1-04 脱俗
「……下野さん!」
俺は来てくれただけで嬉しかった。まだ本題はこれからと言うのに。
「校舎裏って聞いて、どこか分からなくて……」
校舎と言ったら、俺たちが授業を受けている『本棟』を指すのは言わずもがなと思っていた。友達との会話でも『校舎裏』と言えば通じるはずが、他者との関わりのなさそうな彼女にとっては共通認識ではなかったらしい。
「こっちこそごめん。ちゃんと書いておけば良かったね」
「いえ……」
彼女はそう言うと、しばし沈黙と気まずさが戻った。俺が呼びつけたのだから俺が切り出さなければ。
「あ、あの、今日は忙しいところ来てくれてごめん」
「うん、いえ」彼女の回答は微妙だった。感情が読み取れない。望みは薄いだろうか。それとも俺が嫌われているのか。よく明日佳は情報をいろいろ聞き出したものだと感心する。
でもここまで来てしまったらもう引き返せない。
「あの、えっと、
「えっ、わ、私……?」
下野さんは驚いたように口を開いた。俺は自ずと鼓動が高鳴った。
「お願いします! 付き合って下さい!」
俺は真っ直ぐ手を伸ばした。ここまで手を尽くしてくれた明日佳に感謝しつつ、残念な報告をしなければならないんだろうな、という諦めと悲しみが俺を襲う。彼女は高校のときに恋人を作るとか、青春を
しかし、予想は良い方向に覆された。
俺の手に柔らかな温もりを感じた。
「分かりました。こちらこそよろしくお願いします」
「ほ、本当に?」
「ええ。こんな私なんかで良ければ……」
俺は空を舞うような気持ちになる。
†
その日の部活は前もって言っていた以上に遅刻したことを
部活が終わって帰ろうとしたとき、たまたま明日佳と一緒になった。さっそくお礼を伝えなければならない。
「ありが……」と言いかけたところに、明日佳が「おめでとう」と言った。
「ああ、ありがとう。どうして分かったんだ?」
「顔に書いてある」
「……」
またもや、俺は複雑な気持ちになった。そんなにヘラヘラしていたのだろうか。
「ま、お幸せにね。あ、あたしへのお礼は期間限定のマンゴフラッペのラージサイズでいいよ!」
「あ、おう、マンゴフラッペでもジャンボフランクでも、いくらでも奢ってやるよ」
「真剣にならんでよ。冗談なんだからぁ」
「そっか」俺は頭を掻いた。
「彼女のこといろいろ聞かせてね。あ、その前にあんた、きっと女の子と付き合ったことないだろうし、童貞だろーからさ、忠告しておくけど、ちゃんと面倒くさがらずに連絡取りなよ」
「童貞は余計だ。……事実だけど」明日佳の言葉はいちいち棘がある。
「連絡先はちゃんと交換したんだよね?」
そう言われてハッとした。有頂天になっていてうっかり失念していた。
「あっ」
「ったくもう、ダメだなぁ……! まめに連絡して準備のいい男ほど、女の子にとって印象がいいんだから」
俺は女心を分かっていないらしい
†
翌日、下野さんは驚くほど平然と登校した。おはようの一言すらなく、まるで何事もなかったかのように。
「あ、昨日はありがとうね」
俺は下野さんに礼を言った。
「こちらこそ」
相変わらず寡黙だ。そしてにこりともしない。告白を受け入れることは、彼女になるということを理解していないのか。それとも実感が湧いていないのか。
取りあえず用件を伝えよう。
「き、昨日聞き忘れたんだけど、連絡先教えてくれないかな?」
そう口に出してみて、ふと彼女がスマートフォンをいじっている光景を見たことがないことに気が付いた。
まさか、と思ったそのまさかだった。
「私、携帯電話、持ってないの……」
いまどきの高校生は携帯電話、いやスマートフォンがないと生きていけないような気がするが。そんな固定観念から彼女は外れているというのか。
「分かった。ごめん。でも席が隣だからいつでも喋れるよね」
取りあえず、そのように取り繕ったが、未だに信じられなかった。かと言って、スマートフォンを契約しろとは言えない。
ものすごく貧乏なのか。いや、ここは私立高校だから、そんなことあり得ない。では、親御さんが非常に厳格なのか。そういう場合、はじめての告白でOKしないような気がするが。
ただ単に価値観がずれているだけなのか。
謎が謎を呼ぶ不思議な彼女。付き合って初日だし、知らないことが多くて当然と言えば当然だが、それにしてもミステリアスが過ぎる。
今度の日曜日、思い切ってデートにでも誘ってみるか。
下野さんがどのようなところに行きたいのか、皆目見当がつかないが、普段の休み時間の行動を見ていると、文学少女よろしく小説を読んでいる。ひょっとして映画とか好きだろうか。
そんなことをあれこれ考えながら、彼女をどうやったら喜ばせられるか、悩んだ。
やっぱり今日の授業も、頭に入ってこなかったのは自明の理であった。
そして、俺はこのあとも、不思議すぎる彼女に翻弄されていくことになる。
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