第61話  気持ちの再確認

 1



「あっ、春樹先輩」


「やぁ、小春」


 いつものように夏期補講が終わった春樹先輩と昇降口で落ち合う。中庭で昼食を摂り、ぶらぶらと街を歩く。


 春樹先輩にとって私は妹で、こうやって学校帰りに付き合ってくれるのも、私が妹だからだ。この関係も周りから見たらカップルに見えるかもしれないが、春樹先輩にしてみれば、ただ妹と遊んでやってるだけなのだろう。


 でも、私は違う。


 会ってみて再確認できた。


 やっぱり、この人のことを好きだという気持ちは本物だ。


 血の繋がった兄だということは頭で理解できているけれど、心の奥に感じるときめきは抑えきれない。もし、改めて気持ちを伝えたら、春樹先輩は受け入れてくれるだろうか。


 美月ちゃんも言ってたけど、結局は春樹先輩が受け入れてくれるかどうかが全てなのだ。もし私たちが毎日同じ家で暮らしてきた普通の兄妹だったら、そういう関係になることに抵抗があるかもしれない。


 が、私たちは十年以上も離れ離れで暮らしていたのだ。春樹先輩が兄であることを知ったのは彼を好きになってからのことだし、私は本当の兄がいることすら知らなかったのだ。


 兄妹という関係はあくまで私たちの繋がりを表す記号的なものでしかない。


 ただまあ、それは私の言い分であって、春樹先輩がどう思っているかは分からない。最初に私からの告白を兄妹だからという理由で断ったことから、正直、この恋路は成就しそうにない。


 が、そこは私。


 諦めの悪さと可愛さだけは誰にも負けない自信がある。


 絶対に、オトしてみせる。


「あの、春樹先輩」


「ん?」


「一昨日会った、春樹先輩の今のお母さん――」


 私がそう言うと、春樹先輩は少し身を強張らせた。


「え、な、なに?」


「いや、もう一回、ちゃんと挨拶したいなって」


 あの人は自分の子供ではない春樹先輩を十数年も女手一つで育ててくれたのだから、実の妹としてしっかり礼を言うのが筋だろう。それに、あの人と仲良くなっておけば、春樹先輩をオトす上で力になってくれるかもしれない。


「……」


「?」


 春樹先輩はすっぱいブドウを口に含んだ時のように、顔をぎゅっと中心に寄せる。


「なんですか、その顔」


「いや、その……」


「とにかく、今日か明日、うちに行ってもいいですか?」


「え? だ、ダメだって」


「なんでですか?」


「え、えと、お母さんは、この時間帯はいつも仕事に行ってるから……」


「一昨日、街中で会ったじゃないですか」


「あの日は休みだったから……」


「じゃあ、しょうがないですね。今日のところは挨拶に行くのは諦めます」


「ほっ」


 春樹先輩はなぜか息をつく。


「とりあえず、今日はこのまま春樹先輩の家に遊びに行ってもいいですか?」


「はぁ? いや、僕の話聞いてた? お母さんはいないって――」


「だから、別に春樹先輩の今のお母さんに会いに行くんじゃないです。ただ単に、春樹先輩の家で遊びたいだけですから。お家デートしましょうよ」


 レンタルビデオ屋でホラー映画でも借りて鑑賞すれば、驚いたふりをして自然と密着できる。二人きりの密室でこのわがままボディを押し付けてやれば、嫌でも意識してしまうだろう。


 以前、春樹先輩に胸を触らせようと画策した時、頑なに拒まれたのを思い出す。兄だから、という理由なんだと今では分かるが、あの時の様子を思い返してみると、春樹先輩はかなり葛藤していたような気がする。


 つまり、春樹先輩も私のことを意識していることにはしているのではないか?


「いや、僕の家に来たってなにも面白いものなんてないって」


「今日は暑いですから、まったり映画でも見ましょう」


「いやいや」


「家で一緒に映画を見るくらいでしょう?」


「うぐ……」


「私たち、同じ血が通った兄妹じゃないですか」


「……うぐぐ」


 あと一押しか?


「と、とりあえず、今日はダメ!」


 春樹先輩は叫ぶ。


「分かりましたよ。ぶぅ」


「映画なら、イ〇ンで見ればいいじゃん」


「はいはい」


「今度なら遊びに来てもいいから」


「今度っていつですかー?」


「それはまだ分からないけど」


 そして私たちはイ〇ンシネマで封切りされたばかりのア〇ンジャーズを鑑賞した。



 2



 家の前で仕事帰りの母とばったり会った。買い物袋を手に提げており、パンパンに膨れ上がったビニール袋の口から長ネギがはみ出ている。


「あら、春樹。おかえりなさい」


「ただいま。お母さんもおかえり」


「ふふ、ただいま」


「持つよ」


 僕は母から買い物袋を受け取る。


「ありがとう」


「今日のご飯なに?」


「今日は冷しゃぶよ。春樹、今帰って来たの?」


「う、うん」


「どこに行ってたの?」


「学校に残って自習をしてたんだ。自習室は冷房が効いてるからね」


「家でやればいいのに」


「家だと……ほら、テレビとか誘惑があって集中できないからさ」


 小春と会っていたことは口が裂けても言えない。


 罪悪感のようなものが胸の内で黒々と渦を巻く。


 小春との関係はできれば断ちたくない。華山家と同居するつもりはさらさらないが、小春は別だ。


 かといって、母を裏切る気も毛頭ない。


 これからずっとこうやって、母を欺きながらこっそりと小春と会うのか?


「……はぁ」


 自分の部屋の布団の上に座り込み、僕は静かに息を吐いた。


 このこじれた関係がいつまでも続くはずがない。


 いつかは選ばないといけない日が来る。


 母か、小春か……


 二兎を追う者は一兎をも得ず、ということわざが改めて脳裏をよぎった。



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