5-04 大義
聞いてこれほどショックな言葉はなかった。まさか、秋官を殺害したのが明日佳だったなんて。しかし、一方でどこかで覚悟していた発言でもある。
明日佳は俺の方を向いて言った。
「航、あたしは鳥に好かれているって以前言ったよね? 鷹の
開き直って自嘲するような表情で問いかける明日佳にかける言葉はない。幼馴染としてずっと過ごしてきた女の子が、騒動の発端となる要人の1人を殺したと聞いて、ショックじゃないわけがない。心の中では、嘘と言ってくれ、と叫んでいるが、言葉にならない。
「あたしね、ずっとお父さんとお母さんが殺された教団を憎んでたし、特に処罰を決定する秋官には復讐の誓いを立てていたの」
ここで一つ過去の明日佳の行動に合点がいくものがあった。華波多真教国に来たとき、俺は明日佳の名前を間違えて『明日華』と書いて、逆鱗に触れた。あれは
明日佳は、今度は視線を掌に向けた。
「ねえ、掌ちゃん。あなた、最初から航を
球に明日佳は、掌に近寄り、強烈な蹴りを喰らわせようとした。しかし、間一髪で躱している。
「やめろ! 明日佳」
「何でやめなきゃいけないの!? 航もこの女に騙されそうになったんだよ? こんなふざけた教団の信者にされてさ?」
明日佳は攻撃の手を緩めない。目にも留まらぬ速さの拳打や蹴りを繰り出しているが、掌は躱したり両腕で防御している。
「人聞きの悪い。私は霜鳥くんを自宅に誘ったまで。私の家は真教国にあるんだから仕方のないことじゃない。そもそも
掌に
「本性を表したな。この詐欺師! 航を連れ戻して信者にするためには手段を選ばない。航を
「さっきに
「そう仕向けるために房中術を使ってたじゃない!」
「そんな証拠ないよね」
二人は拳を交えながら激しい舌戦も繰り広げていたが、一瞬明日佳は手を止めた。
「房中術と言えば思い出した。
純潔? そんなことは初耳だった。
「よく知ってるよね? そんなこと。あなたには不要な知識なのに」ここで掌は少し不快そうな表情を見せた。
「そうなるだろうと思って、あたしさ、前もって、航の純潔を奪っておいた。幸徳井家直伝の房中術で、身も心も一体になってね」
「何ですって? 本当なの? 霜鳥くん」
掌の表情が一変し、怒りへと変わっていく。
明日佳が前にいて、やってない、とは言えなかったが、やりました、とも言えないただならぬ威圧感を感じた。
「本当なのね……!」
沈黙は暗に肯定したと捉えられている。
「……ごめん。知らなかった」
「ああっ! もう! 浮気なんてしないって安心してた私が、愚かだった! 秋澤明日佳! いや、幸徳明日佳! 誑かしたのはあんたの方!」
「あたしは航をあんたから護るためにしたのよ!」
今度は掌が構えた。そして素速い動きで明日佳に駆け寄り、顎に蹴りを喰らわせた。その動きがあまりにも速く、一瞬何が起こったのか分からなかったほど。
さすがの明日佳も口を損傷して、血しぶきが飛んだ。
しかし、明日佳は怯まない。後ろに倒れた勢いを生かして、掌の
「許さない! この女!」掌はセリフを吐き捨てて、兵士が落としていった剣を手に取った。
「いいぞ! いいぞ! 殺し合いたいんだろう? では、秋澤の方にも得物を持たせてやれ! 殺せ! 殺すんだ!」
冢宰は
「やめろ!」俺は叫んだ。冢宰は混乱に乗じて、掌が死ぬことを望んでいるに違いない。そして、帝位を承継するつもりなのだろう。
しかし、二人は既に剣を振るっていた。
二人ともデザイナーズの傑作。卓越した運動能力を携えており、常人の剣術ではないことは、素人の俺でも分かる。思いとは裏腹に、張り詰めた緊迫感が止めに行くことを妨げる。
「やめてくれ!」再度叫ぶも、俺の願いは届かない。文字通り二人はしのぎを削っている。
「あたしはね! 真教国を解体して、航と瞳志くんを日本に帰す。そして、デザイナー・ベビーの研究をすべて白日の下に
「させるか! そんなこと! あたしには信者から託された使命がある。そして信者を護る使命も」
女同士の戦い。そこには想像以上に揺るがない信念と命を賭してまで護りたい大義があった。
春州を護るために、俺も一度は命を
激しい戦いで双方の次第にスタミナが落ちていく。彼女たちは高い戦闘能力を有しているが、俺のように疲労に抗う能力は持っていない。
つまり、隙ができて、間一髪で躱しきれなくなっていっている。身体の損傷が激しくなってきて、流血を
互角だが、わずかに明日佳が優勢に見える。掌がデザイナーズで最強だと思われていたが、それを圧倒する明日佳はなお上を行っていたというのか。
ついに、明日佳が突いた剣が、掌の胸の中心を
「掌!!」俺は叫んだ。
掌の傷は浅いのか、流血はしているが、意識は保っている。明日佳は、掌の左肩を右足で踏みつけ、剣の尖端を掌の心臓に向け、とどめを刺そうとしていた。
「あんたのことはいつも嫌いだった。遺伝子改変の影響が強ければ、髪の毛の色も自然の色じゃなくなりやすいのは分かるけど、似合わないウィッグつけて眼鏡をかけて、でも航の前では色目を使ってさ。あたし、そーゆー女大嫌い。あんたがいなければ、航だってもっと幸せな生き方ができた。華波さんだって巻き込まれなかった。全部あんたと、あんたが手に入れようとしているこの教団のせいよ!」
「違う、私は色目なんて使っていない。確かに霜鳥くんの前で眼鏡を外したりしたことはあったけど、それは座席が近かったからたまたま見えちゃっただけじゃない!」
「いや、それも、わざわざ本名の『
「違う! そもそも同じクラスになるかは分からなかったし、座席だって五十音順に並んでるなんて知らなかった。全部偶然よ! でも一つだけ信じてほしい」
「何?」
「私は、霜鳥くんに告白された。確かに教団の命で霜鳥くんを連れ戻そうとしたのは事実だけど、ひとりの人間として彼のことが好きになったの!」
その言葉は俺にとって衝撃だった。
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