第60話  二兎を追う者は一兎をも得ず

 1



「春樹、美味しかった?」


「うん」


「そう、よかった」


「今日も勉強疲れたでしょう。肩凝ってない?」


 母は僕の後ろに回り込み、肩に手を置く。


「ああ、ありがと」


「気持ちいい?」


「うん」


 正直、背中に母の胸が当たっており、その刺激が強すぎて肩もみの感覚なんて分からない。


「春樹……」


 肩もみを終えると、母は僕の頭を抱きしめる。


「私の春樹。お母さんとずっと一緒にいてくれるわよね」


「うん、大丈夫だよお母さん。心配しないで」


「あなたがいなくなったら、私は生きていけないわ」


「大丈夫だよ」


「そうよね、私たちは、二人だけの家族なんだから」


 あの小春との偶然の鉢合わせ以降、なんだか母の溺愛がいっそうひどくなったような気がする。


 小春を、華山家を意識してしまっているのだろう。


 これからは小春に会いにくくなってしまったな。


 血の繋がった僕の妹や実母の存在が母のストレスになるようなことがあってはならない。


 やはり、二兎を追う者は一兎をも得ず、か。


 ここまで僕を育ててくれた母を裏切るようなまねは絶対にできない。


 でも、ようやく小春と関係を偽らずに接することができるようになったんだ。


 ……どうにかならないものか。



 2



 翌日。


 今日は夏期補講が休みなので、母と共にイ〇ンに買い物に行った。


 外はうだるような暑さだが、一度店内に入ってしまえばもう無敵である。冷房が効いていて心地いい。その快適さを求めているのか、店内は人でいっぱいだ。


「春樹、はぐれないようにね」


「わわっ」


 あろうことか、母は僕と手を繋いできた。


 しかし、それを振りほどくことはできない。もし僕が嫌がるそぶりを見せたら、母が傷つくかも……というわけではない。シンプルに母の方が力が強いからだ。


「お母さん、僕もう子供じゃないんだけど」


 聞く耳はもたれないだろうが一応抗議をしてみる。


「あなたはお母さんの子供でしょう?」 


「……そういうことじゃないんだけど」


 まあ、いいか。


 今の母をあまり刺激しない方がいい。


 子供の頃はよくこうして母と手を繋いで買い物をしたことを思い出す。


 あの頃は本当に貧乏で、欲しい物も買えなかったけれど、充実した日々を過ごしていた。


 父の失踪によって完全に一人ぼっちになってしまった僕を、母は見捨てずに育ててくれた。


 僕が今こうして健やかに生きているのは母のおかげなのだ。


 僕にとって、母を捨てて華山家を選ぶという選択は、はなから頭にはない。しかし、小春との接点を捨てるということも難しい。


 僕はが嫌いだ。実の両親の離婚は、僕の心にトラウマを刻み込んだ。


 母からしてみれば、小春と繋がることは華山家と繋がるということなのだろう。そしてその繋がりがやがて太くなり、自分の下から僕が去ってしまうのではないか、とそんなことを不安に思ってしまうのだろう。


 どうすればいいんだ。


「春樹、先にご飯でも食べよっか」


「うん」


 僕たちは飲食街へ向かった。



 *



 彼の名前は有月ゆう


 どこにでもいる普通の高校生だ。他と少し違うところといえば、女子小学生と遊んでばかりいることである。


 今日も有月は女子小学生たちと一緒にイ○ンに遊びに来た。そんな彼の目に、意外な光景が映る。


「ん?」


 あれは影山?


 有月は足を止めた。


 同級生の影山を見つけたのだ。


 その隣にいる巨乳美女はたしか、影山の母親だ。


「うわっ!」


 有月は戦慄を覚えた。


 あの二人、手を繋いでいるぞ!


 前々から母親と仲がいいとは思っていたが、さすがに高校生にもなって母親と手を繋いで買い物はちょっときついぞ。


 あいつ、マザコンだったのか。


 長い付き合いだが初めて知ったぜ。


「勇にぃ、ゲーセン行く前にあたしアイス食べたい」


「ん、ああ、分かった」


「わーい」

「わーい」

「わーい」


 とんでもないものを見てしまった。


 人は見かけによらないぜ。


 まあ、人の趣味は人それぞれだ。


 なにも見なかったことにしてやろう。


 有月はその場を静かに去った。


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