最終話  あの幸せはたしかに在った

 1


 

 新学期。


「いってきます」


 僕は身支度を済ませ、玄関に向かった。


「忘れ物はない?」


 母が少し心配そうに言う。


「大丈夫だよ、いってきます。お母さん」


「いってらっしゃい」


 駅前の駐輪場に到着すると、そこには小春がいた。


「あっ、春樹先輩」


「やぁ、小春。おはよう」


「おはようございます」


 会って早々、小春は腕を組んできた。


「おわっ」


 二の腕に彼女の柔らかいものが押し付けられ、心臓がびっくりする。


「歩きにくいよ」


「いいじゃないですか、私たち、付き合ってるんですから」


「そうだけどさ」


 小春との関係は、兄妹という関係から、恋人という関係にステップアップ(?)した。この歪な関係がいつまで続くかは分からないけれど、僕の方から小春を手放すことはないことだけは断言できる。


 色恋の関係というのは得てして永遠ではない。なにかの拍子に恋心が醒めるなんてのはよくある話だ。それにもしこの関係が続いたとしても、当然、僕たちは結婚もできないし、諸々のリスクを考え、子供だって作らない方がいいだろう。


 だけど、小春が僕のそばにい続けてくれるのなら、僕は彼女を一人の女性として愛していこう。


 学校に到着すると、周囲からは好奇の目を向けられる。




「あれ? フラれたんじゃないの?」


「あの二人、結局付き合ったのか」

「私、夏休みに一緒にいるの見たし」


「殺すぞ」


「小春ちゅわん、なんであんなやつと」


「アツアツだねぇ」




 無論、彼らは僕たちが実の兄妹だということは知らない。

 

 一度は告白を断ったのに、どうして付き合っているのか、という質問攻めが待ち受けているだろうことは想像に難くない。


「そうだ、春樹先輩、今度お母さんがみんなでご飯でもどうかって」


「お義母さんが?」


「はい、もちろん、雪美さんも一緒に」


「うん、伝えておくよ」


 あの一件以降、僕の二人の母は長年の遺恨を洗い流し、和解をしてくれた。もちろん、お互いに思うところはあるだろうし、すぐに良好な仲になれるとは僕も思ってない。でも、少しずつ歩み寄ろうと、お互いに努力をしていることだけは分かる。


「じゃ、また後で」


「はい」


 昇降口で小春と別れ、三年の教室に向かう。


「おい、影山、お前、大丈夫か?」


 教室に入るなり、遠藤が詰め寄ってきた。


「な、なに?」


「なにじゃねぇよ。おまっ、料理中にすっ転んで包丁が腹に刺さったらしいじゃねぇか」


「あー、うん」


 僕の怪我は、(無理があることは承知の上だが)、遠藤が言ったような内容で起きたものだ、とみんなには説明しておいた。傷は思ったよりも深かったが内蔵は傷ついておらず、二週間ほど入院した。


「そうだ、それよりよ、お前、ついに華山小春と付き合ったんだってな」


「え? ああ、そう。誰から聞いたの?」


「下村さんだよ」


 光の方をちらっと見ると、ウィンクが返ってきた。


「それにしても、お前もすげぇ男だな。母親と名前が一緒なんて、俺は無理だぜ」


「あはは」


 そういえば、遠藤にはあの偽の理由を話しておいたんだった。兄妹だという事実はなるべく広まらない方がいいだろうから、まだ秘密にしておこう。


「それより、あっちはなんで騒いでるの?」


 光と有月を中心に人の塊ができている。まさか、あの二人も付き合ったのかな?


「あっ、そうだ。聞いたか? 有月がな、イ〇ンで迷子になってよ」



 2



「はるっち、遂に禁断の線を越えちゃったね」


 ゆとりは真剣な顔をして言う。


「うん、でもたぶん、大丈夫だと思う」


「そういえば、影山先輩、入院したんだって?」


 美月は心配そうに言った。


「あ、そうそう。ちょっと転んじゃってさ、あはは」


「付き合って早々大変な目に遭ったものねぇ」


「とりま、どうなるかは分かんないけど、うちらは応援してるから」


「ええ」


 ゆとりと美月は頷く。


「ありがと」


 幸せな気分だ。


 紆余曲折を経て、春樹先輩と恋仲になることができた。


 この夏は色んなことがあったなぁ。


 春樹先輩への告白から始まって、いろいろ策を変えては攻め込んで、フラれたと思ったら、兄妹だということを知って……


 ここまで怒涛の夏休みを過ごしたことなんて、人生初かもしれないな。


 これから先、私と春樹先輩には、様々な障害が立ちはだかるだろう。


 いずれはみんなに兄妹だということを伝えなきゃいけない日が来るかもしれない。


 まあ、なんにせよ、私たち二人なら、きっと大丈夫。


 私たちは恋人であり、同じ血が通う兄妹なんだから。



 *



 


































































『おはよう』


 優しい母の声。


『おはよう』


 彼は寝ぼけ眼を擦りながら返事をする。


 今日は動物園に行く日だ。


 家族四人揃って朝ご飯を食べ、身支度を整える。


 外に出ると、うだるような夏の日射しが目に沁みた。


 鉄階段を駆け下りると、カンカンと乾いた音が響き渡る。まだ二階にいる父に声を投げた。


『鍵開けてー』


『待て待て』


 彼は黒い軽自動車のドアに飛びつく。


あちっ』


『大丈夫か?』


 父はしゃがんで笑う。


『大丈夫!』


『中もまだ暑いぞ』


『いいからー』


 朝とはいえ、夏場の車内はサウナ状態だ。ドアを開けるとむっとした空気が彼を包む。父親がエンジンをかけ、冷房を入れるが、流れる風はまだ暑い。十数秒後、冷風が流れ出した。


 後部座席には妹のチャイルドシートが設置されている。彼はその横に座り、母と妹を待つ。車の横で煙草をふかす父。


 ややあってから、母が降りてきた。まだ赤ん坊の妹を抱き、少し疲れ気味の顔。チャイルドシートに妹を乗せる。


『よし、行くか』


『春樹、小春を見ててね』


『うん』


 やがて車は走り出す。


 幸せな一家四人を乗せて。


 あらゆるものが新鮮で、希望に満ちた日々。


 全てが楽しかったあの思い出。


 彼は幸せだった。


 永遠のものなどこの世には存在しない。人は出会いと別れを繰り返し、大人になっていく。大事なものは失ってから初めて気がつくのだ。


 けれど、あの日々はたしかに在った。


 もう手に入れることはできないけれど、それはたしかに存在していた。


 彼の幸せは、たしかにそこに在ったのだ。





『僕が学園一の美少女の求愛を断るたった一つの理由』


 完





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