フェニックスは朱華色に輝く

銀鏡 怜尚

1-01 恋慕

 季節外れの涼しい風そよぐ夏。青春は光り輝こうとしていると信じたかった。

 眼前には憧れの子がいる。明日佳あすかには感謝したい。このようなお膳立てをしてくれたこと。

下野しものさん、あなたのことが好きです。どうか付き合って下さい」

 俺ははじめて、彼女に向かってその名前を呼び、頭を下げて両手を前に差し出した。

 だらんと顔を覆う漆黒の髪と黒縁眼鏡で、その表情はよく読み取れない。クラスメイトのほとんどは、頭は良いが地味で根暗な子というイメージしかないだろう。しかし俺は、彼女の素顔が誰よりも美しいことを知っていた。

 少しもじもじしたようにその子は黙っている。突然の告白に戸惑っているのだろうか。でも明日佳からそれとなく伝えられているはずだ。

「えっ、わ、私……?」

「お願いします! 付き合って下さい!」俺は再び頭を下げて手を伸ばす。

 無言の時間はたかだか数十秒程度のはずなのに、俺にとって永遠のように長く感じられた。蝉の声だけはけたたましかった。



 ちょっと背伸びして花美丘はなみがおか高校に入って良かったなと思ったのは、そこの指導体制でも部活動でもなかった。多感な高校1年生。よこしまかもしれないが、それが恋だというのは決して俺だけではないだろう。昼ごはんを食べて物思いにふけっているときだった。

「あんた、恋してるでしょ?」

 いきなり背中をバチンと叩いてきたのは、小学校、中学校でも同級生の明日佳あすかだ。家が近所で、幼馴染みという感覚はないが、男女隔たりなく接してくる性格だから、俺にもこうやってやたらとちょっかいを出してくる。

 しかし、何で突然そんなこと。しかも図星だ。

「何でそんなこと?」

わたる、あんた顔分かりやすいもん」

 必然的に顔が紅潮するのが分かった。5月でまだ暑くないはずなのに、発汗している。俺はそんな分かりやすい表情をしていたのだろうか。

「勝手に決めんでくれよ」

「好きですって思い切り書いてあるのによく言うわ。さ、誰なの? あたしに話してみなさい!」

「バカ野郎」


 明日佳は男をからかう癖がある。普通なら嫌がられるのに、ポニーテールの美少女のせいか、不思議と嫌われることがない。みんなの人気者だ。でも、俺は明日佳を可愛いと思っても、恋愛の対象ではない。



 俺は1年C組。まだ1ヶ月とちょっとしか経っていないが、和気藹々わきあいあいとしたクラスだ。ご近所さんの明日佳も偶然同じクラスである。

 好きな子は俺の前の席にいる。下野しものつかさという。黒縁くろぶちの眼鏡をかけた寡黙で地味な子。クラスメイトと話している姿をほとんど見たことがない。だから、クラスの男子で彼女に興味をもっていそうな人はいまのところいなさそうだ。


 でも、俺は彼女がたまたま眼鏡を外して手櫛てぐしで髪をかき上げたとき、偶然目が合った。その瞬間彼女の美しさに電撃が走った。率直に言うと一目惚れである。たぶん席が離れていたら気付かなかっただろう。出席番号が俺と1つ違いだったことを心から感謝した。


 それから俺は、授業中は彼女に見蕩みとれ続けた。多くのクラスメイトが知らない俺だけの秘密。もし時間が経つうちに、その秘密が皆の知るところになったら、俺だけの特権は特権でなくなる。内心焦りながらも、俺はこれまで誰とも付き合ったことがないし、告白もしたことがなく、どうすれば良いのか分からない。自他ともに認める奥手の俺は、ただ見ているだけで何もすることはできなかった。


 彼女を見ていて気付いたのは、実は文武両道だということ。眼鏡をかけていていかにも勉強ができそうな出で立ちだから、才女であることに驚きはないが、スポーツもできるのは意外だった。得てして、こういう子は運動音痴な傾向が強いと思うのだが、走れば速かったし、ボールを投げれば男子に勝るとも劣らずであった。武道とか水泳とかがどうなのかは、まだ入学間もないので分からないが、何となく動きで分かる。運動神経はかなり良いことが。どの運動系の部活に入っても良いところまでいけそうなのに、もったいないことに彼女は終礼後いそいそと校門を出てしまう。

 願わくは、俺と同じ陸上部に入ってくれないかなと思ったが、部活に引き入れることは恋敵を増やす行為に等しいような気がした。もっとも、彼女は寡黙、俺は奥手だから話すきっかけすらない。もやもやした気持ちを抱えていたころに、見事にこの秋澤あきざわ明日佳あすかに俺の心を看破されたのである。



「明日佳は誰か好きなヤツ、いるんかよ?」

 せめてもの反撃で俺は聞いてみた。

「さて、どーだろーね? いまのところあたしの好み、って人はいないかな」

 何かを隠している様子はない。本音なのだろうが、悔しいのでもう少し突っ込んでみる。


「ほら、空手部の先輩とかでいるんじゃないか? 結構イケメン揃いって聞くぞ」

「確かにカッコいいけど、アタシの好みじゃないんだな?」

「明日佳はそう思っても、明日佳のことを好きな男はたくさんいるんじゃないか?」

 これは本音だった。空手の期待の新星ながら、明るい性格と絵に描いたような童顔の美少女だ。俺のタイプではないがさぞかしモテるだろう。

 せめてもの反撃。俺はしてやったりと思いながら水筒のお茶を飲む。

「その男の中に、あんたは入ってるの?」

 俺はお茶を噴き出しそうになった。

「ゴホッ、ゴホ! なん!?」

「冗談だよ。あんたがこーやって女子に話せるのは、恋愛対象に見てない証拠だから」

「……」

 何だか何もかも見透かされているようで、複雑な気持ちだ。

 そうこうしているうちに予鈴が鳴る。これから午後の授業だ。

「というわけで、あたしは航の恋を応援するからさ、いつでも声をかけてよ!」

 そう言って明日佳は笑顔で俺のもとを去っていった。

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