5-06 尊厳(最終話)

 ようやく禁軍が瞳志を乗せて、病院へと運んだが、すでに彼の意識は遠のいているようだった。

 ここの医療レベルは分からない。研究所には最先端の技術があるようだが、病院はどこか暗い感じのオンボロな建物だった。

 俺の嫌な予感はよく当たるが、今回だけは何とか助かってくれ、と祈り、叫び続けた。



 三日経っても瞳志の意識は戻らず、もう難しいかと諦めかけたときだった。


「霜鳥殿、意識が戻ったようです」

 病院付きの女御らしき人物が、俺に報告してくれた。




 それから1週間ほど瞳志は加療を受けて、病院の外に出ることができた。

 掌は帝位承継を決断し、ひっそりとその儀式を執り行った。本当なら、承継するまえに、俺と華燭の儀を済ませる予定だったはずだが、諦めたという。俺はやはり真教国で生きるべき人間ではないと。デザイナーズとしての出自ではなく、その人間がどこで生きたいか、その意志によって決められることだと。


 前・帝の肝いりだったデザイナー・ベビーの研究はすべて廃止するという。そして大幅に華波多真教国の戒律を変えること、また、入信も脱退もすべて強制しないことも、掌は誓った。今回の件で多くの信者が、脱退を希望したらしいが、去る者は追わず、だという。

 入信はあくまで本人の意志であるものの、脱退、脱走を許さないのは、ただの独りよがりであって幸せを生まないことを痛感したらしい。

 あくまで能動的な信仰心のみをもって華波多真教国を成立させる。まだ、少なからず華波多真教を信ずるものがいるので、帝位を承継した身として、細々としながらもやっていくと、掌は言っていた。俺にとっては、宗教から足を洗って欲しかったが、帝という責務を全うしたいのだろう。


 明日佳は、秋官を殺めたことについて自首した。正直な話、華波多真教国内は日本にとって治外法権であり、そこで行われる犯罪も黙っていれば不問に付されるはずだった。でも、明日佳が信者ではなく日本国民であることの矜持が、それを妨げた。前途ある高校生が、自ら経歴に傷を付けるに等しい行為に俺は困惑した。確かに、いくら信者であっても人を殺めることはいけないこと。でもそれを本人なりの大義をもって殺めて、そして日本人であることの誇りのために、幼馴染である親友が警察のお世話にわざわざなりに行くことに、非常に複雑な感情を抱いた。


 そして、いちばん問題であった、人体実験とも言えるデザイナー・ベビーの研究。それまで、アメリカ軍基地問題の解消のために黙認されてきた一連の研究が、今回の事件で表沙汰になった。明らかに倫理的に物議を醸し出す問題。通常なら倫理審査で却下される問題を、秘密裏にしかも国が内諾してきた問題を、マスコミが見逃すはずがなかった。


 当然、政府は追及され、教団も糾弾され、新しい帝になる下野掌は、初っ端から対応に追われたことだろう。しかし、すでに研究を取り止めることを誓っていたし、そもそもは前・帝の意志で行われたプロジェクト。また、下野掌本人もデザイナーズであることと、日本国では年端も行かぬ(真教国では成人扱いだが)女子であることと、言っちゃいけないが容姿端麗な姿も相俟って、激しく追い詰められるところまではいかなかった。教団としてが大打撃だが、潰れなかったのは、掌の美麗な容姿で新規の信者もいたとかいなかったとか。真偽のほどは定かではないが、短い間だったがかつての恋人の健闘を祈った。


「いま考えるとあっという間の2か月ちょっとだったな」俺は瞳志に言った。

 結局、真教国にいたのはそれくらいの期間になる。出席日数的にはぎりぎりのところ。夏休みが入っていたので良かったが、もう少し休むと留年になっていたことだろう。

「ああ、不思議だな。一学期までは、下野しものさんがそんな人物だってことも、俺らが入信することも、明日佳が人を殺してしまうことも、想像もつかなかったことだもんな」

 瞳志も同調する。

「そして、瞳志が死にかけることもな」

「お前さんに殺られるところだった」

「な、俺は目を瞑って、腹を切ろうと思ってたんだ。瞳志が割り込んできたんだろう」

「はは。違いないな。俺が、ピッチャーのコントロールを生かして、お前から短刀を手放させてれば良かったんだけど、あのときは、なぜか体を張ってしまった。お前も命を賭けようとしてる。でも死んでしまうのは嫌だ。でもこれくらいのことをしないと、掌と明日佳のどちらかも死んでしまうような気がしたんだろう。だから、俺が体を張った。いま考えるとかっこ悪いよな」

 瞳志は自嘲した。

「いや」俺は、否定した。「誰かが死んで得られる幸せなんてあり得ない。それは、まやかしだ。俺は命と引換えに、掌と明日佳の戦いをやめさせようと思ったけど、冷静に考えて幸せなんて訪れない。あるのは俺の虚しいエゴだけだ。瞳志が言ったとおり」

 フッと、瞳志は一笑した。俺は続ける。

「人は生きててなんぼなんだよ。どんなにかっこ悪くても、どんなに泥臭くても、死ぬことよりは尊いと思う。それくらい命は大きい。同時に、今回デザイナー・ベビーで犠牲になったり不遇な仕打ちに遭ったりした人だって、本来は普通の人間と同じ幸せを享受する権利があるんだと俺は思う」

「何か、お前成長したな」

「悪いな、いままでガキで」俺はちょっとムッとした。でも不思議と笑いもこみ上げてくる。


「お前が真教国に行く前、死に対する恐怖があること言ってたな。でもそれって、いま思うと、本来備わっていなきゃいけない感情なんだろうな。命を粗末に扱ってはいけない。そんなこと当然だし、命の引き換えになるものだってない。だから、恥じる必要もないし、むしろ見習うべき感情なんだ、と俺は思う」

「ありがとう」

 死恐怖症タナトフォビアというあたかも病気のような名前がついているが、はじめてそれを肯定されて、嬉しかった。侠気おとこぎがないとか女々めめしいとか、そういうふうに思われている気がして、気にしていたが、気持ちが楽になったような気がする。


「華波さんのお墓参りに行かないか」瞳志が提案した。その提案は俺も前々からしたいと思っていたことだった。でももう一つしたいことがある。

「もちろん。でも俺は、あの真教国の内乱で失われた命、あと、俺を救けてくれた残穢蝸舎の人達もいるんだ。お墓は真教国の中にあるかもしれない。でも一度お参りに行きたいんだ」

「さすが、お前さんらしいな」そう笑いながら、瞳志は賛同してくれた。「一緒に行くよ」

「サンキュ」

 俺は、冬が近付いた肌寒い校舎の上で、瞳志に礼を言った。


 日没が早くなり、まだ午後三時なのに太陽が低い。

 そんな夕陽の中で、俺らは命の尊厳を再確認した。


(了)

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