2-06 疲弊
授業が終わったとき17時半になっていた。入信翌日から朝から晩までみっちりのスパルタ教育。さすがに疲れが蓄積した。
どんなに身体を動かしても疲れないことが取り柄の俺だが、勉強となると話は別だ。決して勉強は不得意ではない。花美丘高校は、県立の千葉中央や私立
†
ここにはスマートフォンも特記すべきレジャー施設もない。だから勉強に没頭できる環境なのだろう。そして科挙と呼ばれる、身分の壁を乗り越えられる唯一の方法。身分の差は生活の質や待遇を大きく変える。それが、信者たちの勉強へのバイタリティーに繋がっているのだろう。
また、驚いたのは、いままで文明が遅れていると思っていたのに、実はそうでもないらしいということが分かってきた。
選択授業についてだが、身分によって選べるものも異なるものがあるという。その最たるものが生物学なのだ。必須科目としての生物もあるが、それとは別物である。
生物というと一般的な授業科目として俺には馴染み深いが、どうやらそんな生易しいものではなく、日本の高校レベル、大学レベルをはるかに超えるくらいの最先端のことを学んでいるらしい。噂であるがノーベル賞ものの知識や技術を扱っていると
大夫であっても卿であっても、自由に選択できるわけではなく、教員の推挙がないと選べないエリート選択科目なのだ。どうして生物だけこんなに最先端を目指しているのかは、まだ俺には分からない。
「
麗輝さんだ。学校が終わって、2人で屋敷に戻ってくるや否や、話しかけてきた。
「あたしは楽しいですよ。ここの言葉は慣れないですけど」と明日佳は答える。
「それは良かったです。聞くところによると、明は武芸に特に秀でているようですね。処世術というわけではないですけど、殿下は一芸に秀でている人を重用されます。洗練されていて、かつ希少価値の高い才能であればあるほど、この世界では有利なのです」
殿下というのは誰かと一瞬思い、そう言えば春官大宗伯の下野掌であることを思い出す。
「ありがとう。私は日本でも習ってきたからね」明日佳は得意気に話した。
「鳥はどうですか?」
「お、俺は、少しは慣れてきたけど、まだついてくのにいっぱいいっぱいかな。あと、一芸に優れてるってこともないし」
俺は若干答えに窮しながら言った。恥ずかしながら本当に大した芸も特技もない。明日佳の美技のあとで、何を挙げれば良いのだろうか。
「そうですか。鳥は、持久力があると伺っていますが」
麗輝さんが言った。
「そうだけど、何でそこまで知ってるの?」
「世話役として当然です」
きっぱり答えられたが、掌にそこまでの情報を流したっけな、と首を傾げる。
「確かに、肉体疲労が溜まりにくい体質だけど、マラソンとかくらいだよね。瞬発力があるわけじゃない」
「それでも立派な特技だと思います。きっと重宝するときが来るでしょう」
麗輝さんの言葉の意味は分からないが、取りあえず呑み込んでおいた。
「ところで、鳥。殿下があなたに会いたいと仰っています」
「お、俺に?」
俺は驚いた。入信したときに掌に会って以来、顔を合わせることすらなかった。諸侯で州長の掌、いち大夫の俺。身分にして2つ違っているが、1つでも身分が異なれば、富豪と貧民、社長と新入社員、いや将軍と百姓くらいの隔たりがある。決して関わり合えない存在という認識が、俺の中で定着し始めていた。
「はい。このことに関して用件は聞いていません」
戸惑っているが、用事がある以上、行かねばならない。専制主義的なにおいのするこの世界で、背く選択肢などない。
「分かりました」
「では、今度の日曜日、
朝五つ辰の刻とは、朝8時を指す。華軒とは確か馬車の豪華版だと聞いている。大夫と言えど、おいそれと乗れるようなものではない。途端に緊張した。
「ひょっとして、お忍びでデートしたいのかもしれないね」
明日佳がいきなり耳打ちしてきた。
「は? 変なこと言うな」
思わず汗が出る。胸が高鳴ると同時に、不謹慎な会話だと麗輝さんに怒られるのではないかと思ったが、麗輝さんは表情を変えなかった。
†
部屋に戻っても俺は興奮が続いた。
何の用時か分からないが、わざわざ麗輝さんを使って華軒まで用意するということは、ちゃんとした用事なのだろう。お忍びというのはあり得ない。
でも会える純粋な
しかし、顔を合わすことのなくなった掌は遠い存在となり、それを補うように明日佳への恋心も
ここでは、身分を超えた恋愛は禁じられていることは自明の理である。告白してオッケーをもらったものの、入信した時点でそれは
今回、掌に
反故なら反故で良いから、白黒つけたかった。結果的に短い恋だったけど、遠くから眺めているだけでも良かった。そして、すっきりと新たな恋に突き進むのだ。
日曜日は明後日だ。翌日の土曜日も学校だったが、いつも以上に授業の内容は耳には言ってこない。これは学習疲れだけではなかった。
とりあえず夜の食事も早々と済ませ、今日は寝てしまおう。そう思って茵に
目の前には信じられない光景があった。
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