第64話 二択
1
「す、好きって……僕たち、兄妹なんだよ?」
「でも、心には嘘をつけません」
小春は俯く。
「いやいや……」
「私、真剣です」
言葉が出ない。
両親の離婚により、生き別れになった僕と小春。
だが僕たちは十数年の時を越えて再会し、彼女から僕に対する恋愛感情によって引き合うことができた。しかし、それは兄妹であるという事実が伏せられていたために発生してしまったバグのようなものだ。
僕たちは同じ親から産まれた兄妹なのだから、恋愛関係に発展するなんてありえない。それは越えてはいけない一線だ。
だからこそ、僕は嘘の理由をでっちあげてまで小春をフったのだ。
それから色々あって、兄妹であるということを小春は思い出し、僕も遂に彼女に真実を伝えることになった。
そこで、本来であれば終わった話なのだ。
兄妹だから恋愛はできない。
小春もそれで納得してくれると思っていた。いや、納得して当然ではないか。
法律のことはよく分からないけれど、たしか傍系血族は三親等以内は結婚できないと、なにかの本で読んだことがある。
僕と小春は兄妹。これは二親等に当てはまる。
つまり、小春の抱く気持ちは法的にもタブーなのだ。
たしかに小春は可愛い。そこは認める。
妹だということさえ考えなければ、こんな美少女に求愛される僕はこの世の誰よりも幸せであると確信できる。
しかし彼女は僕の妹なのだ。
「イケナイ気持ちだってのは分かってます。でも、私、本気なんです」
表情や声のトーンから、冗談を言っているのではないということは伝わってくる。小春も勇気を出して想いを僕にぶつけたのだろう。
「か、考えさせてくれる?」
「……はい、いつまでも、待ってます」
去っていく小春の背中を見つめながら、僕は重い息をついた。
2
校舎の陰に座り込み、僕はぼんやりと空を見上げた。
こちらの気など知るか、とでも言いたげに空は快晴だ。耳をすませば、部活に勤しむ学生たちの気合の入った声が聞こえてくる。
「……はぁ」
なぜ、NOと即答しなかったのか、自分が自分で分からない。
元々、小春とはもう会えないという話をしに来たのではないのか?
母のために、華山家と完全に縁を切るのではないのか?
僕は母、影山雪美のことが家族として好きだ。
実母と同じくらい、いや、きっとそれ以上に大事に思っている。
僕の思い出の中には常に母がいたし、母には僕しか家族がいないということも理解している。
僕を孤独の底から救ってくれた母を、人間として尊敬している。
だから、僕は母とそれ以外の人間を天秤にかけるようなことがあれば、迷わず母を選ぶ。
いくら小春が相手でも、どちらかを選ばなければいけないというのなら、選ぶべきは母だ。母がそう望むなら、僕は小春とはもう会うつもりはない。
そう、思っていた。
「……僕は、どうしたいの?」
空にぽつりと呟いてみる。
返事などありはしない。
母を選べば、小春や華山家との縁は切れる。
そして小春を選べば、もう母の下へは帰れない。
失っていたと思っていた小春との繋がり。それを手にすることができたと思ったのに、また僕は失わなければいけないのか……
僕は失うことが嫌いだ。今あるものが消えてしまうのなら、最初から繋がりなんかいらない。失い続けた幼少期を過ごしたがゆえに、僕は失うことが嫌いなのだ。
失うことは苦しい。
僕が本当に欲しいものは、あの藤沢市で過ごした家族四人の家庭だ。影山大樹、初子、僕、小春の四人で過ごした数年ぽっちの日々だ。
でももう、それはどれだけ願ったところで手に入らないのだということは分かっている。両親は離婚してしまったし、小春も僕も全く別々の人生を歩んできたのだから。
だからせめて、今、僕の周りにあるものは、これからずっと、死ぬまで僕の周りにいて欲しい。現状維持こそ、今の僕の唯一の望みだ。
ああ、しかし……
僕はどちらか一方しか選べないのだ。
片方を選べば、片方を切り捨てなければならない。
母か、小春か。
どちらかを、失わなければならない。
自分で、選ばなくてはいけない……
3
午後五時を回った。
西の空が夕焼け色に染まり始める。
もし、春樹が私から離れるようなことがあれば……
そんなことあるはずがないのだけれど、もし、万が一、春樹が華山家を選んだら……
夫が蒸発し、両親を火災で失い、帰るべき生家を失った私には、もう春樹しか残っていない。
そんなあの子が私を選ばなかったら、私は孤独の重さに耐えきれなくなってしまうだろう。
私は手に持った包丁を見つめる。
「……春樹」
そうなったら、私は自分で自分の命を断とう。
あの子の目の前で、死んでしまおう。あの子の腕に抱かれながら死んでしまおう。
そうすれば、春樹は私を忘れられなくなる。
あの子の中で、私は存在し続ける。
これから先、もし春樹の周りから人がいなくなったとしても、私が心の中に残れば、あの子は一人ぼっちじゃなくなる……
私の可愛い春樹。
あの子をここまで育て上げたのは私だ。
あの子の誕生日を一番多く祝ったのも私だ。
あの子の涙を受け止めてきたのも、あの子の笑顔を見てきたのも、全部私だ。
私だけの、息子。
そしてあの子がいたから、私は今日まで生きることができた。
もし春樹がいなければ、私は天涯孤独の苦痛に耐えきれず、もっと早くに命を断っていたかもしれない。
自分が弱い人間だということは、私自身が一番よく知っている。
ガチャリ、と玄関の方から音が鳴った。
「――っ!」
春樹が帰ってきた。
包丁を後ろ手に隠し、玄関に向かう。
そこにいたのは――
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