2-09 帝宮
「
俺は確認のために聞いた。
「そう。公にはなっていないけど、帝は死期が近いの。強靭の精神力でいままでどんな苦境にも立ち向かってきたけど、老いと
「それで何で、下野さんが次の帝になるんだ。あ、君が戸籍上の孫だからか?」
「孫じゃなくて子だよ」
「子!?」掌が15歳だから75歳差だ。そんな親子が存在するというのか。しかし、そんなことは
「だから、戸籍上の親子であって、遺伝子的な繋がりはないって。年齢差は意味をなさないの」
「そ、そっか」そのあたりの感覚は、ついこの間まで日本にいた俺にはなかなか分からない。
「真教国の帝位継承は
「戸籍上の子なら、世襲じゃないか?」
「そこが問題なのよ。猊下は
「でも、帝は絶対的な存在だから、帝が右を向けと言われたら右を向くんじゃないか」
ここのヒエラルキーは絶対的なものだ。特に帝は、真教国においては絶対的な権力を行使できるものではないのか。
「真教国の教えや習わしは、古代中国に倣ったものが多く、禅譲放伐もそのひとつ。信者もその道教や儒教が思想の
「そうか、簡単な問題じゃないんだな」
「あと、やはり老衰によって、昔ほど猊下の威厳がなくなってしまってるのもある。だからこの真教国は、いま岐路に立たされているってわけ」
帝位継承。それは当人たちにとっては非常に大きな問題だろう。しかし、大夫、しかもついこの間入信した俺には、どれくらい影響する問題なのだろうか。いまいち現実味を感じない。
掌はふっと笑った。
「ま、さしずめ、自分にはあまり関係ないや、って思ったでしょ。でもそういう訳にはいかないんだな」
「何でさ?」
「霜鳥航。あなたには
「コウセイ?」専門用語なのか、次々に聞き慣れない言葉が出てくる。
「うん。簡単に言うと、私の夫になってもらいます」
その意を理解するのに5秒ほどの黙考を要した。そして、「えええ!?」と大きな声で俺は驚いた。
ようやく、俺がここに連れて来られた意味を理解した。俺は真教国に入信したのは、下野掌と結婚するためだったのだ。
言葉では理解していても頭は混乱していた。俺はついさっきまで、明日佳に鞍替えしようとしていた。我ながら
「3日後、猊下と諸侯に、霜鳥くんを紹介するから」
掌にはそんなことを言われてしまった。この世界は身分の違うもの同士の婚姻は許されないはずだが、帝や諸侯が認めた場合は、婚約者の身分を昇格させ婚姻をすることができるようだ。
しかし、何で俺なのだ。その疑問は消えなかった。
俺はただの男子高校生だ。真教国とも中国とも無縁である。人よりちょっと走るのが得意なだけの日本人である。
一方で、デザイナー・ベビーの最高傑作と自称する下野掌は、その気になれば国を傾けるほどの逸材なんだそうだ。それが事実なら、分不相応も甚だしい。確かに俺は下野掌に恋をしたが、その事実を知っていたら、告白はしなかっただろう。
しかも、猊下や諸侯に会わせると言うのだ。日本で言えば、一般市民が首相や大臣に会うような感覚だろうか。諸侯でも、花美丘ではクラスメイトでもあり日本の文化にも触れている掌は、多少気安く接することができるのかもしれないが、それ以外の者はどうなのか。もし無礼を働くことがあれば、どうなるのか。俺には想像もつかなかった。
†
そしてその3日後はすぐにやってくる。例によって華軒で彼女の邸宅に行ったが、俺は気が気でなかった。
「いつにも増して緊張してるね」
「当たり前だよ。粗相したら命がないんじゃないか」
「そこまではないよ。首を
「それは困る!」
俺は小さな子供のようにじたばたした。
すると掌は、俺の両頬を両手で触れ、いきなり、でも優しく口づけた。急に怒りや苛立ち、底知れぬ不安などの負の感情が、鎮静化していった。
「房中術って知ってる? ちょっとは落ち着いたでしょ」
房中術という言葉は、忘れもしない明日佳から実践とともに身体に埋め込まれた。でもそんなこと、当然ながら掌には言えなかったが。
再び華軒に、そして今度は掌も一緒に乗る。帝がいるのは
諸侯は毎日、
「じゃあ、学校を出る前に朝議に参加してたって言うの?」
「それはさすがに無理。だから平日は小宗伯が代理で出てる。学校の休みの日とか私が行ってる。こないだの幕張のデートのときはさすがに代わってもらったけどね」
俺は少し複雑な気持ちになった。気軽に誘ったデートによって、ある自治国の幹部の執務に影響していたとは。
「ここからが天州だね」掌は華軒の窓のカーテンを開けて言った。
俺は思わず息を呑んだ。
「何ここ?」
目の前に広がっていたのは、いままでとはまるで別世界の近代的、いや近未来的な高層ビル群だ。首都州だからなのかもしれないが、東京よりも建物が密集し林立している。
「天州は密集してる分、狭い。でもここの住人は、言ってみればエリートだね。庶人は住むことも入ることもできない」
「そうなんだ」
「言ってみれば真教国の中枢。機密性も高いんだよ」
「そんなところに俺が行っていいのか?」急に心配になってきた。
「だって、大夫だもん。それに行かないと猊下に会えないでしょ」
近未来的都市にミスマッチな馬車が停車し、国府である
セキュリティのかかった扉を何枚も開けさせ、朝議室と呼ばれる部屋の前に立った。重厚な扉は、テレビドラマで観る大企業の社長の部屋よりも荘厳に感じた。
アテンドを務めている秘書らしき人物が、インターホンらしきボタンを押す。
「猊下、春官大宗伯と、大夫の
「入れ」
扉が自動でゆっくり開く。俺は緊張感を増した。
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