことも、掌がその残穢蝸舎を所管する夏官だったことも。知らないうちに相当入念に調査を進めていたのだろう。

 明日佳は再び掌をめ付けた。

「あんたがいまさら航のことを好きだって言ったって、あたし信じないから」

「私は生まれたときから猊下にこの国を託されてきた。でもそれは『デザイン・スコア』が良かっただけ。正直私はそんなこと最初は望んでこなかった。帝になったら自由に恋愛もできないし。でも私に言い寄る信者は腐るほどいた。それは私の人間性じゃなくて、遺伝子改変によって作られた容姿と次期帝に内定していることへの将来性で近付いてるのばかりだった。だから、今回霜鳥くんが、ウィッグを被った私に恋をして、信者としてじゃなく一人の女として好きになってくれたことに感動した」

「……取ってつけたような話を」

「私が帝位を承継したら、霜鳥くんを新たに秋官に据えたいと思っている。前の秋官によって職権濫用で腐り果てた秋州を、霜鳥くんに託そうと思って。偶然にも『霜鳥』という漢字は、五方の神鳥の西方鷫鷞しゅくそう、秋州府である鷫鷞宮の鷞の異体字(鸘)とよく似ている。霜鳥くんが秋官になったら、きっと立ち直ると思っている」

「そんなことあたしに言ってどうする? あたしは航を連れ戻すことが至上命令なんだから」

「私は、真教国で霜鳥くんの将来を約束する。絶対悪いようにはしない。でもその前に、あなたの房中術だけは解かねばならない。だから悪いけど、私のために死んで!」

「そんな要求、あたしが聞くと思う?」

「じゃあ、力づくでもぎ取るまで」

 掌はそう言うと、左肩にのしかかっていた明日佳の右脚を払い除けて、後方に宙返りして再び剣を回収する。

「やめろ! やめてくれ!」俺は叫んだ。そしてようやくこの場を収める一つの方法を思いつく。しかし思い決断であった。

「いますぐ、その不毛な戦いをやめてくれ。俺が掌のことを好きになったのは事実。それは、掌の人間性で好きになった。房中術なんて関係ない。俺の意志だ。でも、明日佳だって大切な幼馴染の友人だ。そんな二人が殺し合いをする現実をどうやって容認できる。できるわけがないだろう。俺は大切な人物が死んでいくことに耐えられない。耐えられないから俺が死ぬ。そして、俺が死ねば、掌も明日佳も大義はなくなる!」

 そう言って、俺は、そばに落ちている短刀を見つけた。おあつらえ向きだ。まるで俺を殺めるためにそれは存在しているかのようだ。

「は? 本気で言ってんの? 航!?」

「霜鳥くん、あなたには託された将来がある!」

 明日佳と掌が口々に俺を止めにかかるが俺は聞く耳を持たない。

「大義なんてクソ喰らえだ。俺はここで死ぬ! そして不毛な争いをやめろ!」

 俺が生き延びていることで、俺が日本に帰るとしても真教国の要職に就こうとしても、どちらかに確実に不幸が訪れる。喧嘩両成敗かもしれないが、これがいちばん円満に解決する方法なのだ。

 痛みは嫌いだ。もともと抗疲労遺伝子と治癒遺伝子のおかげで、怪我や病魔など、人間が味わう身体的苦痛からは遠い人間だった。小司寇との一戦で深傷を負って、そこでようやく痛みらしい痛みを感じたけど、身体的な苦痛に対する耐性がない。その分、死への恐怖が強かったわけだが、俺に大義が存在するのであれば、将来を案じて、皆のために死ぬこと。それしかできないようになった。痛いのは怖い。怖くて堪らない。死ぬことよりも痛みに耐えることが怖かった。でもやるしかない。

 俺は、短刀を逆手に持って両腕を伸ばし、胸の当たりの前方に構えた。切っ先は俺の腹部に向いている。このまま手を思い切り手前に引いてしまえば、死ぬことができる。日本なら救急車が到着するだろうが、ここは真教国だ。まず助からないだろう。あとは、俺の胆力次第だ。


 頭で理解していても、やはりそうなかなか覚悟が決まらない。これだけの大義がありながら、実行できない自分を呪った。俺の死恐怖症タナトフォビアは筋金入りだというのか。これでは俺は腑抜けに成り下がってしまう。

「やめて!」

 掌か明日佳のどちらかの声が聞こえる。でも助けに来ないというのは、お互いが牽制して動けないのか、それとも俺への想いはその程度だというのか。兎にも角にも、物理的な邪魔者はないはずなのに、俺はなかなか踏ん切りがつかない。

 腕を伸ばして短刀を構えたまま静止し、1分が経過しようとしていた。

 俺は目を閉じて、短い半生を頭の中で描いて、必死に未練を断ち切り、恐怖心を克服しつつある。死への邪念は振り払った。後は、両腕を思い切り引くのみ。

「うわあぁあああああぁああああああああぁあ!!!!!」

 俺は叫んで、腕を引いたときだった。


「バカ野郎!!」

 誰かの声が聞こえた。ちょっと久しぶりに聞く声だった。俺は痛みを感じなかったが、何かを刺す感触はあった。


 それに加え手には生温かい液体が吹きかかる感触。咄嗟に目を開けると、そこにはある男が転がり込んできていた。

「な、瞳志!??」

 何と、俺は瞳志を刺していた。止めに行ったが、間一髪遅れて、身体ごと俺にタックルしようとしたのかも知れないが、悲劇なことに刺してしまっていた。

「航が死ねば、解決するなんてエゴだ。俺や明日佳の残された人間がどう思うか、考えたことはあるか……!?」

「瞳志! 大丈夫か!? とにかく病院に連れて行ってくれ! お願いだからたすけてほしい」

「勅命だ。すぐに禁軍をこちらに戻らせて、病院に連れて行かせよ」掌もすぐに応じた。

「身勝手だな。自分が死ぬのはオッケーで、人が死ぬのは許さないだと? 俺はそういう考えは嫌いだ」

「もう何も喋らなくていい!」俺は瞳志の発言を制した。耳の痛いことを言われているからじゃなくて、単純に彼の身体にこれ以上の負担をかけたくなかったからだ。

「俺は、明日佳に教えられて、自分がデザイナーズだってことも知ってた。そして明日佳が親の仇のために教団を憎んでいることも聞かされていた。だから、秋官が死んだときに明日佳が犯人だっとことも気づいていた。俺は人を死ぬことを容認したりしないけど、それが明日佳にとっての大義で、明日佳にとっての生きる使命であれば、認めざるを得ない。でも、航の大義は容認できない。自殺してかっこつけるのは独りよがりだ。結局誰も幸せにならない」

「頼むから、これ以上喋らないでくれ……」俺は懇願するように言った。瞳志の身体からは止血虚しく相変わらずどくどくと流血している。

「明日佳は大義を果たした。航はここを出たほうがいい。真教国はきっと君が幸せになる場所じゃない。デザイナーズとして生まれたけど、日本で育った。君の生きるべき場所は日本だ……」

 そう言うと力尽きたように瞳志は目を閉じた。

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