2-10 祖師

 部屋は広かったが、天井はさほど高くない。部屋は全体的に暗色で統一されている。木製の机や肘掛け椅子、応接用の低いテーブルやソファがあるが、思ったよりは豪奢ではない。声の主はその椅子やソファに座っているのではなく、奥に設えた床榻しょうとうに横たわっていた。薄物の天幕に遮られて、表情まではよく見えない。

「そこに椅子を持ってきて座れ」

「はい」掌は部屋の隅にあったスツールを2つ持ってきた。俺は掌に倣って座った。天幕の向こうには長い白髪を結わえた、老人がいる。病を抱えていると聞いた。横たわっているのはそのせいなのだろう。

霜鳥しもとりわたるか」

「は、はい」

 その人物は俺のことを日本の名前で呼んだ。

「余は、下野かばたみかど。華波多真教国の祖師だ。急に真教国ここに連れて来られて戸惑っていることだろう。ちょっと乱暴なやり方で連れてきて申し訳なかった。でも、そこにいる下野掌には、ここの未来を背負ってもらわねばならぬ。弱冠10歳にして六官の職に就いた文字通りの天才だ。其方そなたには、掌をたすけてもらいたい」

「は、はい」

 下野帝は病臥びょうがしていても、ただの老人とは一線を画す威厳がある。気圧けおされて思わず首肯してしまった。

は、このとおりの身体だ。しかし、真教国は将来も世界に発信力のある教団にならねばならない。世界が我々をかがみとするように」

「……」どう答えて良いのか分からず、黙っているしかなかった。

「其方は、掌が認めた若き逸材と聞いている。この真教国くにのためにいそしんでくれ」

「はい」

 俺は先ほどから「はい」しか言っていない。そうとしか言えない空気が取り巻いていた。

「猊下、では、わたくしが成人したら華燭かしょく賀儀がぎを挙げてもよろしゅうございますね」

「余は其方のことを信頼しておる」

「ありがとうございます」

 どうやら、猊下公認になってしまった。あまりにあっさりとしすぎて俺は現実のことだとは思えなかった。

「失礼します」掌はそう言って、拱手礼をしたので、俺も倣った。




 俺は、猊下の威厳という圧迫から解放されて、ひとつ深呼吸をした。

「昔はもっと威光があったけど、すっかり老いさらばえてしまわれたな」

「あれで? 俺は何もしてないのに汗かいたぞ」

 掌はしみじみとした表情で言った。俺には充分すぎるオーラを感じたが、以前はもっとすごかったというのか。

「悪いけど、これからは六官だから。もうちょっと頑張ってね」

「えーっ」


 聞くところによると、六官は一癖も二癖もある人が多いとか。これから向かう朝議室に待機しているらしい。またいくつもセキュリティゲートを通過し、エレベーターを乗り継ぐ。

 エレベーターを降りると長い廊下が続いていた。

「この建物どんなに広くて歩かせるんだ?」

 俺は思わず愚痴をこぼした。

「ごめんね。朝議の内容は極秘だから、侵入されても簡単に辿り着けないような造りになってるの。この廊下はざっと1,200メートルくらいあるかな」

「長っ!」

 近代技術をこの建物とその周囲の一角に集中して放資し、あとの地区は資金が枯渇して行き届かなくなったと思わせるほどの極端さ。最近まで部外者だった俺には、かなり無駄があるように思われるが。


「追っ手が来た! 逃げて」掌はいきなり物騒なことを言い出す。

「追っ手? どこから!?」

「分かんないけど、とにかく逃げて。狙われてる!」

 振り向くと、拳銃のようなものを持った若い男が追いかけて来ている。遠くにいるようだが、かなり足が速い。

「誰だよ、あの人は!?」

 俺と掌はとにかく全速力で走る。しかし、追っ手は速い。

 バシュン、と銃声が聞こえる。身体には当たっていないが、出血の代わりにおびただしいほどの冷や汗が流れる感覚。よりによって何でこんな逃げ場のないところで、命を狙われる羽目になるのか。


 1,200メートルは遠いが、全速力で走れば朝議室は遠くない。ただ、朝議室に安全が確約されているかは分からない。ただ、こんな直線的な閉鎖空間で立ち止まっているよりは、危険ではないはずだと言い聞かせる。


 幸い、朝議室と思しき扉は開いている。部屋に入ったら扉は閉められるか。あと100メートル。陸上部で鍛えた脚力は、多少なまっているものの、まだまだしっかり動く。でも相手の足も速い。


 ようやく朝議室と思って入ろうとした瞬間、追っ手の男は俺たち2人を追い抜かした。そして急ブレーキをかけて振り向き立ちはだかる。俺たちも

 やばい。俺は心の中で叫んだ。

「さすがだな。掌の選んだ男は」

 男は少し息を切らしながら言った。銃を突き付けたり発砲したりはして来ない。

「はぁ、はぁ、大したもんでしょ」

「素晴らしいジーインだ」

 2人が何を話しているか分からず、俺は立ちすくんだ。


「君が霜鳥そうちょうだな。俺はノウジと言う」

「……」

 追っ手は俺の真教国での名を確認したあと、名乗った。敵ではないのか。

「驚かせて悪かった。一度試す必要があった。俺でも息切れする距離を全速力で走ってもらった。しかし、君は息切れしていない。心臓の機能が強いと見える」

 確かに俺は全力疾走したが、身体を激しく動かしても疲れにくい体質は自他ともに認める。俊足というわけではないが、長距離には向いていた。

「あ、ありがとうございます」殺意がないことが確認できたので、礼を言った。

「霜鳥くん、この人、夏官かかんだから。あんたも、日本から来て間もないんだから、気を遣って日本名で自己紹介してあげて」

 俺は目を見開いた。

 直視していなかったが、目の前の男は若い。20歳代だろう。長身で色黒。茶髪で短髪。サーフィンでもしていそうなたくましい身体つきの男だ。灼けるような緋色のタンクトップと短パンを来ている。

 しかし、こんな見た目でも夏官だから諸侯だ。つまり掌と同じ帝の側近の一人というのか。

 ノウジと名乗った男が口を開く。

「日本名は弓納持ゆみなもちそう。二文字目と三文字目をとって、字は納持のうじと名乗ってる。夏官大司馬かかんだいしばで、真教国ここの軍事をやってる。以後お見知りおきを」

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