2-08 謁見

 玄関も廊下も応接間もとにかく広かった。中国の歴史的な王宮と思ったが、実際にはシャンデリア、ヴィンテージな柱時計、大理石製の机など、洋風の調度品が多く置かれていた。

 とにかく広いが、掌以外の人物がいない。人気ひとけすらない。ある一室に案内されたが、やはり人はいない。

「ここに座って」

 促されるままに俺は座る。椅子もアンティークで立派なものだ。目の前に掌も腰掛ける。


「きょ、今日はどのようなご用命でお呼びになられたのでしょうか?」

 俺は、目の前の麗人がクラスメイトであることを忘れようとした。つとめて失礼のないように、不慣れな敬語で接する。

「やだね、もう。霜鳥くんと私と言えばデートした仲じゃない。さしあたり小宗伯あたりに入れ知恵されたんでしょ」

 掌は俺をリラックスさせようとしているのだろうが、かえって俺は戸惑う。俺が知っているつかさちゃんは、もっと朴訥ぼくとつな人だった。

「ま、まぁ」

「とにかく、いろいろ話したいことあるんだけど、こんなずっと背筋伸ばしてたら持たないよ。花美丘はなみがおかの感じでいて」



 掌は俺に、真教国のあらゆる仕組みを教えると言う。思えば、掌が俺を真教国ここに誘い、入信を迫ったのだ。

「何で俺は、ここに連れて来られたのかな?」

 そもそも論だ。俺は何となくここに寝泊まりして、教育まで受けているけど、尋常なことではない。千葉寺の実家とかでは、明日佳と瞳志とともに行方不明で、大捜索がなされているかもしれないのだ。

「端的に言うと力を貸して欲しいんだ。でも端的すぎて分かんないよね」

「ああ、ちょっと分からない」

「そのためにも、ここがどこなのか、どういう世界なのか、私が何者かを説明することから始めるよ。長い話になるけど許してね」



 皆が猊下と崇拝している帝は、下野帝かばたみかどと言い、60年ほど前、つまり1964年に、中国道教の思想に倣った華波多真教を設立した祖師だという。下野かばたということは、掌の父親、あるいは年齢的に祖父かというところか。

「戸籍上はね。でも生物学的な親は違う。そして育ての親がそのどちらかというとそのどちらでもない」

 全然意味が分からない。それを充分承知の上だからか、補足をする。

「その昔、祖師である下野帝は、組織を作る上で、少数精鋭でも優秀な人物を募れば、生産的で文化的な組織を作ることができると考えた。それで、優秀な人間をヘッドハンティングして、宗教団体として囲い込みして、日本や世界に対抗できる組織を作ろうとしてきた。でもね、なかなかそうは簡単に優秀な人間は集まって来ない。安田講堂事件で東大生を引き抜いたりしたみたいだけど、そうそう残らない。そこで、最初は苦戦していたみたいだけど、あるときから、優秀な人間は何も引き抜いて来ることはない、教育すれば良いという考え方に変わったの」

 淡々と掌は説明をするが、まだ、話の全貌は見えて来ない。掌は続ける。

「そこで、最初は特に小さな子を連れた親子連れとか、信者同士の間に生をけた子供に英才教育を施すことに邁進まいしんした」

「それでどうなったんだ?」

「結果、残念ながらどんなに英才教育を施しても、満足のいく結果にはいかない。ある程度のレベルには引き上げられるが、通常の子はどこかで頭打ちになる。だから1990年を過ぎた頃から方針を変えたの」

「……」いよいよ核心に入るような気がして、俺は息を呑んだ。

「優秀な人を造るには、優秀な遺伝子が必要。優秀な人間同士を交配すれば優秀な遺伝子を持った人間、優秀な能力を持った人間が育つけど、それでもそもそも優秀な人が多くないといけない。だから、デザイナー・ベビーって聞いたことあるでしょ」

「ああ」

「猊下は、世界から偉人、天才児、金メダリスト、超能力者、それから凶悪犯に至るまで、集められるありとあらゆるゲノムデータを収集した。それをもとに遺伝子の改変を行った。世界中から科学者を集めて。その集大成が私なの」

「そんな……」

 俺は言葉を失った。親の望む性質を持った子供を作る。デザイナー・ベビーという言葉は知っているが、倫理面でそれを行使することは世界的に非難の的になっていることも知っている。それが、こんなに近いところにいたなんて。しかも、世界でゲノム解析が進展したのはもっと先の話だと思うが、それよりも早く研究に着手していたというのか。しかし、それが公の事実になっている気配はない。

「信じられないって顔してるけど、教えたげる。学級委員の川嶋瞳志くん。彼、私がカラコンとウィッグをつけてるって探ってたでしょ」

 言われて思い出した。そんなこともあったなと。掌は続ける。

「両方とも正解じゃないけど正解。つまり、私の髪はこのアッシュブラウン。目の色は琥珀色アンバーだけど、これはの色。学校にはそれを隠すために、黒くてもっさりしたウィッグと、黒いカラコンをつけてるの。瞳志くんは逆と思ってるのかな。つけてることは正解だけど。こんな感じで、日本人にはない髪や瞳の色は、遺伝子改変の副作用なんだよね」

下野しものさんが頭脳明晰で運動神経抜群なのは、造られたからなんだな」

 どこかで遠慮しているのか、つかさちゃんとは呼べなかった。

「そーゆーこと。実際にはあれでもかなりセーブしてたんだけどね。変に目立つことはしたくなかったし。これで分かったでしょ。私には戸籍上の親と生物学的な親は違うってこと。もっとももととなる精子と卵の提供者はいるはずだけど、私は知らない。結局のところ遺伝子を改変しまくっているし、それをタイガっていう生みの親に移植してるから、親はあってないようなもんだよ。育ての親ってのも厳密にはいない」

「タイガ?」

「ここじゃ、妊娠、出産に特化した女性がいるの。顕微授精の技術は進んでるけど、人工胎盤の研究は開発途上だからね」

 俺は違和感が拭えない。ここはおおかた産業革命以前の文明レベルだと高を括っていた一方で、そんな近未来的なテクノロジーが秘密裡ひみつりに執り行われているというのか。

「そんなデザイナー・ベビーの集大成の下野さんが、何で花美丘に来てたんだ?」

 話題を変えてみる。これはここに来てからずっと感じていた疑問だ。ここには信者が通う高校があるのに。

「そ、ここからが本番だね。ここ、華波多真教国と言えど、完全に日本から孤立した団体じゃないの。いや、日本とは密接に連携しながら成り立ってると言っても過言じゃない。だから、将来真教国を背負う幹部で、デザイナー・ベビーとしてずっと教団の中で育ってきた人間は、外を知る必要がある」

「それで、教団の中の学校ではなくここに来てるんだな」

「正確に言うと私は、真教国ここの大学課程は、中学までに修了してるんだけどね。猊下の勧めで、私立だけど宗教系じゃない花美丘高校に通わせてもらってるってわけ」

 すでに大学の課程をクリアしていることにも驚きだが、花美丘に来ている理由がようやく分かった。掌は続けた。

「私ね、次の教団トップであるていの最有力候補なんだよね」

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