第66話  結び目はいびつなほど固くなる

 1



「ああ、春樹、ごめんなさい」


 母は涙で顔をくしゃくしゃにしながら僕の手を握る。


「僕は大丈夫、だよ。それよりも、今ここにいる全員に、聞いてほしい話があるんだ」


 そのために、一度別れた小春を呼び出し、その際、実母の初子にも一緒に来てもらえるように頼んだのだ。


「……うっ」


 再び痛みがぶり返してきた。同時に、体からどんどん力が抜けていくような心地だ。


「春樹、あまり喋らない方がいいわ」


 初子は傷口をタオルで押さえながら、優しく言う。


「小春、もっとタオル持ってきて」


「う、うん」


 小春はばたばたと駆け出し、我が家のタンスからありったけのタオルを運んできた。


「僕は、全員と一緒にいたい」


 僕は声を絞り出す。


「もう、別れるのは嫌だ。誰も僕のそばからいなくなってほしくない」


「……春樹」


 母はなにか言いたそうに口を開きかけたが、そこから声が出ることはなかった。


「分かってるよ。お母さんはそれじゃ納得しないよね。僕たちは、ずっと二人だけで生きてきたのに、血の繋がった家族が急に現れたら、僕の気持ちがそっちに行っちゃうんじゃないかって、だから、不安になっちゃったんだよね」


 僕は初子と小春の顔を順に見る。


 僕の実の母と妹。


 彼女たちを選び、華山家へ行けば、僕は母――影山雪美と離れ離れにならなければいけないし、その逆も然りだ。影山家に残るということは、華山家の二人と接点を断ち切るということになる。


 それは結局のところ、天涯孤独の母が僕という存在に依存しているから、母の気持ちを優先してそうせざるを得ないのだが、僕にはその気持ちが痛いほどよく分かる。


 


 大事な人を失うことは、一人ぼっちになることは、心が引き裂かれるほど苦しいのだ……


 だから僕は、母のために華山家との縁を切ろうとした。


 でも、できれば僕だって失うことはもう経験したくない。


 母も、実母も、妹も、全員僕のそばにいて欲しい。


 だから僕は決めたんだ。


「僕にとってのお母さんは、影山雪美、あなただけだよ」


「……春樹」


 母は僕の手にすがるように額を押し付けた。


「僕は影山春樹。これは一生変わらないことだから」


 僕は小春に目を向ける。


「だから、小春ももう僕のことはお兄ちゃんだとは思わないでね」


「へ?」


「だって、兄妹の恋愛はご法度だから」


「え? こ、小春?」


 初子はぎょっと目を向き、僕と小春を交互に見る。


「ちょ、ちょっと、どういうことなの?」


 問われて、小春は困ったように、


「あの、実は私、お兄ちゃんのことが好きなの」


「は、はぁ!?」


「えっと、話せば長くなるんだけど……」


 小春はもじもじしながら頬をかく。


「待ちなさい、あなたたちは兄妹なのよ? 血の繋がった――」


「だから、僕は小春を妹じゃなく、として迎えるんだ」


 その場にいた者たちは、一様に驚きの表情を見せた。


 そう、これが僕の周りから誰も失わないための、全員を僕に繋ぎとめるための、答えだ。


「僕は小春と再会してからずっと妹として接してきた……」


「そうよ、あなたたちは私が産んだ兄妹なの」


「でも、影山家は二人だけの家族なんだ。影山春樹に、妹はいない。だから、僕は小春と恋人になるよ。そうすれば、お母さんだって納得してくれるよね?」


 母は考えが追いつかないようで、視線を移ろわせる。


「えと、春樹、それって」


「だから、小春は妹じゃなく恋人なんだ。だから、華山家へ行くつもりはさらさらないよ。僕のお母さんは、あなただけ。僕の家もここだよ」


 僕は傍らの実母――初子に顔を向ける。


「ごめんね、これからは、お母さんじゃなくて、ってことになる」


「そんな、春樹……」


「えへへ、僕からの、ちょっとした仕返しだよ」


 もちろん、仕返しをしたいなんて気持ちはさらさらないし、僕は実母の初子のことだって愛している。でも、僕の両親の離婚こそが全ての発端となっている以上、最後にちょっとだけ役目ぐらいは、押し付けたっていいよね。


「はぁ、はぁ」


「救急車はまだなの?」


 小春が心細い声を出す。


 なんだか眠くなってきたな。


「春樹、しっかり」


「大丈夫よ」


 二人の母が声をかけてくれる。


 体が重い。


 傷の痛みもすでになくなっていた。出血しているようでもない。僕の体にみんなが触れている部分が、とても熱く感じる。


 僕の周りに人がいる。


 僕を家族が囲んでいる。


 僕の大事な人たちが、僕のそばにいてくれる。


 なんて、なんて幸せなんだろう。


 この感覚は、久しく感じていなかった。


 ずっと昔、まだ僕が子供だった頃、『家庭』の中にいたあの日々以来……

 

「……あぁ、幸せだなぁ」














































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