3-09 叩頭

 稲益敏と名乗った男は、黒を貴重とした中に、一部黄色のラインが入った、礼服風の衣装を身に纏っている。

「憑依って何ですか? フクマタイテイって誰ですか?」

「伏魔大帝は武神である関帝かんていの異名です。武神ゆえ、それが乗り移ったときは荒々しい性格になりますが、もともと関羽かんう雲長うんちょうを神格化したものなのです。神が憑依するという点では、イタコの口寄せに似ていますが、彼女はイタコの遺伝子をデザインされたわけではない。三国志などで聞く関羽の性格とも違う気がする。彼女の中にいる空想を具現化したものに過ぎない。ゆえに、どちらかというと解離性同一性障害に似たものだと思っています。簡単に言うと多重人格ですね」

「はあ」やけに説明口調な男だと思うが、至って冷静沈着な男なので助かる。

「そこにいてください。大司徒は私が丸め込んできますから」

 そう言って大司徒室に入り、しばらくは叫び声が聞こえたが、すぐに止んだ。


 しばらくすると、また稲益が廊下に出てきた。

「大司徒は、主人格に戻りましたのでご安心を。でもまだ興奮しているようだ。しばらくは近寄られないほうが良いでしょう」

 そう言って、一つ拱手礼をすると、廊下の奥に去っていった。


「大司徒はいったん鎮静化したけど、面会できない。何も進展していない。これ果たして大丈夫なのか?」

「普通に考えたら、帰れねぇよな? 収穫がないところか、春州との関係を悪化させちまったんだから」

 俺と華波さんが次々に不安を口にする。

 もし春官が激情的な主だったら、交渉決裂して帰ってきたら、激しく糾弾し、官職を剥奪するなり何かしらのペナルティを科すだろう。下手すると首を刎ねられる。

「大宗伯殿はお優しいお方。そんなことはされない」何の自信なのか、克叡さんはそんなことを言ってのける。


「いや、これ、天州のほうが交渉うまく言ってなかったら、この状況は非常にまずいんじゃね」華波さんが言う。そのとおりだ。

「克叡さん、そうですよ。天州が敵になったら勝ち目はないと思います。せめて地州だけでも、こちらについてもらわないと」俺も華波さんに追従する。

「でも、大司徒はおかんむりでしょ?」

「誰かさんのせいでね。でもこの状況じゃやむを得ないでしょう? 恥も外聞も捨てて、頭を下げに行きましょう」

「……」克叡さんは黙っている。

「春州のプライドだって大事かもしれないけど、滅亡してしまったら、プライドもくそもないでしょう? もし良かったら、俺が交渉しますから」



「失礼します。先程は小宗伯が粗相をしました。いま一度お話を聞いていただけないでしょうか?」

 大司徒室の前に立って声をかけてみても応答はない。

「失礼します。どうかお話をお聞きいただきたいです。よろしくお願いします」

 使い慣れない敬語を駆使して、何とか交渉を頼んだ。5回ほど呼びかけたところで、大司徒が無言で扉を開けた。


「ありがとうございます」そう言って俺は、見様見真似で身につけた拱手礼で感謝の意を伝える。

 大司徒は何も喋らないが、室の中央にある椅子に座るようにジェスチャーで示してきた。

「お話よろしいでしょうか?」

 俺の問いかけにこくりと首肯した。話は聞いてくれるらしい。相変わらず仮面を被っていて表情は伺えない。


「まず、先程の粗相、お詫び申し上げます。以前、俺、あ、いや私と内史で来たときには天公様のお告げで我が州に与することはできないとのことですが、改めてお願いに上がりました。事情は把握されてるかもしれませんが、もう一度説明をさせてください。率直に言うと春州は内乱によって滅ぼされようとしてます。だから大司徒殿のお力をお借りしたいんです」

 このとおりです、と言って俺は叩頭した。いわゆる土下座だ。土下座なんて日本にいたときを含めてしたことがなかった。

「航……?」この行動にはさすがに華波さんは驚いている。

「克叡さんと華波さんもやっていただけますか?」

「わ、分かった」華波さんが同調してくれた。

「こ、このとおりで……、うっ!」叩頭が妊娠中の身には悪いのか、嘔吐えずき始めた。

「大丈夫ですか」俺は華波さんの身体を起こした。

わりぃな」


「克叡さんもお願いします!」

「春州の矜持が……」

「何、馬鹿げたこと言ってんですか? そんなことのために春州の人が死んだら、お笑い草っすよ!」

「……」

「嫌だと言うなら、俺がさせます。ご無礼をお許しを」

 俺は、克叡さんを椅子から引きずり下ろし、膝を折らせて、頭を地に押さえつけた。

「ちょ、お前、やめぃ」

「あとで、どんな処分だって受けます。でもいまはこうしてください」


「──もう良い。頭を上げられよ」大司徒がようやく声を出した。

 これは天公の神託なのか、それとも何者かが憑依しているのか、どんな人格なのか。一瞬のうちに俺はいろいろ考えた。

「椅子にかけてください。そなたの話を詳しく聞きたい」

 大司徒は澄んだ声でそう言うと、被っていた仮面を外していた。

 その顔は15歳の掌よりもさらにあどけなく、瑠璃るり色の瞳が印象的な透明感溢れる美しい少女だった。

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