4-11 悲愴

「コイツ、弱っ! じゃ、下掌げしょうちゃんんとこ連れてってよ、ジジイ」

 辛うじて、まだ小司寇の声が聞こえる。意識は失っていない。人事不省になるまいと本能が警告を発しているようだった。

「待て、俺は死んでない」血でぼやけているが、視力も保たれている。

「あー、まだ生きてたの? めんどくせー男」

「面倒で上等だよ」そう言って俺は立ち上がった。


 でも、何か得物がないと、この女には敵いそうにない。

 横には絶命した3人の隷人たち。砲畜さんの銃。蹴撻さんの鞭。盲猾さんの杖。悪いけどこれを貸してもらう。

 殺傷能力がありそうなのは銃と鞭だけど、俺は杖を手に取っていた。決して若い女性に対する情けではない。動きが素速く、動き一瞬で間合いを詰めてくる小司寇に、前の2つは無効のような気がした。


 もちろん杖なんて、攻撃するための道具じゃない。盲猾さんだって武器として使っていなかった。どう使う。考えるより前に身体が動いていた。素速い打擲ちょうちゃくを白杖で防御していた。そして、思いの外、この杖は丈夫だ。折れない代わりに、衝撃は杖越しにジンジン伝わってくる。


 渾身の力で何とか身体は動くし、攻撃にも反射できている。防戦一方だが。それでも、何とか立っていられるのは、明日佳の特訓のおかげなのだろう。

 彼女の攻撃は5分以上続いた。

「な、何で、コイツ死なないの」

 俺も不思議だった。喰らった攻撃によって身体を動かすのがやっとのはずだ。流血だってしている。そして、さらに5分が経過した頃。彼女に異変が見られた。動きが鈍くなってきた。

 防戦一方ながら、スピードに目が慣れた俺は、一瞬を見逃さなかった。白杖を戟のようにして、小司寇の首を突く。

 突然の反撃に構えていなかったのか。小司寇は後ろに蹌踉よろめく。そして俺は鳩尾、蟀谷こめかみ弁慶べんけいの泣き所など、急所を狙って突いた。たまらず転倒し、起き上がれなくなった。そして悟った。殺傷力はあっても防御力は人並みだ。

「な、何で……? アンタ、ず、ずっと動けんの……?」

「悪いけど。俺は疲れない身体みたいだ」

 俺はいよいよ自分の身体の特殊性を自覚し始めた。10分以上激しい運動をして、まったく疲れないなんて、我ながらどうかしている。

「ジジイ……、騙したな!」かすれた声で小司寇は叫んだ。


 冢宰がいない。どこに行った。


◇◇◇◇◇



 ここに残ったのは、大宗伯と明日佳、そして、夏州からの応援兵数名。

「俺も加わるぜ」突然男の声が聞こえた。

「ノウジ? 遅い!」夏官大司馬の納持だった。

わりぃ! 禁軍の挙兵の準備をさせてきたからな」

「禁軍? 来るの?」

「ああ、帝の勅命ちょくめいが飛んだ。これでやっと鎮圧できる」

 帝の下すめいは勅命と呼ばれる。真教国において絶対的な権限を持つ帝に、出せない命令はないが、逆に帝にしか出せない命令もある。その最たるものが禁軍の出征であり、いかなる代決も認められない。夏官は軍事を所管しているものの、帝に代わって禁軍を管理しているに過ぎず、禁軍の出征、撤退などの決定権は帝にしかない。

 禁軍は、真教国における軍の最高機関。軍士の数は多くはないが、並外れた戦術と特別な武具や戦闘用車両を操縦する権限などを持っている。そのほとんどはデザイナーズだと言われており、日本の国防のために輩出していると言う。日本の集団的自衛権の行使において、アメリカに依存しているのを、少しずつ脱却させる日本側の意図があるとかないとか、そんな噂が囁かれているが、真相は分からない。


 禁軍の軍士は、一般の兵士とは比べ物にならないほど強い。禁軍軍士1人は兵士500~1,000人の兵力に相当すると言われる。

 そんな禁軍を出征させたことはいままでなかったのだが、それを出征させることは、真教国にとって一大事だ。


「いつここに来るの?」

「10分もあれば着くはずだ。秋州も冬州も天州も、禁軍が来たら撤収せざるを得ない。だから10分間大宗伯を、春州を護り抜くぞ」

 大宗伯と明日佳、春州と夏州の兵士、皆が同時に頷いた。



 数分後、轟音が近付いてくる。戎軒じゅうけん(兵車)の音だろうか。

「禁軍か?」誰かが言った。

「いや、いくらなんでもこんなに早く来るわけがない……、あ!?」

 禁軍とは様相が違っていた。白を貴重とした戦袍。禁軍は紫だから違う。

「秋州だ! 隠れろ」

 その瞬間、また雨のような矢が降り注いだ。今度は近距離からの弓射。回避が困難になる。一人また一人と、手兵を射抜いていく。

「禁軍はまだなのか!?」大宗伯が言った。


「禁軍は来ませんよ」聞いたことのない声。でも声色から、その冷徹さが伝わってきた。

「誰?」

 大宗伯が楯の上から慎重に顔を出すと、よわい35くらいとおぼしき男が立っていた。

「お初にお目にかかりますか。小職は、秋州廷尉ていい──」

 廷尉とは刑罰、司法を取り仕切る、秋州において小司寇に次ぐ高官だ。

「姓は、名はしゅん、字は粛清しゅくせいと申す」

 字は成人すれば自分で名乗ることができる一般的な通名。自由に名乗ることも改称することも可能だが、多くは日本名の漢字の一部を使うことがほとんどだが、『粛清』と名乗っている当たり、権に陶酔しているものと推察される。

「禁軍が来ないとはどういうことだ」

「先程、帝が崩御され、冢宰が新帝に践祚せんそされた。そして禁軍の出征を取りやめられた」

「まことか?」大宗伯から殺気が伝わってくる。

「残念ながら、大宗伯。あんたは帝になれない。崩御されたのは、あんたが成人する10月8日を迎える、7週間つまり168時間以上前、9月30日の23時ですから」

「下郎が!!」大宗伯が怒りに任せて襲いかかろうとしたときだ。


「やめてくれ!」

 女の声がした。口調こそ男勝りだが、ひどく悲痛な叫びだった。


◇◇◇◇◇

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