第41話  写真の歴史を調べてみよう その4

  1



「ご馳走様ー」


 夕食の後、私はお風呂にゆっくり入ってから部屋に戻った。


「ふぅ」


 ほどよい冷房が火照った体に気持ちいい。


 冷蔵庫から調達してきたポ〇リを飲みながら、椅子に座る。


 机に向かい、一枚の写真――例の私が子供の頃の写真をぼんやり眺める。なぜかこの写真をあのままクローゼットに戻すことはできなかった。なにかが心に訴えかけているような気がしてならないのだ。


 単なる好奇心ではない。


 私はいったいこの写真のなにに気を惹かれているのだろうか。ただの子供の頃の、思い出にすら残っていない時期の写真なのに。物心もまだつかない時分のことなんて、記憶の片隅にすらないのだ。


 しかし、初めてこの写真を見つけた時にフラッシュバックしたあの情景。


 あれはなんだったのだろう。


 私が自分で認識している、認識できている記憶のの記憶……


 忘れてしまっていた記憶の一ページが、この写真を見たことで呼び起こされたとでもいうのだろうか。


 それに、もう一つ疑問がある。なぜこの写真は一枚だけ、他の写真が収まっているアルバムとは別の場所に、まるで隠すかのようにしまわれていたのか。


 この可愛すぎる私と一緒に写っている、男の子。彼はいったい何者なのだろう。


 なんの気なしに裏返してみると、そこには赤い鉛筆文字が記されていた。



『はるちゃんたち、アパートの前で、にっこり♡ 九七年七月十五日』 



「九七年……」


 私が生まれたのは一九九六年の四月十九日。春に生まれたから小春という名前をつけた――なんて安直な――のだそうだ。となると、これは私が一歳と三か月の時の写真ということになるのか。


 はるちゃんたち、という書き方からして、やはり近所の子供か知り合いの子供に違いない。


 よく見てみると、壁に〈コーポ吉原〉という看板がついている。このアパートの名前だろうか。

 

 赤ちゃんの時の記憶なんて、それこそ憶えているはずがないな。


 深く考えても意味がないので、私はそれ以上この写真について考えるのをやめた。


 写真を机の上に置き、私はテレビをつけた。



 2



 飲み物とアイスを取りにキッチンへ行くと、母が洗い物をしていた。リビングでは凛と遊起がゲームをしている。


「姉ちゃんもやる?」


 遊起が声を投げる。


「いやぁ、いいよ。ねぇねぇ、お母さん」


「んー?」


「そういやさー、昔住んでたアパートってどこにあるの?」


「……!」


 なにげなく尋ねたのだが、母は一瞬体の動きを止めた。水の流れる音とゲームの音がやけに大きく聞こえるほどの静寂が二人の間に立ち込める。


「お母さん?」


「やだわね、アパートなんか住んでたことなかったでしょ」


「え?」


「前のは賃貸マンションよ。アパートじゃないの」


 そう言って母は笑う。


「え、いや、そういうことじゃなくって……」


 アパートだとか、マンションだとか、そういう区分の話ではない。あの背景にあった白い建物は、ここに越してくる前に住んでいた熊本県のマンションとは明らかに違うのだ。そしてそれを母が知らないはずがない。


「あ、そろそろお風呂に入らなくっちゃ。凛ちゃん、お風呂入るわよ」


「はーい」


 まるで逃げるかのようにキッチンを後にする母。その後ろ姿を見ながら、私は奇妙な違和感を覚えずにはいられなかった。


「姉ちゃん、やろうぜ。コンピューター相手じゃつまんないもん」


「陽太とやればいいでしょ」


「兄ちゃん出かけちゃったもん。なんか飲み行くって」


「しょうがないなぁ」


 私はソファーに座り、凛が使っていたコントローラーを手に取った。



 *



 翌朝。


 目覚まし時計の音で目覚めた私は、起き抜けの重たい頭をなんとか働かせながら起き上がった。


「ふあーぁ。あれ?」


 一瞬で眠気が吹き飛ぶ。


 私の机の上に置きっぱなしだったはずの、例の写真が消えていたのだ。



 3



 部室を覗くと、ゆとりがいた。


「あっ、光先輩。おつかれっす」


「お疲れ様、ゆっちゃん」


 もう今日の練習は終わったはずなのだが、まだ帰っていなかったようだ。


「ちょっとやってきます? うち、もうちょっと自主練しとこうと思って」


「いやぁ、いいって」


「そうすか」


 ゆとりはラケットを持って出ていく。


 今日は部室にある自分の私物を取りに来た。


 引退してからもちょくちょく顔を出しているが、あくまで顔を見せるだけ。女子ソフトテニス部は次の世代に任せなくちゃ。


 部室の片づけをしながら、私は考える。


 本当にあれでいいのだろうか。


 影山くんはこのまま小春ちゃんと距離をおくのかな。


 あのまま、なにも知らない小春ちゃんと卒業まで……


 背後に人の気配を感じたので振り返ると、ゆとりがいた。


「手伝いますよ」


「ありがと」


「ゆっちゃんさぁ、最近小春ちゃんと会ってる?」


「うん? まぁ、ちょいちょい遊びますよ」


「元気にしてる?」


「いやぁ、無理してる感がぱないっすね」


「やっぱり、そうなんだ」


「はるっちってワタシカワイイってタイプで自己評価がめちゃくちゃ高いじゃないっすか。まあ事実可愛いんすけど。普段からそんなんだから、男にフラれたのが余計にショックだったっぽいっすね」


「あー、そっか」


 その後、結局ゆとりの練習に付き合い、帰りに私の家に寄っていくことになった。


「ただいまー」

「お邪魔しまーす」


 ハッチとションが玄関でじゃれあっている。


「あっ、ちょうど帰ってきた帰ってきた」


 お母さんが和室から顔を覗かせた。


「ちょっと光ー」


「なに?」


「ちょっと来なさい。あっ、ゆとりちゃんこんにちは」


「お邪魔します―」


「ちょっと来なさいって」


 なんだろう。


「ゆっちゃん、先に部屋に行っといて」


「うっす」


 和室に入ると、そこには影山くんのお母さんがいた。



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