5-03 肉親

「は? 何だって? おい、明日佳、そうなのか?」

 明日佳は黙りこくっている。

「明日佳さんにとってもこれは辛い話になるから、そっとしてあげた方がいいと思う……」と掌は言う。

「わ、分かった」と言いながら、そんなことここにいるみんなの前で話して良いのか疑問に感じたが、どうせ、放っておいても冢宰がしゃべるのだろう。口には出さなかった。

 掌は続ける。

「さっき、明日佳さんがデザイナーズであることは冢宰から伝えられたとおりで事実。でもここで言うデザイナー・ベビーってね、私もそうだけど、親という親が存在しない。一応、基になる精子と卵は存在するから生物学的な親はいるんだけど、真教国では提供するだけ。あとは、研究所で好きなように遺伝子改変しているし、産みの親は胎娥たいが。そして、生まれた後集団の保育施設にまとめてあずけられるから、育ての親もいない。一応無戸籍にはならないように適当に戸籍上の親子関係を作って、ちなみに私の場合の親は猊下だけど、血の繋がりもなければ育児をされるわけでもない。だから実質の親はデザイナーズにはいない。でも明日佳さんは例外なんだ」

「何か、特別だったのか?」

「いや特別とかそういうのじゃない。ただ、幸徳夫妻が精子と卵を提供したんだけど、遺伝子改変をしても自分たちの子だと言って、幸徳夫人が産んで自ら育てている。真教国においてはかなりレアケースなんだよ」

「それは別にいいことじゃないかと思うけど……」と言ってから気付いた。明日佳の両親は相次いで亡くなってしまっている。そして俺と同じくおじさん、おばさんに育てられていることを。

「でも、ここで精子と卵を提供することは、デザイナーズが国の所有になることを承認することだった。特別に出産、育児までは幸徳夫妻に権利を譲ったが、教育の段階で、真教国と亀裂が入ったの。特に明日佳さんに、特殊な能力が備わっていることが明らかになってきてね」

「特殊な能力?」

「そう。明日佳さんに付与されていたのは卓越した動体視力。もともと高い身体能力を生み出す遺伝子改変を施している過程で一緒に偶然備わってしまったみたいで、明日佳さん、聞くところによると、あらゆる武術をマスターしているみたいじゃない?」

 俺は思わず頷いた。あらゆる武道に長けているのは、デザイナーズとして付与された力による賜物だったのか。

「真教国は何が何でも明日佳さんを手に入れようと思った。でも、幸徳夫妻は反発し、加えてデザイナー・ベビーの研究に異を唱え始めた。とうとう決裂して、真教国を脱出することにした。幼き娘の明日佳さんと、他のデザイナー・ベビーの2人の子どもを連れて」

「ひょっとして、その2人の子どもがさっき冢宰の言ってた──」

「そう。霜鳥くんと川嶋くんとなるわけ」

「……」

 俺は言葉が出なかった。幼少期のことなんて正直あまり覚えていない。でも俺は両親の記憶も確かにない。写真も見せられたことがない。もっとも、おじ、おばが両親のような存在だったからあまり気にする必要もなかったのだろうけど。

「ここからは本人のほうがよく知ってると思う。秋澤さん、話をしてくれるかしら?」

 明日佳は答えない。

「私が話したほうがいい?」

「──あたしが話す、のね」明日佳の声は低かった。やはり良い話じゃないのだろう。辛い話なのだろう。それを予感しただけで胸が苦しくなる。

 明日佳は、一つ深呼吸をした。

「あたしも真教国にいた4歳までの記憶なんてほとんどない。でも、お父さんとお母さんが、命からがら真教国を脱走したときの記憶はなぜか残ってる。着の身着のままでお金も住むところもない。当然遠くには逃げてこれないけど、千葉寺せんようじの住職に頼み込んで、数日間匿ってもらいつつ、お寺の手伝いをしたって。お寺なのは、真教国の人間が異宗教の力が強く働くところには近づかないだろうから、という理由。お寺の手伝いをしながら、地道に就職活動して、何とかアパート借りて子どもを1人養うくらいにはなったけどね。一緒に逃した航と瞳志は児童養護施設からそれぞれの里親に引き取られたけど、航は偶然にも千葉寺に近いところの家に引き取られたから、幼馴染として千葉寺でよく遊んだよね」

 なるほど。千葉寺の境内けいだいで遊びなさいっておじ、おばによく言われていたな、と思い出した。それは、そこなら真教国から身を守れることができて安全だからか。

 明日佳は続ける。

「それからはしばらくは、真教国に怯えつつも、平和で楽しい生活を送っていた。でも得てしてそういう時間は長くは続かない。ある日、お父さんとお母さんが仕事に出かけている間に、真教国にさらわれたの」

 俺は息を呑んだ。ここからは聞きたくないという気持ちと、でも聞かなくてはいけないという気持ちがせめぎ合った。


「真教国では脱走は重罪。特に両親はデザイナー・ベビーの闇の部分を知っている、ある種危険人物。本当は、あたしたち3人を捕獲して連れ戻そうとしたかったと思うんだけど、両親は口を割らなかったのね。両親はそれ以来帰ってこなかった。ここに来てから何か情報が聞けるかなと思ったけど、何もそんな情報は入ってこないから、きっと殺されたんでしょう。何の驚きもない」

 あまりにもさっぱりとした表情で明日佳は話す。こんな大事、普通なら泣き出しそうな暗い話なのに。

「子どもながらに親が帰ってこないことに最初は悲しみ、5日間経って諦め、10日間経って次第に憎しみと決意をもたらした。当時小学3年生だったけど、家を出て、近所の『秋澤』と書かれた表札の家に転がり込んだ。自分から里親を求めに言ったの。『警察に通報しないでどうかここの子どもにしてください』って頼み込んでね……」


 俺は全然知らなかった。俺が里親に引き取られてぬくぬくと育っているときに、明日佳にそんな苦労があったとは。

 明日佳は含み笑いのような笑みを浮かべながら再び口を開いた。

「ところで、何であたしが『秋澤』家に転がり込んだか分かる?」

 意味などあるのか。俺の率直な意見はそうだ。たまたま近くにあった家に庇護されたのだろう。


「あたしのもともとの名前は、幸徳こうとく明佳めいか。先祖はもともと幸徳井家といって陰陽師おんみょうじ末裔まつえいだった。だからもともと陰陽五行思想にも精通してたんだけどね。ま、それは良いとして、両親が攫われて殺されたことを悟ったあたしは、なんとしても真教国に捕まるわけにはいかなかった。だから名字を変える必要があったけど、親の苗字やつけてくれた名前を捨てたくなかった。だから、明治の思想家、幸徳こうとく秋水しゅうすいにちなんで『秋澤』家を選んだ! 澤の幸とあみめは幸徳、秋とさんずいは秋水をし、幸徳秋水の大逆事件に絡めて親を殺した秋官への怨嗟えんさを忘れないように、あたし本人が、秋澤明日佳に改名したの!!」

 明日佳の表情はだんだん怒りに置き換わってきている。

「もう、分かるよね? あたしが、秋官を殺ったの」

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