1-05 詮索

「よう、航。何だかやけに機嫌良さげだな!?」

「な、なんだ!?」

 下野さんとのデートプランをあれこれ考えているうちに、だんだん妄想にふけっていった。授業と授業の休憩時間にスマートフォンで、高校生のデートに使えそうな施設とか公園とかを検索。いままでそういうことを調べたことがなかったので、新鮮だった。生まれも育ちも千葉なのに、千葉のことを実はよく知らないんだなということも分かった。

 特に稲毛海岸いなげかいがんのプール。プールがあることは知っていたが、こんな流水プールやスライダーのある立派なものだということは知らなかった。

 明日佳の情報が正しいとすると、下野さんはめちゃめちゃスタイルが良いらしい。そんなことで鼻の下を伸ばしていると思われることに恥辱を感じてしまうが、残念ながら男として意識しないわけにはいかない。

 でも、いくら夏だからと言って初デートでいきなりそんなところに誘うのはさすがにドン引きされるだろうか。

 そういう感じで、あれこれ悩んでいると、声をかけてきたのだ。

 俺にとっては不意打ちに近かったので、身体をビクンと震わせた。


「そんなに驚くことじゃないだろ!?」

 ここに来てやっと声の主が、瞳志とうしだということに気付いた。

「何だよ、俺はいろいろ忙しいんだよ」

 せっかくの妄想が、急に現実に引きずり戻された気分だ。

「それは悪い。あまりに嬉しさが顔に出てたもんでな?」

「はっ!?」

 俺は一気に恥ずかしくなる。本当に鼻の下が伸びていたというのか。明日佳と言いこの男と言い、どうして俺の感情を見抜けるのか、と自問して、それだけ感情が表に出やすい顔だという結論に一瞬にたどり着いて、げんなりした。

「まぁ落ち着け。別に他意はないんだ。ところでさ、お前、下野さんのこと詳しいか?」

「な?」

 なぜ、こいつは俺と下野さんとの関係を知っているのか。俺は動揺に動揺を重ねる。交際の事実は、明日佳にしか打ち明けていない。もしかして、明日佳が吹聴しているのか。ちなみに下野さんはトイレにでも行っているのか、ここにいない。

「だから何でそんなに驚く? お前が下野さんの席の後ろだから聞いてるんだよ」

 そう言われてハッとした。別に俺が付き合えたことに勘付いたわけではなさそうだ。それが分かってホッとする。

「そっかそっか。変なリアクションしてすまん。残念ながら俺は詳しくないぞ」

 それは事実である。付き合っても俺は彼女のことほぼ何も知らない。連絡を取る術すら獲得できていない。少なくとも彼女の口から聞き出した情報は皆無であり、数少ない情報は明日佳からの情報である。

「あ、場所を変えよう」

 瞳志が言う。下野さんが教室に戻ってきたようだ。彼女に聞かれたくないことなのだろうか。それはそれで気になる。俺は応じて、廊下の階段近くにまで移動した。

「で、何で下野さんのこと嗅ぎ回ってるんだ?」

「いや、別に大したことじゃない。彼女がウィッグをつけてるとか染めてるとか、カラコンを入れてるとかって聞いたことないか?」

「ウィッグ? カラコン?」

 何のことだか分からない。下野さんの髪の色は言うまでもなく黒。目はよく見てみないと分からないが、あの地味な風体ふうていは、カラコンとは無縁だということを物語っている。ウィッグもそうだ。

 ちなみに、この学校はまあまあ厳しいらしいので、これらをつけるのは原則として禁止されている。

「実は、そういうタレコミがあってな。学級委員として聞いてるんだ。でもまぁ、そんなことないよな?」

 そうだ。この男は学級委員である。川嶋かわしま瞳志とうし。長方形に近いレンズの眼鏡がよく似合う秀才タイプである。これでいて部活は野球部で投手。人当たりも良く人望もある。

「ないだろう。だって下野さんだぞ」

「俺もそう思ってる。でも、あんなに静かな子に、そんなこといきなり聞くのも気が引けるんでな。無実だったら、傷付けることになりそうだし」

「よくある妬みとかじゃないか? あの子成績もいいし意外にも運動もできる。良く思わないヤツがいてもおかしくないよ」

 そう思うと、俺が彼氏として彼女を守らなければという気持ちになる。性格的にはイジメの対象に発展してもおかしくないくらい引っ込み思案に見える。

「そうだな。ありがとう」

「それに、仮にウィッグだとしても、黒くしてるんなら問題ないんじゃないか。わざわざ染めていないように見せてるわけだし」

「珍しいな。お前がそんなに女子を擁護するなんて」

「……別にそんなことないよ」

 いきなり指摘されて戸惑う。確かに俺は、そんなに他人に関心を示さないが、下野さんは特別だ。瞳志も油断ならない。


「そう言えば航、志望校とか決まってるのか?」

 瞳志は突然話題を変えてきた。志望校と言われても、この間高校に入ったばかりだ。

 一応進学校に入るはずなので、大学には入りたいと思っているが、高校での成績もどうなるかまだ分からない。

「まだ、決まっていないな。瞳志は決まってるのか?」

「防衛大学か防衛医科大学」言下に答えた。

「即答だな」

「ああ、俺、戦車に乗ってみたいんだ」

「戦車? だから防衛大学なのか」

「成績次第では防衛医科大学になって軍医として頑張ってもいいと思ってる」

「殊勝な夢だな。俺は自衛隊は向かないな」

「何で? 体力ありそうだけど」

「何か、目の前で人が死んだり、戦ったりするような世界は生理的に無理なんだ。どうも昔からダメで、映画やアニメでも観たくないよ」

 俺は、人殺しや戦争のシーンを昔から本能的に避けてきた。そういうニュースを聞くだけでも憂鬱になる。

「そうか。航は優しいんだな」

「そうじゃないよ。肝っ玉が小さいだけ。仮に医者になる頭脳があっても、手術シーンなんか見たら倒れちゃうな」

 だから、俺は人の死に接する仕事には向かないということを自己分析していた。

 かと言って自衛隊や医者、それを志す人たちのことを否定することはしないし、むしろ尊敬している。瞳志には頑張ってもらいたい。


 チャイムが鳴る。あっという間に休憩時間は終わってしまった。

「戻るぞ。悪いな、休み時間に」

「大丈夫だ。次は数学の野崎のざきだからな、早く戻るぞ」

 そう言って、俺たちは自席に戻る。



 それにしても奇妙な噂だ。彼女は確かに不自然なほど髪が長い。髪で顔を隠しているかのように。しかも、通常髪を切れば短くなるが、髪の量や長さにこれと言った変化はない。瞳志には言わなかったけど、毎日のように観察してきたから断言できる。となると確かにウィッグで説明はつく。

 一方、カラコンというのは違う意味で奇妙だ。彼女の瞳の色。長い前髪と黒縁眼鏡で分かりにくいが、黒か茶色か、日本人によくある色だったように思う。少なくともカラコンなど入れているようには見えなかった。彼女に嫉妬して変な噂を立てるなら、もっと信憑性のあるマシなものにすれば良いのに。

 どこか腑に落ちないが、いまは気にしないようにする。仮にウィッグだとしてもカラコンだとしても、俺は下野さんが好きだという気持ちに変わりはない。

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