第6話  矛盾

1



「影山さ、結局、華山小春と付き合ったのかよ」


 とある休み時間のこと。化学実験室へ移動する際に遠藤がこっそり尋ねてきた。


「いや、付き合ってはないんだって」


「嘘つけ、毎日毎日イチャイチャしやがって。一緒にお昼を食べて、部活が終わったら仲良く下校。あれで付き合ってないってんなら、なんなんだ……はっ!」


 遠藤の顔色が変わる。眉根を寄せ、坊主頭に汗をかきながら、


「おま、まさか……尽くさせるだけ尽くさせて、付き合わないキープ扱いってことか? それは男として最低だぞ」


「そんなわけないだろ。僕をなんだと思ってんだよ」


「だって、放課後にんだろ?」


「うっ」


 痛いところを突かれた。


 たしかに、僕のやっていることを客観的に見ればそういうふうに見えてしまうのだろう。小春のことを弄んでいるように見られているのかもしれない。いや、そんなつもりは毛頭ないのだけれど。


「それは……」


 そう、なんだかんだ言いつつ、僕は小春と過ごす時間が楽しい。彼女の笑顔を見るたびに、自分のことのように嬉しくなる。そこは認める。


 が、付き合うということになれば話はまるっと変わってしまうのだ。


「つ、付き合う付き合わないだけが男女の関係じゃないと思うけどなぁ。ほら、男女の友情っていうのもあるわけじゃん?」


 この言い訳は苦しいだろうか?


「向こうの好意が恋愛感情である以上、その言い訳は苦しい」


 やっぱりか。


「なんだ、なにか理由があんのか?」


 遠藤は真剣な表情になって声を落とす。


「それは……まあ」


 そう、理由は。そして僕が小春に対して矛盾したような対応になるのも、その理由が全てだ。


 小春と付き合うことはできない。


 しかし、その理由を表明をすることもできない。


 かといって、このまま小春の想いを拒みながらずるずる彼女と接するのは、男として、いや人としてよくないことでもある。


 ここはきっぱり関係を断つべき……なのだが、それも


 ああ、いっそのこと全てをさらけ出してしまえれば楽になるのに。


「いろいろあるんだって」


 遠藤の困り顔を見ながら、僕は重い息をついた。


「……まあ、お前が悪い奴じゃないことは知ってるからよ。いつか話せる時が来たら話せよな」


「うん、ありがとう」


 遠藤は僕のようなおとなしいタイプとは住む世界の違う人間だが、同じバスケ部という縁で、一年の頃から付き合いがある。良くも悪くもさっぱりしたやつだが、口が軽すぎるというとんでもない欠点があるため、彼にも相談できそうにないな。


 どうしたものか。


 何かを考えておかなくては。


 僕は再び息をついた。



 2



 昼休み、校舎横の芝生の上で小春と昼食を摂った。


「いつも思うんですけど、春樹先輩のお弁当ってめっちゃ手が込んでますよね」


「そうかな」


「お母様が作ってるんですか?」


「う、うん」


 冷凍食品は使われておらず、全てが手作りである。母は毎朝五時に起きて、一人息子の僕のためにお弁当を作ってくれる。


「その卵焼き、ネギとツナが入ってるんですねぇ」


「一口食べる?」


「いいんですかぁ? じゃあ遠慮なく」


 小春は母特製の卵焼きを口に運ぶ。


「うーん、美味しぃ。だし巻きともまた違って、これはご飯が進みます。なるほど、これが春樹先輩のおふくろの味なんですね。勉強になります」


「いや、そんな勉強しても意味ないから」


「じゃ、私の卵焼きも上げますよ。普通の甘いやつですけど」


「へ?」


 そう言って、小春は僕の弁当箱に卵焼きを入れた。


 綺麗に焼かれた、ごく普通の卵焼きだ。


「ありがと」


 久しぶりに食べる甘い卵焼きは、とても美味しかった。


「それにしてもいつもそんなお弁当を作ってくれるなんて、春樹先輩って愛されてるんですねぇ」


「……あはは」


「私のお母さんなんて、ほら見てください。半分以上冷凍食品ですよ。ほらほら」


 小春は小さな弁当箱を見せつけてくる。


「でも卵焼きは美味しかったよ」


「ま、お母さんの卵焼きは世界一ですからね」


 文句を言いたいのか自慢したいのかどっちだ。


「それより春樹先輩、今日も一緒に帰りましょうね」


「え? あっ、うん」


「今日はどこで遊びましょうか。映画でも見に行きますか?」


「部活終わりに映画はちょっと寝ちゃいそうだなぁ」


「じゃあ、またカラオケでも行きますか?」


「二日連続はちょっと」


 遊びのプランを立てながら、小春と楽しいランチタイムを過ごした。



 3



 僕は家に帰りついた。


「ちょっと遅くなっちゃった」


 街の南西にある二階建てのアパート。築十九年のくたびれた建物だ。二階の突き当りの部屋が我が家である。一段飛ばしで階段を駆け上がり、扉に飛びついた。


 今日もくたくただ。


「ただいま」


「おかえりなさい、春樹」


 母が出迎えてくれた。


 栗色の長い髪を結い、右肩にかけている。全てを見透かされるような大きな目が僕を見据える。

 家族のひいき目を抜きにしても、若くて美人な母だ。今年で三十五歳になるはずだが、二十代後半で普通に通用すると思う。


「今日は遅かったわね」


「うん、ちょっと部活が長引いてさ」


 本当は小春に振り回されていたのだが、そんなことは口が裂けても言えない。


「もう九時前じゃない。遅くなる時は連絡してくれないと、心配したのよ」


 母はいきなり僕を抱き寄せた。母の大きな胸が押し付けられ、僕はもがく。


「ちょ、ちょっと、母さん。く、苦しいって」


「あ、ごめんなさい。すぐにご飯にするからね」


「う、うん」


 母の腕の中から脱出すると、僕は自分の部屋に急いだ。その時、母が何かを言ったような気がしたが、よく聞き取れなかった。


「ん、なんか言った?」


「なんでもないわ」


「そう」


 気のせいか。


























 *



「私の可愛い春樹」




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