第46話 記憶と現実のはざまで
1
光先輩との通話を終え、うちはそのままはるっちに電話をかける。光先輩には悪いけど、嘘をつかれたままはるっちが失恋の悲しみを味わい続けるのは納得がいかない。
影山先輩がはるっちをフるならそれはそれでいい。人の好みは人それぞれだし、付き合う付き合わないはお互いの気持ちが一番大事なのだから。
ただ、自分に好意を寄せてくれた女の子相手には、どんな理由であれ、しっかりと誠意を持った対応をすべきだ。
嘘をつくなんて、許せない。
やがて電話がつながった。
「あっ、もしもし、はるっち?」
「ゆとり?」
聞こえてきた声は、はるっちのものではなかった。
「あれ? なんでみっちぃが?」
「今ちょっと立て込んでて、小春が電話に出れるような状態じゃないのよ」
「どゆこと?」
「実は――」
みっちぃの説明によると、二人は写真の謎を追いかけて神奈川にいるらしい。
「――で、そこのアパートに住んでたってことが分かったんだけど、帰る時になって急に泣いちゃって」
「えー、大丈夫なの?」
「落ち着くまでもうちょっとかかるかも。で、そっちはどんな要件なの? 小春じゃなきゃダメ?」
「いや、みっちぃでもいいや。とりあえず、はるっちに伝えておいて欲しいんだけど」
そして影山先輩のお母さんの名前について、うちが知る限りのことを伝える。みっちぃは案の定驚いたようで、十秒ぐらい無言の時間が続いた。
「ということは、影山先輩は嘘をついて小春の告白を断ったってこと?」
「そう、許せんくね?」
うちはまだ怒りが収まらない。
「とりあえず、小春には伝えておくわね」
「うん、よろしこ」
2
『もう、お別れなの』
母の声が聞こえる。
『ほら、はるちゃん、ばいばいして』
『ばいばい』
私はわけもわからず、ばいばい、と手を振る。
車の後ろの窓から、二人の人影がどんどん小さくなっていくのが見える。
一人は大きな男の人。
そしてもう一人は、あの写真に写っていた茶髪の男の子。男の子は泣くのを我慢するように、目じりが滲んでいた。もう、男の子の顔にもやはかかっていなかった。
どうして二人は車に乗らないのか、その時の私は分からなかった。でも、私はなんとなく感じていた。だから私も泣いてしまったのだ。
もう、あの二人とは会えなくなるのだということを。
*
「落ち着いた?」
美月が背中をさすってくれる。
「うん、ありがと」
どれぐらい時間が経ったのか、もう西の空が赤くなり始めている。
「電話、誰からだったの?」
「ゆとりよ」
「なんだって?」
私が泣き疲れてかすれた声で尋ねると、美月は少し言いにくそうに視線を逸らして、
「その……影山先輩のことで」
それを聞いて、私は立ち上がるが、ずっとしゃがんでいたのでバランスを崩して美月にもたれかかってしまった。
「わっと」
「おっとっと、本当に大丈夫なの?」
「そ、それで、なんだって?」
「あのね、影山先輩のお母さんが……」
「お母さんが?」
「偶然分かったみたいなんだけど、影山先輩のお母さん、小春って名前じゃなかったんだって」
その瞬間、私の頭のてっぺんから足の先まで、稲妻が落ちたような痺れが走る。
「本当は雪美さんって名前らしいわ」
「やっぱりそうなんだ」
「嘘をついてまであんたの告白を断ったってことは、逆に言うと、それほどの秘密があるってことになるわね……って、やっぱり? あんた、気づいてたの?」
「ううん、でもそうとしか考えられないから」
点と点が繋がっていく。
「なにか、思い出したの?」
「……ぶっちゃけ、まだ分からないことはいっぱいあるんだ。でも――」
それから私たちは再びタクシーを拾い、駅に向かった。富士宮に着く頃には、もう八時を回ってしまっていた。
3
電車に揺られている間、春樹先輩にメールを送った。富士宮駅南口の広場で待っています、と。来てくれるかは分からないけど。
「じゃあね」
「うん、美月ちゃん。今日はありがとう」
美月は私の手を取って、
「なにがあっても、私はあんたの味方だからね」
「……うん、ありがと」
ぎゅっと美月が私を抱きしめてくれた。温かく、柔らかい。そのぬくもりに、私の不安定な心にわずかな安らぎが訪れる。
美月と別れ、南口の階段を下りる。
外はもうすっかり暗くなっており、雲の隙間から星がちらっと光輝くのが見えた。
街灯の光が落ちる広場のベンチ。すぐ横を通る車の音が夜の静寂を震わせる。
そこには春樹先輩の姿があった。落ち着きなくしきりに足を組み替え、組み合わせた手を顎に当てている。
来てくれた、という喜び以上に、半月ぶりに春樹先輩に会えた嬉しさで胸がいっぱいになる。
ああ、私はやっぱりこの人のことが好きなんだなぁ。
「お待たせしました」
「あっ、華山さん」
私に気づくと、春樹先輩は勢いよく立ち上がった。
「久しぶりですね」
「あ、うん」
「来てくれて嬉しいです」
「それで、なにか用なの?」
どう切り出そうか迷ったが、私は意を決して口を開いた。
「私、さっき神奈川に行ってきました」
そう告げた瞬間、春樹先輩の顔に著しい変化が起きた。汗が浮き出て、目が泳ぐ。顔の筋肉は強張り、呼吸が乱れた。
「な、な、なにをしに?」
「私の家で一枚の写真を見つけたんです。私が子供の頃の写真で、その写真に写っていたアパートが、調べてみたら神奈川県にあるみたいで、友達とそこに」
「な、なんでそんなわざわざ……」
「〈コーポ吉原〉というアパートに、行ってきました」
私がそう言った瞬間――
「――あっ、僕、用事があるんだった。じゃあ」
逃げるように踵を返し、駆け出そうとする春樹先輩の背中に向けて、私はたった一言だけ投げかける。
「お兄ちゃんですか?」
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