1-03 媒介

 俺は仰天した。

「な、何で分かるん!?」

「半分は勘だよ」

「……でもさ!」

 俺は確かに下野さんのことを考えていたし見ていた。でも下野さんの席は俺の前だから必然的に視界に入る。そんなに鼻の下を伸ばしていたのだろうか。店内は空調が効いて全然暑くないのに汗がじわりと出るのが分かる。

「陸上部に学校で噂になるような可愛い子は、あたしの耳には入ってこないんだよね。部活じゃないとするとクラスメイトかなと思うんだけど、となると、航の前に座ってる下野つかさちゃんかと」

「どうしてそうなる? 他のクラスかもしれんだろう? それに下野さんだって、噂にはなってないと思うぜ」

 下野さんはかなり地味だ。大人しいし友達もいない印象だ。先生に当てられたときに答えているときにしか声を聞かないほどに。しかし、明日佳から意外な答えが返ってくる。

「何にも知らないんだね? 下野さん、男子の中じゃ結構人気だよ」

「えー! 嘘?」

「まぁ、1Cじゃ、あたしの次に下野さんが人気だね」

「デタラメ言うなよ。石井いしいさんや佐久間さくまさんだって、人気じゃないのか?」

「まぁ確かに人気だけど、あたしの情報網からすると、下野さんが上だね」

「……バカな」

 ショックだ。下野さんのことが好きなのは自分くらいだから、競合することはないと思っていたのに。

「だって、あの子、眼鏡かけてるし全然飾ってないけど素顔めちゃめちゃ美人じゃん。スッピンならさすがのあたしも勝てないよ。おまけに隠れ巨乳と来たもんだ。そりゃ航もメロメロだわな」

 思わず俺はコーヒーを吐きそうになって、それをこらえようとしてせた。おまけの情報は、俺はまったく気付かなかった情報だ。

「ゴホッ! ゲホッ! へ、変なこと言うな!」

 しかし、明日佳は攻撃の手を緩めない。

「あたしゃ更衣室で見てたまげたさ! あの子さ、F? いやGくらいある? それでいてウエストすんげー引き締まってて細いんだよ。無駄な肉がない。造られたみたいな体型でびっくらこいたよ。世の男どもは、地味なのに美人、頭が良くて運動神経も抜群。加えて隠れ巨乳。そーゆーギャップに萌えるんだよね!?」

「もー、勘弁して下さい」

 抵抗すればするほど墓穴を掘るような気がしたので、俺は白旗を揚げた。

「あたしに気が向かなかったのは悔しいけど、まぁ下野ちゃんなら許す! あたしが恋のキューピットになってあげようではないか!」

 俺は顔が真っ赤になっている自覚があった。明日佳がそう言ってくれるのは嬉しいが、そこそこ声がデカいおかげで、力の限り恥ずかしい。

「サ、サンキュ」小声で礼を言う。

「でもさ」急に明日佳は俺の方を向き直して、神妙な顔つきをして「その代わり確認しておきたいことがある」

「何さ?」

「あたしが、もし危険な目に遭ってるときとか、不遇な運命に直面してるときとか、航はどうする?」

 質問の意図が分からない。俺が動揺から立ち直れていないだけかもしれないが、それでも突拍子もない話題の転換のように感じた。

「何だよ? 急に」

「いや、どうかなって思って」

「そりゃ助けるだろう。明日佳のことは友達だと思ってる。仮に下野さんのことを好きでも、付き合うことができたとしても、友達は男女関係なく大事だよ」

 俺はつまらないほど教科書的な回答に終始した。いや、教科書的かどうか分からないけど、無難で人並みな回答に感じて我ながらうんざりした。

 しかし、意外にも明日佳は笑顔を浮かべた。

「ありがとう……。それが聞けて良かった!」

 そう話す明日佳の瞳は潤んでいるようにも見えた。

「な、何でそんなこと聞いたんだ?」

「あ、いや、大した理由じゃないんだけど、あたし、これでも苦労人でさ。両親も死んじゃってるじゃん? だからたまに不安になるんだ」

 俺たちがまだ小学2年生か3年生のころ、明日佳の両親は相次いで亡くなってしまっている。だからいまはおじさん、おばさんに育てられている。かくいう俺も両親は海外で暮らしてるっていう話で、親戚のおじ、おばに預けられているのだが。

 


 協力を約束してくれた明日佳に礼を言って、マクドナルドで別れると、俺は変な昂揚感こうようかんに沸いた。

 果たして吉と出るか、凶と出るか。正直な話、下野さんにそんなにライバルが多いことに驚いた。どんなにクラスの男どもは目ざといんだよ。

 それに、明日佳は俺のことに好意を持っているかのような発言も衝撃だ。電車に乗るまでは冗談かな、と思ったが、最後のあの趣旨の分からない質問に何か意図があるような気がして、気になっていた。本当に明日佳は俺のことを好きなのだろうか。もしそうであれば、明日佳に協力を頼んだ俺はとてつもなく酷いことをしたなと、自分を責めたくなる。


 でも、幸か不幸か、俺はいまのところ下野さん以外に恋愛対象がいない。明日佳は友達として、幼馴染みとして、かけがえのない存在だ。でもそれは、俺にとっては恋とは明らかに違う感情だった。

 もし、何かの弾みで明日佳と付き合ったとしても、好きな気持ちが分からずに悩みながら付き合うことになるだろう。

 恥ずかしながら、下野さんは俺に遅く来た初恋の相手だと言える。その正直な気持ちに、俺は嘘をつきたくなかった。



 その後、明日佳が気を利かせて、下野さんのことをいろいろ調べてくれた。彼氏はいないこと。特に想いを寄せている相手はいなさそうだということ。そもそも恋愛には興味あるのかも怪しかったので聞いてみたら、恋愛対象は男子であること。

 あの寡黙な下野さんに、よくそこまでストレートな質問ができるな、と俺は明日佳の積極性に舌を巻いた。俺が10年かかっても異性には聞けなさそうな質問を。

 ありがとう、と改めて礼を言って、いよいよ俺は決意した。機は熟したのだ。



 放課後、明日佳は俺の肩を叩いた。

「航、がんばりなよ! さっきまた会ったときに、下野ちゃんに航のこといいヤツだってさり気なく言っといたんだから」



 季節はこれから夏本番の7月の最初の金曜日。梅雨の中休みで、この時期にしては珍しく爽やかだ。風が心地良い。

 部活に少し遅れます、と伝えてある。放課後に下野さんに想いを伝えるのだが、彼女は帰宅部なのでやむを得ない。

 昼休みも考えたが、ふられた場合、午後の授業で彼女の背中を見るのは辛い。放課後、それも金曜日を選んで、校舎裏に来て下さい、と手紙を下駄箱に忍ばせた。ベタな方法だが、連絡先も知らない俺が考えつく範囲で最良と思われる方法だった。下野さんが登校する前に入れておいた。下野さんが登校したあとの下駄箱を確認するとその手紙はなくなっていたから、さすがに目を通しているはずだ。席は隣だがそのことについて俺に確認してくる素振りはない。少しずつ不安が膨らみ、その日の授業の内容は頭に何も入ってこなかった。


 そしてついに放課後、校舎裏で待つ。あまりにもありふれた方法だが、下野さんは来てくれるだろうか。

 なかなか彼女は来ない。5分、10分が経過し、いよいよ焦りが生まれてきた。せめて教室を出るときに、声をかけておくべきだった。何でそんな簡単なことができなかったのだろう。


 学校は、これから部活が始まろうとしてグラウンドや部室棟から賑やかな声が聞こえてくる。普段なら俺もその中に溶け込んでいるはずなのに、今日ばかりはその声が遠く、そして空しいものに聞こえた。


 俺もそろそろ陸上部に行かないと、と思った矢先だった。校舎の角から下野さんがおそるおそる顔を出した。

 しっかり諦めと悲しさで脱力しきっていた身体が再び硬直した。

霜鳥しもとりくん?」

 鈴を鳴らすような綺麗な声で、彼女は俺のファミリーネームを呼んだ。

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