3-05 沈鬱
俺にできるのだろうか。甚だ疑問だった。
もちろん一人では行かせず、
掌
春官
メールや電話ではなく、手紙の行き来のみによる連絡手段は何とかならないものか。ここでは天州を除いて、現代文明はおおよそないと言っていい。インフラやネットワークが整っていないのだ。
地官にアポなし訪問をするわけで、失礼に当たらないだろうか。しかも俺にとっては大任すぎる。交渉がうまくいかなかったら、春州は秋州に乗っ取られるかもしれない。俺たちの命が懸っているとも言える。
いろいろな不安を抱えながら、翌日俺は地州に向かうことになった。
「私は
「
紋揺さんもまた妙齢の女性だった。本当にここの重役を担っている者は、総じて若い。20歳行かないくらいに見える。日本での常識を大きく覆されている。
髪の色が赤みがかった茶髪で瞳が青いのは、彼女もまたデザイナーズであることの証左なのだろう。
「地州の州府はエンスウキュウと言います。私も行くのは初めてですが、馬車が手配されているのでご安心を」
漢字では
地州は真教国の中央部に位置している。春州は東、夏州は南、秋州は西、冬州は北、地州は中央に位置するが、地州のさらに中央部の一区画が天州になる。地州は学校があるので歩いて行ったことはいくらでもあるが、学校のあるところなんて地州のほんのごく一部である。ここに来てから、行動範囲が限られており、春州であっても庶人や士の住まう区域には立ち入らないので、真教国の大半は、知らない世界なのである。
「到着しました」
鵷鶵宮は黄色を基調とした建物だが、發明宮に比べるとやや地味な印象を受ける。發明宮は美しい青で煌びやかだ。
「少しお待ちくださいませ」
俺たちは鵷鶵宮の内部に通され、黄色い陽光に照らされた一室に案内された。応接室だろうか。椅子が軟らかい。
「これが春官の力ね。御璽がなければ、なかなかこういうわけにはいかないわね」
紋揺さんはひと昔の漫画のヒロインを
5分くらい待たされた後、また別の部屋に案内された。鵷鶵宮の奥まった部屋だ。
「ここが、大司徒室でございます」
秘書らしき者が扉を開けると、前に会ったときと同じような上半分だけの仮面を被った女性がいた。地官の
「失礼します。春州内史の紋揺と申します。こちらは大夫の霜鳥です。この度は突然の訪問にもかかわらず、上謁を賜りまして感謝申し上げます」
紋揺さんが拱手礼をしたので、俺も倣って同じことをした。
「……」地官からは応答はない。
「どうぞ、お入りください」代わりに秘書官が俺たちを中に通した。「先ほど殿下は、貴殿に会われるかどうかを占われました。その結果会うべきとのお告げが出ておりますので」
「占い?」俺は思わず声が出た。
「はい。地官は神のお告げを聞くことができるのです。これまでも神のお告げを聞いてこられて、地州ひいては真教国全体の安寧を支えてこられました」
†
室の中央にある立派な椅子に座るように案内されると、黙って地官は対面で腰掛けた。改めて見ると小柄な女性だ。150 cmくらいしかないのではなかろうか。部屋は大宗伯室に比べると、地味な内装だが、奥の壁には複数の槍らしき武具が飾られている。
「ご挨拶が遅れました。いまようやくテンコウから声を出すご許可を賜りました。改めまして福士寧です」
アニメっぽい子供のような声音だ。若い。テンコウとは何だろうか。
「ありがとうございます。テンコウに感謝申し上げます。さて、さっそく本題に入りますが──」
意に介せず紋揺さんは話を切り出す。
「大丈夫です。ご用件は分かっています」ぴしゃりと話を止めた。「春州に与することはできません。テンコウの啓示に反することになります」
「何で分かるのですか? 書簡には用件まで書いてなかったはず」俺は驚きのあまり大夫のみでありながら聞いてしまった。
「何でと言われましても、テンコウのご託宣に従っただけです」
「与することができないというのは!?」
「先ほども申したとおりテンコウの天啓です」
埒が明かない。テンコウなる者の意向がすべてらしい。
「分かりました。その旨、大宗伯に申し伝えます。失礼しました」意外にも紋揺さんは引き下がった。そして何も成果を上げられず辞去した。
沈鬱な気分のまま、馬車に乗る。
「『テンコウ』ってのは何なんですか?」
俺はさっそく尋ねた。納得がいかなかったからだ。
「天公、正確には
「俺には、ちょっと分からないですね」
「日本から来て間もない人はね。でも地官大司徒は、いろんな神様の神託を受けている。大宗伯はあまりご存じないようだけど、私は地州の官から聞いているわ。最高預言者で、時に神自身が憑依したりする。それだけ神に近い存在で、猊下も地官からご託宣を聞くくらいなんだから」
「それだけ絶対的なものなんですか」
入信して間もない俺には理解に苦しむが、いまは無理やりそういうことだと納得することにした。
「残念だな。すでに天公に献言していたというのか」掌は眉を顰めた。
「左様です。それ以上は何を申しても同じと判断し、一旦引き下がりました。ご期待に沿えず申し訳ございません」
「いや、いい。いまは私が話をしても一緒だろう。また策を考える。下がってよろしい」
「はい」
「あ、
「え? あ、はい」
紋揺さんだけが去り、執務室には俺と掌だけが残る。
「うまくいかなくてごめん」俺は素直に謝った。もっともああすれば良かったと思える点もないのだけど。
「仕方ないよ。しかし地州の後ろ盾がないと厳しいな。うちと夏州だけか」
「向こうは秋州と冬州だけなのか?」
「いまのところは。でも天州が向こうについたら終わりだね。でも天官は誰かに与するような人じゃないけど」
「天官はそんなに影響力があるのか?」
「猊下に次ぐナンバー2だからね。実際に真教国は猊下と天官の2人で興したようなものだし。天州はあそこは人口も面積も少ないけど、天州は選ばれた人しか住めないし、大学、病院、中枢機関が揃ってる。猊下に会いに行くとき、天州を見たでしょ? あそこだけ見たら、東京より発達してるよ」
確かに、他の5つの州がおおよそ産業革命前の文明で、天州だけ世界最先端を切っているのは、あまりに理不尽でおかしい。それでもこれと言って誰も不平を言わないのは、天官のカリスマ性と、天州に住む人々が一目置かれているからなのだろう。
「次はどうする?」
「ひとまず夏州はいつでも出撃できる態勢を整えてもらったほうがいい。禁軍は動かせなくても、禁軍には属さない軍人は多くいる。あそこは禁軍を志す人も多くいるからね。できれば護衛してもらえるといいんだけど」
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