第36話  帰省

 1



 ――空き教室。


 僕と光は窓辺に寄りかかりながら話をしていた。開放された窓から風が吹き込み、夏の熱気を運んでくる。


「本当にそれでいいの?」


「うん、いいんだ」


「だって、そんなのあんまりだよ」


 光はまるで自分のことのように悲しそうな顔をする。心配をしてくれるのは嬉しいけれどこれは僕と小春の問題だ。部外者に口出しをしてほしくない。


「だってようやく――」


「もう決めたことなんだ!」


 僕は思わず叫んでしまった。光はビクッと肩を震わせる。


「あっ、ご、ごめん。大声出して」


 感情をそのままぶつけるなんて、男として最低だ。


「ううん、私の方こそ、余計な口出ししてごめんね」


 ぎこちない笑顔を浮かべ、光は言った。気まずい空気が流れる。


 それからしばらくの間、無言の時間が続いた。


 重たい沈黙。


 それを破るように僕は口を開く。気になっていたことがあるのだ。


「下村さん、このことは誰から聞いたの?」


 どうして無関係の光があのことを知っていたのだろうか。


「部活の後輩の子。小春ちゃんとは同じクラスなの。ちょくちょく、小春ちゃんの相談に乗ってたみたい」


 なるほど、そこから光に話が伝わったのか。危険な繋がりだ。


「下村さん。その、今回のことはさ、できれば誰にも言わないで、秘密にしておいてほしい。その後輩の子にも」


 光は無言で頷く。もしこれが小春に伝わってしまえば、これまでの努力が全てぱぁだ。


「でも、これからはどうするの?」


「どうもしないよ。ただ、知り合う前の関係に戻るだけだよ」


 小春をナンパから助ける前の同じ学校に通う者同士の関係、先輩Aと後輩Bに。


 元はといえば、僕があそこで小春を助けてしまったがために、二人の間に接点ができ、学校でも関わるようになってしまったのだ。


「影山くん、本当にそれで後悔しない?」


「しないさ」


 後悔しようがしまいが、僕の欲しいものは手に入らないんだから。


 窓から青空を眺めていると、かきん、と野球場の方から爽快な金属音が聞こえた。



 2



 八月ももう半ば。


 部活に取り組んで、友達と遊んで、勉強をちょっとだけやって、と毎日が同じことの繰り返し。


 充実しているけれど、どこか虚しい。ふと気を抜けば、春樹先輩のことが頭に浮かんでしまう。


 あのプールからもう半月ぐらい経つだろうか。


 いつになったら春樹先輩は私の心から出て行ってくれるのだろう。時間が解決してくれると思っていたのだけれど、まだかかりそうだ。


「ただいま」


 返事はない。我が家はしんと静まり返っている。


 あれ、みんな出かけてるのかな? でも玄関の鍵は閉まっていなかった。


「もう、不用心だな」


 お父さんは仕事の日だし、お母さんと凛、遊起はどこに行ったのだろう。出かけるなら出かけるで、戸締まりくらいしてくれないと。


 二階の自室にバッグを置き、シャワーを浴びようと階段を駆け下りて浴室に向かう。


 その時だった。


「わっ」と大きな声が耳元で響き、肩に重い感触が伝わった。


「ぎゃっ」


 私の肩に誰かが手を置き、耳元で脅かすように声を出したのだ。たまらず私はその場に崩れ落ち、その声の主を睨みつける。


「あっはっは、びっくりしたか?」


「あー、びっくりした。もう、心臓止まるかと思ったじゃん」


「悪い悪い」


 なるほど、戸締まりはしなくてもいいわけだ。


「やめてよね、お兄ちゃん」


 そこには私の兄、華山陽太ようたがいた。


 

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