4-05 諦観

 この真教国では、天州を除く5州において、携帯電話や電子メールがない代わりに、伝書鳩を使って遠隔での情報伝達をするという驚きの手法を採っている。それ以外にも鷹狩たかがりの文化があったり、鶏舎けいしゃが多くあったり、多くの鳥を見かける。文明が制限された世界では、鳥との結び付きが強い。

 發明宮、鷦鵬しょうほう宮、秋州は鷫鷞しゅくそう宮、冬州は幽昌ゆうしょう宮というなど、州府が『五方の神鳥』に由来する名前がついているのはそのせいだろうか。

 掌は夏州の鷦鵬しょうほう宮に向かって、援軍を乞うふみを小筒に入れて、鳩の脚に括り付けた。また、同じように地州にも同様に文を飛ばした。本当は伝書鳩でのやり取りは、ある程度親しい相手、または公的なものであってもある程度話がついているときに限られるらしい。地州との対談は、本来は春官が地州に赴いて地官と面会するのが筋であるが、火急のことのため、失礼を承知で伝書鳩での通信を試みた。


「さて、地官は動いてくれるかな」掌は超然とした様子で言った。

 平手打ちが、結果的に掌を改心させたが、俺は何も掌に死んでもらいたかったわけじゃない。俺が死を回避した代償に、掌の死を求めていたわけではない。

 俺は、一人でも多く死を回避する方法を模索したかっただけだ。模索し、それを実行できた先で、掌が帝位承継できるのであれば、異存はない。


「掌、本当に死ぬのか?」

「いまさら何を驚いてるの? 霜鳥くんが、教えてくれたんでしょ?」

「誤解するな。俺はお前に楯突いたとき死ぬ覚悟でいたが、同じ覚悟を強要したわけじゃない。何よりも生きることは尊いことだ。それが仮に憎しみの対象であったとしても」

「はぁ、私はすっかり霜鳥くんに嫌われちゃったというのね。ごめん、いまさらだけどさ。でも私が悪いんだから弁解はしない。でもそんな嫌われ者に成り下がった私でも命を惜しんでもらえて光栄だよ」

 掌が自虐的に言う。俺に嫌われたことを本当に悲しんでいるのか、社交辞令なのか。


「禁軍、出せるかな?」俺はなぜかそんなことが口を衝いて出ていた。

「禁軍? 何で?」

「禁軍が出てきたら、秋州だろうが天州だろうが、引き下がってくれるんじゃなかろうか?」

「まさか? 禁軍は猊下しか動かせない。しかも冢宰ちょうさいは猊下の信任が厚い」

「そっか。じゃ、俺、猊下に話をつけてくるよ」

 自分でも驚くほどあっさりと言っていた。しかし、戦闘要員にもなれず、地州とのパイプ役にはなったが、戦の第一線で活躍する第一軍の皆に比べると、男でありながら協力できないことに引け目を感じていた。禁軍さえ動いてくれれば、秋州を降伏させられるのではないか。

「無茶だ。いくら霜鳥くんでも大夫が一人で猊下に取り入ってどうにかなるわけじゃない」

「わかんねぇだろう。無駄な死を望んでるのか?」

「霜鳥くんには死んでほしくないの」掌を目を見る。房中術は使っていないようだ。しかし、その潤んだ瞳は俺に強く訴えかけているようだ。本当の掌の気持ちなのか。

「ありがとう。でも掌が死んで秋州と天州が支配する国を迎えるのは、死ぬ以上の苦しみだな」

「……」

「俺は、お前を、掌を憎んだ。でもお前は俺の彼女だ。彼女を救けられない男に甲斐性を感じるか? そんな彼氏を望んでるのか? 望んでねぇなら、さっさと大宗伯の御名御璽の書簡を作ってくれ」

 掌は一瞬微笑んで、首肯した。「ありがとう」




 俺は、發明宮を一旦出る。天州に俺が囚えられたらおしまいだから、ばれないような格好で行かねばならない。何ヶ月かぶりに日本での私服を着る。偶然にも、俺はここには上も下も黒いコーデの服装できた。黒は冬州の州色だ。古代中国を髣髴ほうふつとさせる袍服や襦裙じゅくんからすれば浮いている。しかも、いちばん暑い時期に着てきた風通しの良い洋服なので、10月も近くなってちょっと肌寒いが、背に腹は代えられない。


 走って發明宮に戻ろう。この間に御名御璽の捺された書簡を用意すると言ってくれている。

 戻る途中、第一軍の練習の声が聞こえた。怒声に近い。そしてその声の主は、明日佳だった。

「こら! 諦めるんじゃない! 天州が襲ってきても、あたしたちに牙を向いた秋州と冬州の幹部どもは1人でも多く成敗しなきゃいかん! 命が惜しいのか? もちろんみすみす命を捨てるマネはしないけど、諦めて秋州に囚えられても、死んだも同じ。同じ死に向かうなら、少しでも奴らに傷を負わせてからにしたくはないのか!?」


 明日佳は軍の統帥として鼓舞している。もともと春州の人間は戦闘に向いていない。それでもデザイナーズであれば、遺伝子改変されているからか、身体能力は高めなのだが、それでも天州が所持しているかもしれない、先進技術を駆使した遠隔攻撃が可能な武器を前にしては、赤子の手をひねるかのごとく第一軍は簡単に潰されてしまうだろう。

 それでも何とか抗おうと明日佳は藻掻もがいているものの、天州が出てきた時点で終わりと言って良い。そして命が長くないことを明日佳はちゃんと分かっている。これは早く猊下のもとに行かねば。そして俺も命を懸けなければ。俺がいちばん怖がっている死を覚悟して。


「あ、航!」

 明日佳は俺に気付いた。声をかけられるのは久しぶりのような気がする。

「天州が敵についたみたいだな」

「……うん」明日佳は伏し目がちに言う。

「瞳志はどうした?」

「ああ、彼は最短で科挙に合格したブレインだから、いろいろ策を練ってるよ」

 彼は策士なのか。賢い瞳志にはうってつけかもしれない。

「せっかくいろいろ俺に戦う術を仕込んでくれたのに、俺がここにいなくて悪いな」

「大丈夫。航は優しいから、人を傷つけたりできない性格だってのは知ってた。でも攻撃されたときに自分を護る技術は持ってないと。あたし、航が死ぬのだけは耐えられないから。でも護身術として教えると、航のことだから手加減して、自分の護れないかもしれない。だから近接格闘術を教えたんだ。それならちょうどいいかなと思って」

「そっか」そう言いながら、俺は目頭が熱くなった。

「でも、悪い。俺、命懸けてくるよ」

「え?」

「みんなが身体張ってるんだから。俺だって護らないといけないものがある」

 達観したような明日佳の表情は、そのときなぜかあまりに美しく見えた。あまり見すぎると、いよいよ命が惜しくなる。

「大丈夫、簡単には死なないように、せいぜい頑張ってみるよ」

 そう言って俺は明日佳に笑顔に手を振った。もう会えないかもしれないという悲しみを、つとめて表に出さないように。




 俺が發明宮に戻ると、掌は御名御璽の捺された書簡を用意していた。

「本当にいいの?」

「ああ。腹は括った。どうせ手をこまねいて待っていても、一両日中には天州が攻めてくるかもしれないんだろう? 同じ死でも、少しでも生き残る可能性を模索して死んだほうが、後悔が少ないじゃないか」

「あれだけ死ぬことを拒絶していた霜鳥くんが。正直驚いてるよ」

「そうか。俺は、あの下野しものつかさちゃんが、これだけ多くの信者を掌握していること知ったときの驚きのほうが大きいと思う」

「びっくりしたでしょ。私はある意味『人造人間』だから」

 俺はそう言うと、急に何だか切なくなった。俺が最初に惚れたのは、あの不格好な真っ黒なウィッグと黒縁眼鏡をかけた地味な下野さんなんだ。それが、ただの人間でないことを知り、憎しみの対象になり、それが房中術で収束させられ、いまや信者を護るための一時的な信頼関係のために、共闘している。でもあの花美丘高校のときのような新鮮な気持ちには戻れないのだろうということだけは、間違いないような気がする。

「そろそろ行ってくる。生きて戻ってこれること、祈っててくれ」

「分かった」

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